第21話 二人の魔女

 アルヴィンは静かに待った。

 灯りもつけず、暗闇の中をじっと待った。

 

 そこは無惨に半壊した、枢機卿マリノの寝室だ。

 職人が丹精を込めて編み上げた絨毯は黒焦げになり、壁紙も剥がれている。

 部屋は惨憺たる有様だ。


 割れた窓もそのままにされ、流れ込んでくる夜気は冷たい。

 主を失った邸宅は、廃墟のようだ。


 軽く壁によりかかったアルヴィンの脇に、修道士ジョセフを描いた絵画があった。

 変わり果てた部屋で──それだけが傷ひとつなく、元の形を保っている。


 時刻は日付が変わったくらいか……

 ミシ、ミシと階段が軋む音に、アルヴィンの鼓動が跳ねた。

 息を殺し、慎重に気配を探る。


 足音はゆっくりと、二階へ上がってくる。迷いなく、寝室の前まで進む。

 ほんの僅か、空気が動いた。

 ノックはない。

 扉のノブが回り、人影が入ってくる。侵入者は、ひとりだ。


 一体何者か──


 寝台の脇にあるマホガニー製のチェストへ近づき、物色を始める。

 その背中に向け、アルヴィンは拳銃を向けた。


「──動くな」


 低く発せられた警告に、影がピタリと動きを止めた。


「両手を挙げて、こちらを向くんだ」


 侵入者が振り返る。

 刹那、手が鋭く閃いた。


 鈍い銀色の輝きを視界の隅に捉えて、アルヴィンは床を蹴った。咄嗟に身を投げ出し転がる。

 銃弾か、魔法か。


 放たれた物体がなにであったにせよ、石壁に深い穴が穿たれたことは間違いない。

 僅かでも反応が遅れれば、身を持って受け止めることになっただろう。

 床を転がり、跳ね起きる。


 侵入者は目の前だ。

 拳銃を使うには、間合いが近すぎる。 

 左手に拳銃を持ち替え、アルヴィンは手刀を放った。


 鋭い一撃が、ダークブロンドの髪を揺らした。 

 頸部を打つ寸前で……手は急停止した。

 女の顔を目にして、アルヴィンは、ぐらりと頭の中が揺れるのを感じた。


 ……予想は、していた。


 今夜ここに来る者があるとすれば……彼女に違いないと。

 月の雫のような、澄み切った声が響いた。


「──三年ぶりなのに、つれない挨拶ね」


 割れた窓から、青白い月光が差した。

 百合の花を連想させる気品のある顔立ちと、碧い瞳が浮かび上がる。

 知性と意志の強さを感じさせる眼差しが、そこにはある。


 怯えなど、一切感じられない。

 春物の薄手のコートを着た女は、口許に笑みを浮かべていた。


「私は武器を向けられると、なぜだか落ち着かなくなる質なの。まずはこの手と拳銃を下げてもらえるかしら」 

「──君が偽者でないという証拠は?」

「あなたは、分かっているはずよ」


 女の声は、自信に満ちている。

 これほど不遜で……そして美しく気高い魔女は彼女の他にいまい。

 アルヴィンは胸の底にわだかまる感情を吐き出すように、声を絞り出した。


「生きていたんだな、クリスティー……」

「お久しぶりね、アルヴィン」


 クリスティーは、にこりと微笑む。

 三年ぶりだというのに、口調は朝の挨拶を交わすような気安いものだ。

 探し続けた彼女を前にして……だがアルヴィンの気持ちは、重苦しいものとなった。

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