第44話 死へと至る扉

 空気は淀み、不快にまとわりつく。

 身体は、鉛のように重い。


 アルヴィンの眼前には、らせん状に巻いた廊下が伸びていた。

 銀のプレートがついた黒い扉が、両側に配されている。

 そして──少し離れた場所に人影を見出して、心臓の鼓動が跳ねた。


「──フェリシア! エマ!」


 声に、銀髪の女が顔を上げた。アルヴィンに気づき、手を振る。


「アルヴィンっ!」


 懸命に、二人へと走り寄る。

 酸欠に冒された身体はフラつき、気持ちばかりが先走る。

 ようやく再会を果たして、アルヴィンは安堵の息を漏らした。


 フェリシアと三つ編みの少女に、怪我はないようだ。

 だが、顔色はすぐれず、呼吸も荒い。フェリシアの快活な顔立ちには、影が差している。


「……探したんだよ! 無事で良かった」

「心配をかけてすまない。僕のミスだ」


 元より、離ればなれになった原因は、自分の判断の甘さにある。 

 アルヴィンは二人に詫びる。


「キミの責任じゃないよ。それより、どうやって、ここに……?」

「白き魔女に会った」

「白き……魔女?」


 怪訝な表情をフェリシアは浮かべた。

 彼女は、白き魔女を知らない。当然、といえば当然の反応である。 

 アルヴィンは、事情をかいつまんで話す。


「僕が以前から追っていた魔女だ。いや、本物ではなかったんだが……この扉をくぐれば、再会できると教えてくれたんだ」 

「魔女がかい……?」


 戸惑ったように、フェリシアは聞き返す。 

 その隣で、少女がスッと目を細めたことに、アルヴィンは気づかない。

 急ぎ確認すべきことがあった。


「──フェリシア、オルガナの記憶は?」


 幸いにも、禁書アズラリエルは彼女の腕の中にある。

 それは、世界の記憶が記された書だ。 

 だがフェリシアは、力なく首を振った。


「まだなんだ。もう少しかかる──でも猶予は、なさそうだね……」

「そうか……」


 アズラリエルに記されたオルガナの記憶こそが、迷宮から脱するための鍵だ。

 アルヴィンの声は、落胆で沈んだ。  


 息苦しさは増し、直ぐ近くにまで迫った、死の足音が感じ取れる。


 額に、冷たい脂汗がにじんだ。

 ふと脳裏に──魔女の言葉が甦った。


「白き魔女は……6174番の扉が外に通じていると言った」

「6174番……? でも、この中から……どうやって?」


 フェリシアは言いながら、果てしなく続く廊下へと目を滑らせた。疑念は、もっともだ。 

 残された時間は少ない。

 途方もない数の扉から一枚を見つけ出すなど、もはや不可能である。


 外へと繋がる扉の番号が分かったところで、生還が約束されるわけではない。

 状況は、絶望的だ。

 これで終わりなのか……


 ──いや、諦めるな!


 アルヴィンは心中で、自分を叱咤した。

 考えることを止めれば、全てが終わってしまう。 

 肩で荒い息をしながら、記憶の糸を懸命に手繰り寄せる。


 この迷宮に入って最初にくぐった扉は、1992番だった。

 それは8622番へ変化し、さらに6354番となった。


 ──無作為に、変化するのか……? いや、法則があるはずだ……何だ……何だ、考えろ、アルヴィン!


「6174……6174……」


 汗が頬を伝い、床に落ちる。


「まさか……」


 ハッとして、アルヴィンは顔を上げた。


「アルヴィン……?」

「カプレカー……これは、カプレカー定数だ!」


 苦しげな呼吸と共に、吐き出す。


「そ、それって……?」

「整数の桁を並び替えて、最大に並び替えた数字から、最少に並び替えた数字の差が、次の部屋番号になるんだ!」


 アルヴィンは一息で言い切り──遅れて、呆気にとられたフェリシアの顔に気づく。


「……最初の扉は、1992だった。最大にした9921から最少にした1299との差が、次の部屋番号……8622になる」

「でも……それが分かったからって、何になるんだい……?」


 彼女の指摘は、もっともかもしれない。

 確かに、次の部屋の番号を知る法則を明らかにしたところで、今更何になるというのか──

 だがアルヴィンの声は、力強さを増した。


「これは、特殊な定数なんだ。……どんな数字でも、計算を繰り返せば──必ず、6174になる」

「だとしたら……」

「どれか一枚、なんじゃない。全ての扉が、外に繋がっているんだ!」


 それが迷宮の、隠された法則だった。

 1111の倍数以外の四桁の整数なら、どれを選んでも、最終的に6174へと至る。 


 無数の扉の中から、出口に繋がる一枚を探す必要など、なかった。 

 同じ扉を使い、出入りを繰り返すだけで良かったのだ。


 法則は解けた。

 後は、時間との勝負だ──

 酸欠にあえぎながら、最も手近にある、5355番の扉に近づく。


 目がかすむ。

 次第に強くなる頭痛に耐えながら、アルヴィンは扉を開けた。

 移動すると、番号は1988番に変化した。


 身体が重い……

 限界は、すぐそこにきていた。 

 泥の中をもがくように、さらに移動する。

 次は──8082番だ。


「くっ……」


 あと何回、扉を移動すれば良いのか……?

 もし途中で、日の出を迎えてしまったら……?

 そもそもカプレカー定数など思い違いで、存在していなかったら……?


 三人はここで、窒息死するしかない。


 いくら息を吸っても、苦しさは和らがない。

 焦りが、呼吸苦を悪化させる。


 息が──


 フェリシアが失神し、崩れ落ちた。

 咄嗟にアルヴィンは抱きかかえ──支えきれない。

 二人は倒れ込むようにして、次の部屋へと入った。


 すがる思いで、プレートを見る。

 刻まれている数字は──8532番だ。


 身体の力が抜け、アルヴィンは床にひれ伏した。


 ──これ以上は、進めない……


 フェリシアは意識を失い、進むこともままならない。

 限界だった。

 その時だ。 


 小さな手が、アルヴィンの頬を打った。


「……っ!?」


 遠のいた意識が、痛みと共に引き戻される。

 アルヴィンを、静かに見下ろしていたのは──エマだ。


 ──まだだっ!!


 よろよろと手を伸ばし、アルヴィンは扉を押し開ける。

 もはや立ち上がる力もない。

 フェリシアを引きずるようにして、次の部屋へと這う。


 あえぎながら見上げた扉には──金色のプレートがついていた。

 刻印された数字は、6174番……だ。


 ──6174……!


 アルヴィンは最後の力を振り絞ってノブに取りついた。

 扉が、開いた。

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