第35話 魔女と少年と道化師

「凶音の魔女め!」


 リベリオは目を血走らせ、憎々しげに吐き捨てる。

 空気の粒子が鋭い棘を帯びたかのように、肌をひりつかせた。


 緊迫の度合いが、一気に跳ね上がった。

 毒々しい殺意の照射を受けて……だが、女に動揺した様子は微塵もない。


「お願いだから、センスの欠片もない二つ名で呼ぶのはやめてもらえないかしら? 私を表現するなら、流麗の魔女が適当だと思わない?」


 ぬけぬけと答え、わざとらしく嘆息してみせる。

 事態の急変に、ベネットは理解が追いつかない。


 処刑人に加えて魔女まで現れ……絶体絶命だ。ベネット自身、息も絶え絶えで、ロクな体力も残されていない。

 そして、不可解だ。


 少年を囲んでいたヴェールが薄れ、消えた。

 なぜ魔女が、自分を救ったのか。

 真意は分からないが……何にせよ、裏があるに違いない。

 警戒を強める少年を横目に、クリスティーはリベリオを一瞥する。


「私はその子に用があるだけなの。手出ししないでくださる?」

「ふざけるな!」


 男は自称流麗の魔女を前にして、怒りを沸騰させた。

 この女は、アルヴィンと共謀して兄ウルバノを害した、仇敵なのだ。


「魔女を殺せっ! 八つ裂きにしろ!」


 苛烈極まりない号令と共に、戦端は開かれた。

 ベネットとの戦いで数を減らしたとはいえ、いまだ処刑人は十人近い。

 対して魔女はひとりだ。

 勝敗は瞬時に決するだろう。


 耳を塞ぎたくなるような銃声の連なりのあと、硝煙の匂いが満ちた。 

 殺意とともに撃ち込まれた弾丸は、届かない。


 クリスティーが軽やかに右手を舞わせると、新たな水のヴェールが生まれたのだ。

 それが弾丸の勢いを削ぎ、ことごとく床に落下させる。


「奴に拳銃は効かん! 切り伏せろ!」


 鞘なりの音が響き、血に飢えた剣光が迫る。

 屈強な男らが突進するさまは、暴風そのものだ。

 女の細い首を刎ねる、一撃が閃く。


 天井近くまで跳ね飛んだのは……首ではない。長剣である。

 信じがたい光景に、処刑人は目を疑った。


 斬撃よりもはるかに早く閃き、迫り来る凶刀を跳ね飛ばしたのは、鞭のしなりである。

 女の手に、水で形作られた鞭が握られている。

 それが空気を切り裂き、男らの手から長剣を奪い去ったのだ。

 まるで雷光のような鋭さだ。


 丸腰になった処刑人らは……半秒の間を置いて、床に打ち伏せられる。

 クリスティーは、氷のように冷え切った目で見下げた。


「か弱い淑女を、よってたかって襲うだなんて、豚らしい振る舞いね」


 その声音は、辛辣極まりない。

 か弱いか否か、疑念が残るところではあるが……全ての処刑人が床に這いつくばった今、異論を挟む者はいない。

 そして、ベネットは気づく。


 リベリオの姿が──忽然と、消えている。

 呆れたことではあるが……不利を悟るや、男は一目散に逃げだしたのだ。


 うめき声をあげる部下たちを置き去りにする態度には、恥も外聞もない。

 どうやら人を陥れる手腕だけではなく、逃げ足も一流であったらしい。


「──あなたが、アルヴィンの教え子ね?」


 顔を上げると、人の形をした厄災がベネットを見ていた。

 よろよろと立ち上がる。

 危機は、まだ去っていない。


 数メートルほどの距離を置いて、魔女と視線が交錯する。

 ベネットは答える代わりに、拳銃を向けた。


「何の真似かしら?」

「凶音の魔女……何を企んでいる?」

「助けてあげたのだから、お礼のひとつくらい言ったらどうなのかしら? ここを突き止めるのに、苦労したのよ」

「魔女に助けられる覚えなんてない!」


 ベネットは油断なく狙いを定めると、拳銃の撃鉄を起こした。

 微笑みを浮かべる女を前にして、警戒は最高潮に達する。


 凶音の魔女は、師と内通した魔女だ。

 狙いは何なのか。

 クリスティーは、向けられた銃口を平然と見返した。


「呆れた。ほんと審問官って、人の善意を信じないのね」

「魔女にあるのは悪意と打算だけだ。善意など、あるものか!」

「そう。だったらこれは、魔女の仕業なのかしら?」


 言いながら女は肩をすくめ、視線を巡らせた。

 ベネットは言葉に詰まった。


 広間に立ちこめた異臭、そして煮えたぎった赤い液体。

 耳に、穴に突き落とされた犠牲者の悲鳴が甦る。

 この、狂気に支配された空間を造ったのは──教会だ。


 力が抜け銃口が下がったのは、疲労のせいばかりではない。

 クリスティーは、語勢を強いものに変える。


「時間がないわ。生きて外に出たければ、私についてきなさい」

「魔女は……敵だ!」

「強制はしないわよ。でも、直に新手が来る。あなたのプライドで、あの娘を危険に晒すつもり?」


 ベネットはハッとして、穴の前で立ちすくむ少女を見やった。

 クリスティーの言葉を裏付けるように、複数の足音と、怒声が近づいてくる。

 猶予は……ない。


「ここに残り死ぬか、共に逃げ生きるか、どちらかよ」


 クリスティーは真剣な光を碧い瞳にたたえた。

 そして反論を許さない、凛とした声を響かせたのだ。


「──私は、逃げも隠れもしない。魔女が悪だと言うのなら、逃げおおせた後撃てばいいわ。さあ、決断をなさい」




 

 古びた木戸を蹴り飛ばす。

 何日ぶりかに吸い込んだ夜気は、ひんやりとしている。


 地下牢から地上へ走り出たベネットの目に映ったのは……暗く、寂れた裏路地だ。

 ふり返って仰ぎ見た建物は、何の変哲もない三階建ての民家である。 

 おぞましい研究所の入り口が、巧妙に偽装されていることにベネットは驚く。 


「あそこよ!」


 濃い乳白色の夜霧が壁となって、視界を覆い隠していた。

 クリスティーが指さした先に、かろうじて馬車が見える。


 背後から怒号が迫る中、三人は客車へと駆け込む。

 扉が閉まるのを待たず、クリスティーは叫んだ。


「エレン、出しなさい!」


 御者台に座るボブカットの少女が、鞭を振るった。

 馬車は、夜霧を切り裂いて走り出した。

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