第49話 ゆれる男心
あの男とかかわると、ロクなことがない。
上級審問官ベラナの、最後の弟子。師譲りの頭のキレと、図々しさを持つ男だ。
そもそも自分への敬意が、著しく欠けている気がしてならない。
この聖都で、七人しかいない枢機卿──幻惑の魔女によって数を減じた今、正確には四人──の、ひとりなのだ。
小娘の面倒や手配書探しなど、断じて自分の仕事ではない、と思う。
それでも力を貸してやるのは、もちろん正義のため……ではない。
打算の結果だ。
ウルベルトの出自であるスパダ家には、教皇を輩出するという宿願がある。
故に、小さな同僚たちに、不死者となられては困るのだ。
もし連中が次期教皇となれば、スパダ家の目的は永遠に達成できなくなるだろう。
いけ好かない奴らの、邪魔立ては愉しい。
理由としては、まあ、それもあるが……
「──仕事熱心で、結構なことだ」
双子とメアリーが聖都に到着した時より、時計の針は少し戻る。
廊下の先に気配を感じ取り、ウルベルトは小声で皮肉った。気づかれないよう、来た道を引き返す。
早朝の、至聖の館──そこは、教皇ミスル・ミレイの住居だ。
レンガ造りの簡素な外見の館は、大聖堂と教皇庁に隣接する位置にある。
ウルベルトは教皇の寝所を見つけ出すために、忍び込んでいたのだ。
収穫は……少ない。
分かったことといえば、処刑人によって昼夜を問わず固く警備されている、それくらいだ。
寝所は三階のはずだが、目を盗んで上がれるのは、せいぜい二階までである。
「三年前は、上手く隙を突いたが。あ奴らも、馬鹿ではないということか」
ウルベルトは、忌々しげに鼻を鳴らす。
見咎められることなく、寝所に立ち入ることは困難だ。
これ以上となれば、力づくでということになるだろう。
それだけではない。
三年前は、ベラナのお膳立ての上で、上手く立ち回ればいいだけだった。
呪具シュレーディンガーの力で、教皇にかけられた、眠りの呪いは解けた。
だが今は──はるかに強固な呪いによって、解呪の糸口すら見いだせない。
教皇は、深い深い眠りの中だ。
よしんば寝所に忍び込めても、目覚めさせる手段がないのである。
どうしたものか……ウルベルトは脂肪のついたでっぷりとした顎に手をやり、思案する。
だがそれは、長続きしない。
何気なく窓の外を見やり、ある一点で目が釘付けとなった。
「──なんだ?」
ウルベルトがいるのは、館の二階だ。
窓から、ちょうど薔薇園が見下ろせた。
そこに、見知った顔を認めたのだ。祭服を着た、黒髪の青年だ。
「アルヴィン! あ奴、禁書庫から戻ったのか!」
ウルベルトは窓に張りつき、目を凝らす。
アルヴィンは、楚々とした花柄のワンピースを着た少女と向かい合っている。
それが誰か、考えるまでもない。
教会の影の支配者、枢機卿会会主ステファーナだ。
少女は指で拳銃の形を真似ると、ゆっくりとアルヴィンの胸元へ向ける──
バン! と、声が聞こえたような気がした。
刹那、糸の切れた操り人形のように力を失い、アルヴィンは倒れた。
「馬鹿者めっ!!」
潜入中であることも忘れて、ウルベルトは罵声をあげた。
「あれほど奴に注意しろと忠告してやったのに、なんてザマだ!」
ステファーナは、底知れぬ相手だ。
確かに、そう伝えたはずだ。
──それにもかかわらず、むざむざとやられるとは!
「知らん! 俺は知らんぞ!」
欲と野心で膨らんだ腹を揺らし、ウルベルトは憤慨する。
そして脳細胞を全力回転させ、保身の最適解を導き出した。
下手に手を出せば、火の粉が降りかかり、容赦なくウルベルトを焼き尽くすだろう。
──俺は関係ない! 見なかったことにする!
謀略の渦巻く聖都で、未だに失脚せず枢機卿の地位にあるのは、危険に対する嗅覚の鋭さ故である。
分厚い背中を窓に向けると、ウルベルトは足早に立ち去った。
今回は、手を引く。
敢えて今、危険を冒す必要はない。次の機会を待てばいいのだ。
──だが次は……あるのか?
ふと忍び込んだ想念が身体にまとわりつき、ウルベルトの足を止めさせた。
アルヴィンは禁書庫から生還した。
つまり、禁書アズラリエルを持ち帰ったのだろう。
それは枢機卿らが、不死に近づいたことを意味する。
──これが、最後のチャンスだったとしたら?
振り返り、倒れたアルヴィンを、もう一度だけ見る。
ウルベルトは天井を仰ぐと、盛大にため息をついた。
自棄気味な叫びが、後に続いた。
「あの男とかかわると、ロクなことにならん!」
ドシドシと、ウルベルトは身体を揺らしながら走り出した。
──薔薇園を目指して。
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