第29話 扉の迷宮へ

 目覚めたのは悲鳴のせいだ。

 枕元にスープを入れた皿があるところをみると、丸一日眠っていたらしい。

 新たな悲鳴が、耳を強く掻きむしる。


 上半身を起こし、ベネットは息を呑んだ。

 処刑人が小柄な人影を、連れだそうとしていた。昨夜、毛布をかけてくれた少女を、だ。

 牢から連れ出されれば、待ち受ける運命は──ひとつしかない。ベネットは咄嗟に動いた。


「待って下さい!」


 駆け寄り、少女と処刑人の間に身体を割り込ませる。

 無機質な、人間味の欠片もない視線が向けられた。

 その両眼は、人というよりは爬虫類のそれに近い。


「──何か?」


 酷薄とした殺意のようなものが照射されて、ベネットは後ずさりしそうになる。

 処刑人はチェーンメイルを着込み、帯剣している。 

 丸腰で、やりあえる相手ではない。


 だが慈悲をかけてくれた少女が死地に引き出されるのを……見て見ぬ振りなどできない。

 背中越しに少女の怯えが伝わってくる。

 ベネットは、拳を強く握った。


「この娘を連れて行くのは……やめてください!」


 叫んだ刹那、ベネットは冷たい石床に這いつくばっていた。

 口の中に鉄の味が広がった。

 処刑人に顔を殴りつけられたのだと、遅れて気づく。

 無様に倒れた少年を尻目に、少女が牢から連れ出されて行く。


「……待って……ください!」


 よろよろと、ベネットは立ち上がった。

 悲愴とも言える決意を込め、叫ぶ。


「私が──その娘の代わりに行きます!」


 処刑人が、ピタリと動きを止めた。

 掴んでいた少女の手を離す。

 願いが聞き入れられたのでは、決してない。


 身の程知らずの虜囚に、分をわきまえさせる……猛然と拳を振り上げた処刑人の意図は、すぐに知れる。

 さらなる暴力に身構えた、その時── 


「良い心がけではないか」


 パチパチと、場違いな乾いた拍手が、薄暗い牢に響いた。

 処刑人の足を止めさせたのは……ベネットを欺し、濡れ衣を着せた男だ。

 入り口の壁にもたれかかり、軽薄な声を響かせる。


「美しき自己犠牲の精神というわけだ。いいだろう、お前の勇気に免じて、娘は家族の元へ帰してやろう」

「──審問官リベリオ、こいつはまだ殺すなとの命令です」

「投獄中の不慮の死は、よくあることではないか」


 耳打ちする処刑人に、リベリオは悦に入った笑みを浮かべる。 

 白い仮面と祭服を纏った男の本性は、どす黒いとしか形容のしようがない。

 リベリオは、唇を歪めて笑った。


「それでは来てもらおうか。くれぐれも失望させるなよ。楽に死なれては、あの男に話す甲斐がなくなるからな」





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





「ここは──?」


 頭がひどく混乱している。

 当然だ。禁書庫の外は──大図書館、のはずだ。

 それ以外に考えられない。


 アルヴィンは困惑しながら、周囲を見回した。

 眼前には、赤い絨毯の敷かれた、見慣れない廊下が続く。

 視界の果てまで、どこまでもだ。

 一体、何が起きたのか──


 呆然としているのは、フェリシアも同じである。

 彼女は狐に抓まれたような面持ちで、こぼした。


「……信じられない。迷宮化の魔法だよ」

「知っているのか?」


 アルヴィンはフェリシアを見やり、彼女は小さく頷き返す。


「以前に文献で読んだことがあるだけ……だけどね。今は廃れた、古典の部類に入る魔法だよ。面白みはないけれど、厄介」


 アルヴィンは注意深く廊下を観察する。 

 白壁の両側に、黒い光沢を放つ木製の扉が十メートル間隔ほどで並ぶ。

 どこまでも続く廊下と、途方もない数の扉。

 確かにこの状況は──魔法、意外に説明できる言葉はない。


「文献が正しければ、外に繋がっている扉は、一枚だけ。そして日の出までに見つけ出さないと、迷宮は閉じてしまう」

「……閉じる?」

「永遠に外に出られなくなる、ってことだよ」

「これまで還った者がいない理由が、よく分かったよ」


 雲で霞む天井を見上げ、アルヴィンは嘆息する。

 罠の存在を、警戒していたつもりだ。

 だが、まさか迷宮に迷い込むことになるとは……想像もしていなかった。

 そして同時に、疑問が頭をもたげる。


 禁書庫は、学院の創始者であるオルガナが造った。

 禁書庫は、迷宮化の魔法がかけられている。

 彼女は──一体、何者なのか。


 魔女を駆逐する学院を魔女が……いや、深く考える時間はない。

 今は、行動するしかない。


「日の出まで、まだ猶予はある。二人で手分けをして、片っ端から開ければどうにかなるか?」

「それはどうかな……」


 フェリシアの口調は、どこか歯切れが悪い。

 手近にある扉を、彼女は指さした。


「アルヴィン、試しに開けてみてくれないかな?」


 扉には銀のプレートがあり、四桁の数字が刻印されている。

 フェリシアが指さした扉は、1992番だ。


「これは──?」


 ノブを回し、アルヴィンは我が目を疑った。

 開いた先に──もう一枚、扉がある。


 いや、よく見れば、それは黒い水面である。

 扉の先の空間が、黒々とした水塊で満たされているのだ。

 中を見通すことは一切できないが、不思議なことに水が流れ込んでくる気配もない。


 指先で、アルヴィンは軽く水面に触れた。

 波紋が広がり、ゆらゆらと揺れる。


 さらに力を込めると、手首まで沈み込む。

 慌てて戻した指先は、濡れてはいない。

 あちら側には空気がある……かもしれない。


「アルヴィン、行ってみよう」

「だが……」


 水塊の中に、飛び込もうというのだ。

 フェリシアとは対照的に、アルヴィンは躊躇う。

 進んだ先に、何が待ち受けているのか一切分からない。


 単独行動ならともかく、フェリシアもいる。危険すぎる。

 だが、その辺りの思い切りの良さと覚悟は、彼女のほうが上手だったらしい。


「あのね、この扉が地獄に通じていたとしても、進まないことには迷宮からは出られないよ?」


 彼女の言うとおりである。

 朝になれば、迷宮は閉じる。

 この先に何があろうと、前に進むしか選択肢はないのだ。


「分かった。行こう、フェリシア」


 アルヴィンは決意すると、左手を差し出した。


「何があっても、守ってくれるんでしょ?」


 フェリシアは笑い、その手を握る。

 大きく息を吸い込む。


 二人は、黒い水面へと飛び込んだ。

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