第26話 ココではない、ドコか

 カチャリ、と乾いた金属音が響いた。

 何の抵抗もなく扉は開かれる。


 先に足を踏み入れたのは、アルヴィンだ。

 慎重に内部を覗う。想像した通り、禁書庫は五人も入れば窮屈さを感じる広さだ。

 誰も生きて還ったことのない禁書庫──というには、こじんまりとしたものだ。

 空気はひんやりとしている。


 人が立ち入るのは何十年ぶりか。……いや、下手をすれば、何百年ぶりかもしれない。

 長年閉ざされていたにもかかわらず、不思議と空気に淀みはない。埃っぽさも感じられない。

 安全を確認し、入り口で待つフェリシアに目配せをする。


 書架が、壁に沿ってコの字型に配されている。

 アズラリエルは、探すまでもない。


 正面に、革表紙の書が無造作に置かれていた。

 見た限り、書庫にあるのは一冊だけだ。


「これが、アズラリエル?」


 二人は顔を見合わせる。

 書に近づき……アルヴィンは足を止めた。

 背後で、空気が動いた。


 とっさに振り返った瞬間、バタリ、と扉が閉まる。

 褒められた方法ではないが、アルヴィンはドアストッパー代わりに、手頃な厚さの書を扉に差し込んでいた。

 それが外れ、閉じたのである。


 そしてほんの僅か、人の気配が感じられ──いや、見回しても、二人以外に誰もいない。

 無論この小部屋に、身を隠せるような空間はない。


 気のせい、だったのか──


「どうしたんだい? アルヴィン」

「……なんでもない」


 はっきりと、言葉にはできない。

 だが……何か、よくない感じがする。

 アズラリエルを手に入れて、早々に立ち去るべきだ。アルヴィンは、革表紙の書に手を伸ばす。


 ずしり、と重い。

 そして──


「なんだ……?」


 アルヴィンは書を開いて、目を疑った。

 どこを開いても、白紙なのだ。


「ちょっと見せてくれるかい?」


 脇から身を乗り出し、フェリシアがのぞき込む。

 彼女は手をかざすと、詠うかのように声を響かせる。


「Sequere mandata mea et ostende mihi veritatem」


 刹那、紙面に青い燐光を放つ文字が浮かび上がった。


「古言語に反応したね。驚いた。ここまで高度で精緻な構成は、初めて見るよ」


 白い指が文字なぞると、輝き、綴りが変化していく。


「断定はまだできないけれど、アズラリエルの可能性は高いよ。外で詳しく調べよう」


 アルヴィンは頷く。

 禁書庫に立ち入り、アズラリエルと思われる書を手にした。

 罠らしい罠もなく、順調、といってもいい。


 だが──心のざわめきが、おさまらない。むしろ、大きなうねりへと変化しつつある。

 書に視線を落とし……アルヴィンは賢明なことに、ひとつ保険をかけた。


「アルヴィン! 行くよ!」


 催促の声に、今度こそ扉へ向かう。

 ノブを回す。

 禁書庫に閉じ込められるのでは──不安が頭をよぎるが、それも杞憂にすぎない。


 扉が開き、アルヴィンは呻く。

 背後で、フェリシアが息を呑む気配が感じられた。


「……!」


 眼前に、赤い絨毯が敷かれた、見慣れない廊下が伸びていた。

 ずっと先まで……終端が見いだせないほど、真っ直ぐにだ。


 両脇の白壁には、無数の扉がある。

 頭上を見上げれば、薄い雲がかかり天井は霞む。


 ──そこは、大図書館ではない。


 やはり、何事もなく済むはずがない。

 二人は大図書館ではない、どこかへと誘われたのだ。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 昼なのか、夜なのか分からない。 

 時間の感覚が麻痺した中、一日に一度だけ、水のような粗末なスープが与えられる。

 それで一日が過ぎたことを知るだけだ。


 不思議と、空腹は感じない。 

 そして投獄されてから、一睡もしていない。

 あの男が言ったとおり、これは緩慢な死を待っているに過ぎない。

 ベネットは微動だにせず、じっと石壁を見つめている。


 牢には、ベネット以外にも数人の虜囚がいた。

 食事の後、決まってひとりが外に連れ出され、新たにひとりが補充される。

 戻ってきた者はいない。

 どんな運命が待ち受けているのか……昼夜を問わず響く悲鳴で、嫌でも想像はつく。


 同室者たちがベネットに向ける感情は、お世辞にも友好的とは言い難い。 

 当然だ。

 ベネットは祭服を着ている。


 彼らからすれば、教会側の人間──加害者の、仲間なのだ。

 師と、仲間だと思った男に裏切られた、哀れな元審問官見習いだと説明したところで……理解などされまい。

 赦しを乞うたところで、惨めさが増すだけだ。


 何が間違っていたのか……

 なぜこんな事になってしまったのか……


 いくら自問したところで、答えはでない。 

 後悔と絶望で、頭がおかしくなりそうだ。

 冷たい石床の上で身体を丸め、震えるしかない。


 その時だ。

 そっと、何かが被せられた。


 反射的に飛び起き、ビクリと怯えた、小さな影と目があう。

 ベネットにかけられたのは──すり切れた毛布だ。

 傍らに、六歳ほどの少女がいる。


 弛緩した脳細胞に、ようやく理解が追いついた。

 毛布もなく震えるベネットに、かけてくれたのだろう。


「これは……君のだろう?」 

「もう一枚ありますから……大丈夫です……」 


 小さな声で言うと、返事を待たずに壁際に駆けて行った。

 あんな奴に、という舌打ちが耳に届く。

 不意に、目頭が熱くなるのを感じた。


 自分でも驚いた。

 頬を涙が濡らして、ベネットは頭から毛布を被った。


 ひとしきり涙した後──ベネットは、眠りに落ちた。

 


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