第5話 期末考査は走り出す

「どういうことなのよ!? 同点なんて、あり得るのっ!?」


 殺気立ったアリシアの声が残響する。

 双子だけでなく、廊下にはヴィクトルとベアトリクスの姿もある。

 それぞれの期待を裏切る結果だったのだろう……一様に苦々しげな面持ちである。


 その中で、アルヴィンだけが安堵していた。

 ベアトリクスに謝罪を強要することもなく、彼も退学を免れる──結果として申し分ない。


 敵だらけの状況で、健闘したと思う。

 首席は次の考査で取り返せばいいのだ。

 これでこの騒動は、一件落着である。


「はい同点でしたね、お互い頑張りましたね、で終わり!? いいの、これでっ!?」

「──こんなのはどうでしょう?」


 安心するのは……早かった、かもしれない。

 荒ぶるアリシアの隣で、エルシアが静かに口を開く。


 彼女は窓の外、図書館へと視線を転じた。


「先に天使をつかえまえた方が勝ち、というのは?」

「……おっしゃる意味が、よく分かりませんが……」

「図書館の頂に、大天使の像がありますわ。競争をして、先にロザリオをかけた方を勝者とするのです。勇気と体力をかね揃えた、まさに首席に相応しい学院生と言えますわ」


 ……とんでもないことを言い出した。


 双子の無茶ぶりは今に始まったことではないが、今回ばかりはとびきりだ。

 そんな無謀な勝負、認められるはずが──


「悪くないアイデアではないか」


 ヴィクトルは、あっさりと認める。

 アルヴィンは顔を青ざめさせた。

 教官として、そこはたしなめるべきではないか……


 そしてアルヴィンは、エルシアのしたたかな思惑に気づく。

 大天使の像にロザリオをかければ、学院生に人権が返却される……そんな伝説があったはずだ。

 仮にアルヴィンが負けたとしても、双子に損はない。


 だが、だ。挑戦する者の身にもなって欲しい。

 尖塔の頂は、六十メートル近い高さにあるのだ。


「……落ちたら普通に死にますが?」

「審問官に、安全な現場があるとでも?」

「湖の方に落ちたらいいのです!」


 ヴィクトルも双子も、よほど白黒をつけさせたいのだろう、鼻息は荒い。

 確かに図書館は、湖の畔にある。

 運が良ければ助かるかもしれない。

 だが三月とはいえ……外は雪がちらついている。


「君はどう思う?」


 まともな神経の持ち主なら、こんな勝負には乗るまい。

 言外に同意を求めて、アルヴィンはベアトリクスを見やる。

 彼女は切れ長の目に、厳しい色をたたえた。 


「──手紙を、読んでくれましたか?」

「手紙?」


 突然何の話なのか……訝しむ。

 半拍ばかりの間を置いて、エルシアが挑戦状を預かったと話していたことを思い出す。


 つまり負けたらどうなるか忘れるな、と言いたいわけか。

 アルヴィンは重々しく頷く。


「私はやります」


 それを見て彼女は、迷いなく断言した。


「それでは始めるのです!」


 始まりは、いつだって唐突だ。

 そしてアルヴィンの意志などおかまいなしだ。

 抗議する間などない。


 キン! と、硬質の音が響いた。

 エルシアがコインを指で弾いたのだ。


「地面に落ちたら開始なのです!」


 クルクルと回転しながら、宙に弧を描く。

 コインが床に落ち、跳ねる。


「……どうしていつもこなるんだっ……!」


 こうなったら、やるしかない。

 二人は同時に駆け出した。


 狭く薄暗い廊下を、全力で疾走する。

 行き交う学院生の間をすり抜け、とにかく図書館を目指す。

 前に出たのは、ベアトリクスだ。 


 二人は本校舎から外へ飛び出した。

 吐き出した息が、たちまち白く変わる。


 さらに加速するベアトリクスとは対照的に、アルヴィンの動きは鈍る。

 身体が、泥のように重い。

 連日の徹夜と必殺クッキーが、アルヴィンの足運びを緩慢なものにさせていた。


「くっ……!」


 ベアトリクスの背中が、見る間に小さくなっていく。

 遅れてアルヴィンが図書館に辿り着いた時、もはや視界の中にはいない。


 いや──違う。

 彼女は、ちょうど館内の中程にいた。 

 腹部を押さえ、床にうずくまっている。


 ──なんだ?


 空気が、ひりつくような緊張感を帯びていた。 

 一歩踏み出し……刹那、アルヴィンは飛びすさる。

 直前までいた空間を、猛烈なスピードで何かが襲った。


 それは銃弾でも、凶刃でもない。凶器ですらない。 

 この空間において、ありふれた物──本だ。


 静かな殺意を感じ取り、アルヴィンは視線を走らせる。

 受付カウンターで、仁王立ちしているのは──


「クワイエット婦人!」


 アルヴィンは思わず絶句する。

 婦人の背後で、怒気が陽炎のように揺らめいていた。


 先日の一件もある。図書館に飛び込んできた二人を、静穏を乱す異端分子と認識しているに違いない。

 目尻をつり上げた婦人の怒りは、相当なものだ。


 続けざまにアルヴィン目がけて、数冊の本が投じられる。

 狙いは極めて正確で、ベアトリクスをひざまずかせるほどの威力がある。

 一冊でも当たれば、悶絶するだろう。

 さながら、沈黙の狙撃手だ。


 すんでのところでかわし……尖塔へ通じる螺旋階段へ走り込む。

 階段を上りかけ、アルヴィンは振り返った。


 彼女は、まだ動けずにいた。

 一瞬、目が合う。目元に涙が浮かんでいた。

 次の瞬間、身体が動いた。


 アルヴィンは、うずくまったベアトリクスへと走った。

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