第3話 小悪魔な双子とサイコパスな彼女

 スティルウエル湖畔に建つ図書館は、オルガナでもっとも粛然とした場所だろう。

 古い聖堂を改修した名残で、建物には尖塔が残る。

 その頂から学院を睥睨するのは、知識を司る大天使ラジエルだ。手に聖書を持ち、翼をはためかせた黄金の像である。


 余談だが、大天使にロザリオをかけることができれば、学院生に人権が返却されるという伝説があるらしい。

 ただし頂上まで数十メートルはあり、実行するなど正気の沙汰ではない。

 噂によると三十年ほど前の卒業生が成し遂げたらしいが……真相は闇の中だ。


 図書館の頂に君臨するのが大天使であるなら、地上にはもうひとりの絶対的な支配者がいた。 


 司書長の、スランヴァイルプールグウィンギル婦人だ。

 もう一度言う。

 スランヴァイルプールグウィンギル婦人だ。


 名前が長すぎて、もはや正確に彼女を呼べる人間は学院内に存在しない。……学院長でさえも。

 だから彼女に用がある者は、簡潔にこう呼ぶのだ。


 クワイエット婦人、と。 


 彼女とって、図書館の静穏を乱す物はすべて悪である。

 閲覧室の一角で起きたざわめきに、婦人は鋭い視線を走らせた。





「──それで、ご用件とは?」


 自習中だったのだろう、ベアトリクスは分厚い革表紙の本をパタリと閉じた。 

 立ち上がり、突然押しかけてきた双子を静かに見据える。

 アルヴィンには、冷たい一瞥をよこしただけだ。


 鉄の女を前にした時、大抵の人間は違和感を覚えるだろう。

 鉄仮面を被っているわけでも、ましてや青色の血が流れているわけでもない。

 

 顔立ちは整っていて、切れ長の目に漂うのは知性だ。

 髪はハニーブラウンのストレートヘアーで、腰元までの長さがある。服装に一切の乱れはなく、革靴は顔が映るほど磨きこまれていて、鏡のようだ。

 まるで歩く規律とでも言うべき雰囲気である。 


 アリシアはベアトリクスを前にして、鼻を鳴らした。 


「決まってるでしょう? 恩知らずさんにご挨拶にきたのよ」


 頼むから穏便に話を進めて欲しい。

 アルヴィンの願いとは裏腹に、一言目から戦闘体勢である。

 閲覧室には四人を遠巻きにして、人だかりができていた。 


「恩知らず? なんの話でしょうか?」


 ベアトリクスは動じた様子もなく、問い返す。


「あなた入学して間もない時期に、アルヴィンに助けてもらったそうね? それなのに、お礼のひとつも言っていないとか」

「人として、一言あってしかるべきなのです。それが礼儀なのです!」


 まさか双子が人の道を語る日がくるとは……今日は新たな発見が多すぎる。


「私は助けてくれなんて、頼んでいませんわ」


 さすがは鉄の女、というべきだろう。

 学院内で恐れられる双子を前にして、堂々と言ってのける。

 館内の空気が、一瞬にして氷点下まで冷え切った。


 取り返しがつかなくなる前に止めなくては──アルヴィンは間に割って入る。


「先輩がた、彼女の言うとおりです。僕が勝手にお節介をしただけです。礼を言う必要などありません」

「あなたは黙っていて! わたしたちの問題なのっ!!」


 違う。アルヴィンの問題である。

 だが正論は双子と……なぜかベアトリクスの三人によって完全に封殺された。

 アリシアは苛立たしげに、腕を組む。


「──ベアトリクス、謝るつもりはないのね?」

「もう一度言う必要がありますか?」


 アルヴィンの目に、不可視の火花が飛び散る光景が見えた。 

 彼女の度胸には驚かされる。

 ここまで双子と張り合う人間に、未だかつてお目にかかったことがない。 


「謝る気がないのなら、仕方ないわね。じゃあ……こんなのどうかしら?」


 アリシアは、小悪魔めいた微笑みを浮かべた。


「アルヴィンと、次の期末考査で勝負をなさい」

「勝負、ですか?」

「そうよ。アルヴィンが首席になったら、あなたが土下座して謝罪するの」

「先輩! それはやりすぎです!」

「分かりました」


 ベアトリクスは一歩も引き下がらず、決然と言葉を継ぐ。  


「その代わり、私が首席を守ったら──」


 スッと腕を伸ばし、彼女はアルヴィンの顔を指さした。

 そして、とんでもない一言をつけ足した。


「──彼をください」

「はっ!?」


 聞き間違い、ではない。

 アルヴィンを指さして、まるで駄菓子屋でお菓子を選ぶように──さらりと、くださいと言った。


 なぜ? ……なんの思惑があって? 


 彼女の表情からは、何の意図も読み取れない。

 これまでの友好的ならざるやりとりを考えれば、警戒すべきだろう。

 生殺与奪を握った上で、アルヴィンを学院から追放する腹づもりなのか…… 


「──良かろう」


 陰湿さと粘度を帯びた声が、アルヴィンの思考を中断させた。

 それは中年の男のものだ。

 声の主を見やり、アルヴィンは絶句する。人だかりが割れる。


 進み出たのは神経質そうな、黒髪を肩まで伸ばした男だ。

 審問術を担当する教官、ヴィクトルである。


「小生が、その勝負の立会人となろうではないか」


 不吉な宣言が、アルヴィンの鼓膜を震わせる。

 ヴィクトルは蛇のように、音を立てず笑った。

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