第33話 罪科と欺瞞の都

 まるで地獄へと続く階段だ。

 ベネットは陰鬱な気持ちで、歩みを進める。


 地下牢から、さらに地下へと下る階段があることは驚きだった。

 一段下りるごとに空気は重々しさを、異臭は濃さを増す。そして悲鳴も、はっきりとしたものとなる。


 両脇に屈強な処刑人が、そして少し前にリベリオの姿がある。

 かび臭い階段を下りた先に現れたのは、青銅製の門だ。


「──ここは?」

「開けろ」


 リベリオは答えず、煩わし気に手を振った。

 青緑色の錆が浮かんだ門には、天に召される初代教皇と、十二人の天使を描いたレリーフが彫られている。

 荘厳さを感じさせるものだが……今は皮肉以外の何ものでもない。


 門の先は地獄だ。

 それは、一目で分かる。 


 門が開き、ベネットの眼前に、地下にいることを忘れさせるような広間が姿を見せた。

 天井は見上げるほど高い。

 そして吐き気を催すような、異臭で満ちている。


 ベネットと同様に連れてこられたのだろう、不安げな顔をした十人ほどの男女が見える。

 同数の処刑人が、武器を持ち取り囲んでいた。


 広間の中央の床に、ぽっかりと口を開けた穴がある。

 深さは知れない。

 赤く混濁した、毒々しい液体で満たされているからだ。

 立ち上る湯気が、禍々しい臭気を放つ。


 耳をつんざくような絶叫が反響し、ベネットは息を呑んだ。

 処刑人が長剣を振るい、人々を穴へと突き落とし始めたのだ。

 煮えたぎった液体に落ちた男女は、生きながらにして……溶かされていく。


 ベネットは思わず顔をそむけた。


「どうした、もう怖じ気づいたか?」


 リベリオは仮面の下に、嘲笑を浮かべる。

 身の毛がよだつような凄惨な光景を前にして、ベネットは足が震えた。


 身代わりとなる意味を、理解していたつもりだ。

 だがこれは……人のやることではない。悪魔の所業だ。

 人間の尊厳など、どこにもない。


「……なんて……残酷なことを……!」


 吐き気と恐怖で身体がすくみ、そう口にするのがやっとだ。

 リベリオは顔色一つ変えない。

 ベネットの動揺を愉しむかのように、平然と問い返す。


「残酷? 何がだ?」 

「何が……!? こんなことをして……神はお許しにならない! あなたがたは、教会の恥じです!」

「青いことを言うな」


 非難の声を、リベリオは小煩げに一蹴する。

 両手を大げさに広げると、三流役者のような芝居じみた声で宣告する。


「これこそが、教会の大いなる意志なのだ」

「まさか……!」


 この狂気じみた行いが教会の意志など、妄言としか思えない。

 ここは、神聖なる聖都だ。

 馬鹿げている。


 だがそこで……学院生時代に耳にした噂がよみがえり、頭の片隅で囁いた。

 数年前、地下で行われていたという、非合法の研究。

 ベネットは思わず身じろぎをした。


 無責任な噂話とばかり思っていたそれが……目の前の光景と結びつき、冷たいものが背筋を這った。

 少年の困惑を見透かしたかのように、リベリオは静かに嘲笑う。


「──偉大なる試み」

「……?」

「この悪趣味なショーは、老人共の悲願を達成するための、計画の一部なのさ」


 老人共……とは、教会を実質的に支配する枢機卿らを指すのだろう。

 理由は分からないが、男の声には嘲りが含まれている。

 心の中で、不協和音が高らかと鳴った。 


 偉大なる試み、とは何なのか。


 ベネットは、枢機卿マリノを思い出す。

 上級審問官ベラナと、オルガナの同期だと話したにもかかわらず、若すぎる枢機卿には違和感があった。

 そして凶音の魔女が屋敷を襲撃した時──不死、と口走った。


 呆然とした面持ちで、ベネットは呟く。


「偉大なる試みとは──不死の研究、ですか」

「そうではない」

「……違う?」

「不死の法なら、ほぼ完成している。最後のピースである、白き魔女を除いてな。これは──大陸の、救済なのだ」


 男の正気を、ベネットは疑わざるを得ない。

 このおぞましい行為のどこが、救済なのか。

 だがそれ以上、真意を問い出すことはできなかった。

 処刑人に、リベリオが命じたのだ。


「連れてこい!」


 声とともに、処刑人が小さな人影を連れ出す。

 ベネットは我が目を疑った。

 顔を蒼白にし、穴の前に立たされたのは──家族の元へ帰されたはずの少女だ。


「なぜですか!? 約束が違う!」


 虜囚であることも忘れ、ベネットは叫ぶ。

 リベリオに食って掛かろうとする少年を、両脇に立つ処刑人が押さえつける。

 男の顔に優越感と、どす黒い悪意の波動が横切った。


「約束通りではないか。家族の元へ帰してやるのだからな」


 毒々しい液体をたたえた穴を、リベリオは意味ありげに見下ろす。

 何を言わんとしているのか──その意味を悟って、ベネットは怒りの声をあげた。


「あなたという人は──卑怯者っ!」

「卑怯? そうだとも。お前は、小娘ひとり救えぬ無能者だろう?」


 リベリオは、ベネットの無力を笑う。


「とはいえ、俺は情け深い男だ。お前に最後のチャンスをやらないでもない」


 どう自称しようと勝手だが、リベリオが最低の部類の人間であることは疑いようがない。

 男はサディスティックな光を目に宿らせ、少女を指さした。

 そして悦に入った、下卑た笑みを浮かべたのだ。


「正義の味方ごっこは終わりだ。あの娘を、お前の手で突き落としてこい。そうすれば、命だけは助けてやるぞ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る