第4話 どこもかしこも敵だらけ
アルヴィンは、この男──ヴィクトルが苦手だ。
これまでの浅からぬ因縁により、目をつけられているというよりは敵視されている。
「小生は君が、学院に相応しくないと考えている」
侮蔑を隠しもしない態度に、今更驚きはない。
男は冷ややかな視線を投げかける。
「小生が勝負の立会人となる。君が負けなければ彼女が謝罪を。彼女が勝てば服従すること。どうかな?」
「いいわっ。受けて立つわ!」
「私は構いません」
「ちょっと! 僕の意志は!?」
アルヴィンの心の底からの叫びは、同席者達から丁重に無視された。
どうして皆、当事者の意志を置き去りにして話を進めていくのだろう?
もはや反論など、許されない空気が漂っている。
「結局こうなるのか……」
絶望的な呟きとともに、アルヴィンは頭を抱えた。
問題はちっぽけで、シンプルだったはずだ。
そもそも、ベアトリクスの謝罪など必要としていない。
それが女同士の意地のぶつかりあいと、性悪な教官の私怨が化学反応を起こして、事態を複雑化させたのだ。
「大丈夫なのです。私たちが教えますわ」
エルシアがそっと耳打ちをする。
不思議である。まったく安心できない。
むしろ真夏の積乱雲のように、不安はモクモクと湧き上がる。
だがそれは──アリシアの烈火のごとき声に吹き飛ばされた。
「アルヴィン! 絶対に勝ちなさい、これは会長命令よっ!!」
「それでは決まりだ!」
ヴィクトルは高らかと声をあげる。
そして尊大な笑みを浮かべ……刹那、硬直した。
幽霊でも見たかのように、顔を引きつらせる。
理由は直ぐに知れた。
絶対零度の空気をまとう女性が立っていた。
司書長の、クワイエット婦人である。
ざわついた館内が、水を打ったように静まりかえる。
一言も発しないままヒールの音だけを響かせて、婦人はヴィクトルの前に進む。
「こ、これはスランヴァ……ヴァイルプー……クワイエット婦人! ごきげんよう! な、なにかご用か……痛たっ! し、小生は大事な話の……ふ、婦人っ!?」
婦人はヴィクトルの戯れ言など、興味がないようだ。
無言のまま耳を掴み、容赦なく引っ張る。
「ふ、婦人! これは指導で──!!」
そのまま図書館の奥へと、問答無用でヴィクトルを連行して行く。
「か、覚悟しておくことだな! アルヴィンっ!」
捨て台詞だけを残して、姿は消えた。
信じがたい光景に唖然とする他ない。
「なんなのよ、あの人は……」
アリシアも呆れ顔だ。
気づけば、周囲を取り巻く学院生らの姿は散り散りになっている。
巻き添えで婦人の怒りを買っては、たまらない。賢明な判断である。
とにかく、やるべきことは決まった。
毒気を抜かれた双子とアルヴィンは、そそくさと図書館を後にした。
「──エルシア先輩」
図書館を出て、少し経った時だ。声をかけられて、最後尾を行くエルシアは振り返った。
呼び止めたのは、ベアトリクスである。
前を歩く二人は気づいていない。
まだ何かあるのか……エルシアは警戒しながら、ひとり相対する。
「何を企んでいるのです? いくらプライドを傷つけられたからといって、やりすぎなのです」
勝負に敗れた時、ベアトリクスは謝罪だが……アルヴィンは退学となる。
どう考えてもアンフェアである。
事態を悪化させた張本人であることも忘れて、エルシアは憤慨する。
肩にかかったハニーブラウンの髪をかき上げながら、ベアトリクスは事もなげに言い返した。
「勝てばいいだけのことではありませんか。勝者が敗者の運命を握るのは当然のこと。なにがおかしいと言うのです?」
さすがはあのヴィクトルのお気に入り、というべきか。
その主張は優等生の仮面を被った……完全に、ヤバい奴だ。
「それに、先輩方はズルいですわ」
「ズルい……? 何がですの?」
ベアトリクスは答えない。
代わりに差し出されたのは──封書である。
「……なんですの?」
「彼に渡してください」
ベアトリクスの表情と封書を見比べて、エルシアはその意図を正確に理解した。
「挑戦状というわけですわね。いいですわ!」
ひったくるように受け取ると、ポケットにしまい込む。
招かれざる立会人の参戦はあったものの……こうして、オルガナの首席を争う戦いが始まったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日の夜から、双子が両脇について猛勉強が始まった。
オルガナの考査は神学に始まり、礼拝学、教理学、教会史、魔女総論、実技は剣術、射撃術、審問術……実に多岐にわたる。
もちろん、昼間はそれぞれ講義がある。
それが終わった夜、双子が寮に押しかけてきてアルヴィンに教えるのだ。
夜な夜な双子の美少女に挟まれて勉強……そちらのヘキの持ち主であったなら、歓喜の雄叫びをあげたかもしれない。
だが残念ながら、アルヴィンはノーマルな男だ。
可憐な外見の双子に対して、一切の幻想を持ち合わせてはいない。
そして抱いていた不安は、早々に現実のものとなった。
勉強の相性が……悪すぎるのだ。
努力型の秀才であるアルヴィンに対して、彼女らは天才肌だ。
「百点以外の点数ってあるのね、知らなかったわ」
「たった三百ページなのでしょう? 一時間で暗記できますわ」
こんなアドバイスの、どこを参考にすればいい?
歯車は全く噛み合わない。
結果、アルヴィンは双子が帰った後……深夜に勉強をやり直すハメとなった。
ただでさえ少ない睡眠時間が、ほぼゼロとなる。
さらにアルヴィンを苦しめたのが、双子が持参する夜食と称するものだ。
必殺クッキーなる黒焦げとなった物体は、彼の胃袋を痛めつけた。
双子はなぜか食べない。
そもそもネーミングは、必勝クッキーが正しいのではないだろうか。
双子は何を葬ろうというのか。
考査が終わるまでの十日間、真の敵は身内にいるという事実を、アルヴィンは嫌というほど思い知らされた。
メンタルと体調の双方を散々痛めつけられ──ついに、全ての考査を終えた。
──一週間後。
「ダメよっ! こんな結果、絶対にダメ!!」
教官室にほど近い、本校舎の廊下に結果が張り出されていた。
その前で、アリシアが地団駄を踏みながら憤る。
そう、アルヴィンとベアトリクスは──同点で、一位だったのだ。
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