短編 愛と期末考査のオルガナ
第1話 三月は恋のはじまり
「──恋をしてる? ……誰が?」
「アルヴィンなのです!」
跳ねるようにエルシアが声をあげた。
その双眸は、確信に満ちた色をたたえている。
アリシアは琥珀色の液体が満たされたティーカップを、静かにソーサーに置く。
「本当に? あのアルヴィンがなの?」
彼女の表情は半信半疑……いや一信九疑というべきか。
そこは魔女を駆逐する術を学ぶ学院──通称オルガナにある一室だった。
扉には、厳めしい字で『魔女研究会』と記された札がかかっている。
部室にいるのは二人だけだ。
赤いビロードの椅子に腰掛けた、会長のアリシアと副会長のエルシアである。
金髪碧眼の双子には、ネモフィラの花を思わせる可憐さと愛らしさがある。
整った目鼻立ちは、まるで妖精のようだ。
ただし……決して、外見に惑わされてはいけない。
その内面では、常にハリケーンが一ダースほど荒れ狂っている。
学院で、魔女よりも魔女らしい、と恐れられる双子なのだ。
「絶対に間違いないのです!」
エルシアに力強く断言されて、アリシアは白い手を頬にあてて黙考した。
ガリ勉で、女心のひとつも理解できないあの男が恋など、はっきり言って想像できない。
だがエルシアの観察眼と直感は、侮れないものがある。
それに……言われてみれば、違和感はあった。
前代未聞のパイ投げ大会となったプロムナードの直後から、アルヴィンの様子がおかしかった。
やたら鏡を見ては、ため息をついていたように思う。
あれは何だったのだろう? 思春期特有の病気なのだろうか?
はっきりと確認できないまま三月を迎え……目に見えておかしくなったは、ここ数日である。
話しかけても上の空で、心ここにあらずの顔だ。
魔女研究会の部室にも、顔を出さない。おかげで紅茶を自分たちで淹れないといけないので困る。
アリシアは、はたと手を打った。
「……そう言えば昨日、壁にぶつかって壁に謝っているところを見たわね」
「ほら、やっぱり! 思い人のことばかり考えているのです!」
「じゃあ……恋なのっ!?」
「酷い話なのです! フェリックスさまを失ったわたしたちを置き去りにして、自分だけ幸せになろうなんて!!」
普段温厚なエルシアが憤り、拳を振り回す。
双子からするとアルヴィンは、外見はいいけど女心を理解できない、干し大根にも劣る残念な奴なのだ。
ひとりだけ抜け駆けして幸せになろうなど、断じて許されない。
「行くわよ、エルシア!」
裏切者を問い詰めるべく、二人は猛然と部室を飛び出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
オルガナの校舎は、ゴシック様式の質実剛健とした石造りである。
広大な敷地を擁し、風光明媚なスティルウエル湖畔に佇む大陸屈指の難関校……といえば聞こえはいいが、近くの村まで馬車で五時間はかかるド田舎にある。
校舎の中は狭くて薄暗く、とにかく冬は冷え込む。
三月だというのに雪のちらつく外を見れば、色彩のない灰色の世界が目に映る。
何も知らぬ者が見れば、オルガナを巨大な墓標と勘違いするに違いない。
学院生よりも校庭にいる鳩の方が自由、とさえ囁かれる厳格な規律を考えると、あながち間違いではないが……いや、話が脱線した。
本校舎から少し離れた場所に、男子寮がある。
放課後、その一角で落雷と錯覚するほどの声が響き渡った。
「どういうことなのっ、アルヴィン!?」
「自分だけ幸せになろうなんて、許せないのです!!」
寮の一階にある、四人部屋の一室。
そこで黒髪の少年が左右から責め立てられていた。
まだ幼さが残る痩身の少年は──アルヴィンだ。
ルームメイトの姿はない。
双子の顔を見るや、彼を置いて蜘蛛の子を散らしたように逃げ出したのだ。
薄情なものである。
結果、部屋にはアルヴィンと双子しかいない。もはや逃げ道はない。
アルヴィンは困惑の色を濃くしながら、尋ねた。
「……先輩方、順序だてて最初から説明をしていただけませんか? 扉を蹴り飛ばすなり『どういうことなの!?』では、さっぱり分かりません」
変声期をまだむかえていない声は、悩ましさで溢れている。
双子と出会ってもうすぐ一年になるが、気まぐれで奔放な振る舞いに翻弄されっぱなしだ。
そもそも異性の寮への立ち入りは、昼間であっても規則違反である。
「白々しいわよ!」
手厳しい指弾が飛んだ。
「アルヴィン見損なったのですっ。わたしたちに黙って恋をするなんて!」
「こ、恋っ!?」
目を白黒させたアルヴィンの胸元に、アリシアは人差し指を突き付ける。
「そうよ! ため息ついたり、ボーッとしたり、壁に謝ったり、恋しか考えられないでしょ!?」
「正直に自白するのです!」
とんでもない誤解が生じている──
アルヴィンは頭痛を感じて、こめかみの辺りを手で押さえた。
どう説明すれば穏便に納得してもらえるのか……
「あのですね……確かに僕が悩んでいるのは事実です」
「ほら見なさい!」
「最後まで聞いてください。お二人は今が何の時期か、分かっていらっしゃいますか?」
「じれったいのです! はっきりと言うのですっ!」
「明日から、期末考査が始まるんです」
「だから、なんなの!?」
「ですから! 僕が悩んでいたのは恋などではなく──」
アルヴィンの声に、深い深い苦悩の響きが混ざる。
「考査のことです! 奪われたんですよ、首席を鉄の女に!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます