第2話 ライバルは鉄の女

「──鉄の女?」


 アリシアは小首をかしげた。


「ベアトリクス、です」

「知ってるのです。鉄の女ベアトリクス、ちょっとした有名人ですわ」


 深刻な表情を浮かべるアルヴィンに、エルシアは頷き返す。

 色々と規格外なオルガナではあるが……鉄製の学院生が在籍するわけではない。

 ベアトリクスはアルヴィンのクラスメイトだ。人間である。


 男子顔負けの体力と鋭敏な頭脳を持ち、性格は厳格で、さながら正義の女神のよう。

 彼女の優秀さに、疑いをはさむ余地はない。

 余地はない……のだが、誰も見たことがない。


 ──彼女が笑ったところを、だ。


 常に鉄仮面のようなポーカーフェイスで、つけられた渾名が鉄の女、である。

 噂によると、あのヴィクトル教官のお気に入りでもあるらしいが……


「それで、最近あなたが挙動不審だったのは成績不振のせいだって言うの? そんなつまらない理由?」

「つまらない理由なんかじゃありません」


 ため息とともに吐き出された言葉は、重く暗い。


 昨年のクリスマス・イブに催されたプロムナード──詳しくは思い出したくもない──で、アルヴィンは大きなダメージを負った。

 未だに尾を引き、精神的に絶不調である。


 勉強に集中できないまま中間考査をむかえ、不覚にもベアトリクスに首席を奪われたのだ。

 それは人生を左右する大問題、といっても過言ではなかった。


 学院生はオルガナを卒業した後、見習いとして一年間、先輩審問官に師事する。

 誰を師とするか──成績上位者から指名していくのが学院の伝統だ。 

 彼には何としても師事しなくてはならない、審問官がいる。


 もちろん”首切り”と渾名されるその男を、指名する物好きなど、そうはいまい。

 だがベアトリクスが、何かの気の迷いで指名をした時……アルヴィンの計画は、終わる。


 これまでの努力は、全て水泡に帰してしまう。


「主席を取り戻すために連日徹夜で勉強をしていて、部室に来れなかったと? 全部あたしたちの勘違いだと?」

「その通りです」

「どうしてそこまで必死になるのです? たかだか首席でしょう」


 万年首席の双子にとって、それはとるに足らない栄誉なのだろう。

 アルヴィンは返答に迷った。

 彼女らは、彼の抱える事情を知らない。

 下手に話して、巻き込みたくはない……


「合点がいきましたわ」


 だが真実を伏せたら伏せたで、無責任な尾ひれがつくものである。

 アリシアは獲物を狙うヒョウのように目を細める。

 

「アルヴィン、あなたが狙っているのは首席ではなく、ベアトリクスの心ですわね?」

「? ……おっしゃる意味が分かりませんが……?」

「彼女が好きで振り向いて欲しいから、首席を取り戻そうと躍起になっている。そういうことでしょう?」


 エルシアの声は確信に満ちている。

 隣でアリシアが、感心したように手を打った。


「さすがはエルシアね! アルヴィンの下心を見破っちゃうなんて!」


 汚らわしいゲス野郎を見るかのような双子の視線を受けて、アルヴィンは思わずよろめく。


「何を言うんですか!? 僕は純粋な気持ちで首席を取り戻したいだけです!」

「噓おっしゃい! ムキになって否定するところが怪しいじゃない」

「ですからっ。そもそも僕は、相当嫌われているです! 彼女を……フレイマーから助けたせいで!」


 疑い深い双子を前にして、アルヴィンはげんなりとする。

 フレイマー(炎上魔)とは、下級生をいびる上級生を指す隠語だ。

 要するに、嫌な奴である。


 オルガナでは着席の禁止を始めとして、最下級生を襲う理不尽は枚挙にいとまがない。

 学業と日常生活の両面でストレスを徹底的にかけられる。


 それは審問官として不適格である者──精神的な脆さを持つ者を、ふるい落とすためだ。

 魔女と対峙した時、一瞬の判断ミスが生死を分ける。

 全てはストレスから感情を分離させ、冷静な判断を下させる訓練なのだ。


 教官も上級生も、決して好きで虐げているわけではない。(好きでする者もいる)

 とは言え、不必要に下級生をいびるフレイマーにだけは絶対になるまい、とアルヴィンは思う。


「あたしフレイマーの連中だけは好きになれないのよね」


 エルシアが形のいい眉をひそめながら頷く。


「同感ですわ。自分よりも立場の弱い、反抗できない相手をいぢめるなんて、最低の人間ですわ」


 同族嫌悪、というべきなのだろうか。

 アルヴィンは二人を前にして、驚きを隠せない。


「でもベアトリクスはライバルでしょ? どうして助けたのよ?」

「……見て見ぬ振りができなかったんですよ」


 アルヴィンはため息交じりに答える。

 あれは入学から間もない頃だった。

 たまたま廊下で、フレイマーに絡まれているベアトリクスを見かけたのだ。


 確か教皇ファビアノの回勅について論ぜよとか、そんな詰問をされていたように思う。

 入学間もない学院生に、酷な問だ。

 もし答えられなければ──たちまち飢えたオオカミのような上級生らに、つるし上げられるだろう。


 周囲が素通りする中で、アルヴィンは通り過ぎることができなかった。

 だから、彼女の代わりに答えたのだ。

 ガリ勉が初めて人助けに活きた。


「なによ、いい話じゃない!」

「むしろ逆です」


 アルヴィンはうんざりとした表情で肩をすくめる。


「僕のお節介が、彼女のプライドを傷つけたみたいで。お礼もなく、ひと睨みされて終わりです」 


 思えばその一件からである。

 ベアトリクスから、尋常ならぬライバル心を向けられ始めたのは。

話かけても冷たく無視され、ろくに会話をしたこともない。


「アルヴィン、事情はだいたい理解したのです」


 エルシアの口調は静かだ。

 質の悪い誤解はあったものの……どうやら分かってくれたらしい。

 アルヴィンは胸をなでおろす。


「ありがとうございます。それでは、僕は考査の準備を──」

「待ちなさい」


 安心するのは、早かったかもしれない。


「そうと決まれば、行くのです!」


 双子はサファイアのような碧い瞳に、正義の炎を燃やしていた。

 アルヴィンは、嫌な予感しかしない。 


「……行くとは、どこにです?」

「決まっているのです。ベアトリクスの元なのです!」

「なぜですっ!? 僕の話を聞いていましたかっ!?」

「恩を仇で返されたってことでしょ? 黙っていられないわ!!」

「彼女に会って何をするんです!?」


 誤解は解けた。

 そして事態は、より厄介な方向へ転がり始めた。

 困惑するアルヴィンを前に、双子は腰に手を当てて声を綺麗に唱和させた。


「決まってるじゃない! 宣戦布告よ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る