第20話 愚者を送るレクイエム

「──起きろっ!」


 粗野な声とともに、激痛が走った。

 前触れなく腹部を蹴りつけられ、ベネットは激しくのたうつ。

 見開いた目に、白い輪郭をした男たちが映る。


 そこは、天国でも地獄でもない。魔女と死闘を繰り広げた、仕立屋の店内だ。 

 七人の処刑人が、円を描くようにして彼を取り囲んでいた。 


 ベネットは苦痛と困惑に顔を歪めた。 

 状況がまるで理解できない。


 師を探し、その最中に魔女を駆逐した。

 そして今……処刑人らに包囲され、冷然とした目で見下ろされている。

 その態度はまるで、罪人に対するかのようだ。


「お前には失望したぞ、ベネット」


 さげすみの声を頭上から降らせたのは、リベリオである。

 何が男の不興を買ったのか、ベネットには理解できなかった。


 そして何故、このタイミングでここにいるのか──


「……アルヴィン師なら、これから追うつもりです」

「その必要はない」


 男は冷淡に、少年の言葉を遮った。

 白い仮面の裏側には、黒々とした悪意の蠢きがある。

 意志の力を振り絞ると、ベネットはよろよろと立ち上がった。


 リベリオを前にして……心にさざめきが起きる。


「……必要がない、とは?」


 陰湿な笑みを男は浮かべた。


「重罪、だな」

「……何の話でしょうか」

「枢機卿の暗殺に手を染めるなど、重罪だと言ったのだ」


 枢機卿の、暗殺。

 ベネットは耳を疑った。

 聞き間違えではない、確かにそう聞こえた。


 それを──誰が?


 リベリオの毒気を帯びた双眸は、じっとベネットに向けられている。

 少年の背筋に、言いようのない悪寒が走った。


「……わ、私は暗殺などしていません」

「お前が枢機卿マリノの邸宅から逃げ出すのを見たという、証言がある」

「何かの間違いです!」

「間違い、か。確かに証言だけで、お前を裁くのは難しいな」


 おもむろに、男は床に落ちていた拳銃を拾い上げる。


「ところでこれは、お前のものか?」

「あなたから渡された拳銃ですが……」

「俺が? まさか」


 明らかに、空とぼけた態度である。

 昼間の出来事を忘れるはずがない……そこで、ベネットはハッとした。


 拳銃を渡された時、薄く硝煙の匂いが残されていた。

 枢機卿の暗殺と、拳銃。

 符号が結びつき……頭の中で、ひび割れた不協和音が鳴った。

 リベリオの目が、爬虫類めいた光を放った。


「──お前が、やったんだろう?」


 男の口が開き、粘性の糸を引く。

 悪辣な手口に、ベネットは絶句した。

 最初から仕組まれていたのだ。


 リベリオはマリノを害した拳銃を、ベネットに手渡した。

 枢機卿殺しの罪を着せるために、だ。

 師への不信感を煽られ、いいように踊らされていたのだ。


 リベリオは鼻先で嘲笑う。


「物証がある以上、言い逃れはできんぞ。お前が潔白か否か、線条痕を調べれば直ぐに分かることだ」 


 ベネットは知る由もないが……ありもしない罪を作りだすこと、そして罪を他者になすりつけることにかけて、リベリオは芸術的手腕の持ち主だった。

 状況は、著しく不利だ。

 無実の証明は、学院を卒業したばかりの見習いには荷が重すぎる。


 その時だ。  


「ベネット!!」


 聞き覚えのある声が響いた。

 店の入り口に、二つの影が伸びた。

 肩で息を息を切る師と、見知らぬ銀髪の女である。


 途中で魔女を見失った二人は、銃声を頼りに駆けつけたのだ。

 だが、救いの手は遅すぎた。

 ベネットは恥じ入ったようにアルヴィンから顔をそむける。


 師を疑い、独断で動いた挙げ句にこのざまだ。

 それに──師が魔女と内通した疑惑は、まだ心の隅でくすぶっていた。

 どんな顔をすればいいのか、分からない。


 アルヴィンの行く手を、抜剣した処刑人が塞いだ。


「通していただけますか。彼は僕の教え子です」

「違うな。罪人だ」


 リベリオは短く断言する。

 アルヴィンは、仮面の男を静かに睨みつけた。


「罪人? なぜです」

「こいつがマリノを射殺したのだ」

「待って下さい。彼は人を害したりなど、決してしない」

「お前は何も知らぬのだな」


 呆れとも、哀れみとも判断のつかない声を発する。

 男はアルヴィンの肩に手を置いた。


「同情するぞ、アルヴィン。弟子に裏切られるとは、つらいものだ」


 リベリオは薄く笑う。

 言葉とは裏腹に、その声は生ぬるく、どこまでも白々しい。

 ベネットは嵌められたのだ──アルヴィンは直感した。


 師弟間に生じた隙間を嗅ぎつけられ、つけ込まれたのだ。


「こいつを締め上げれば、真相ははっきりとする。──もちろんお前も、覚悟しておくことだ」


 ぬけぬけと、そして神経を逆なでするような物言いである。

 人を欺し陥れることを、恥とも思っていないのだろう。 


「──世間知らずの、馬鹿な小僧で助かった」


 付け加えられた一言に、アルヴィンは思わず激昂した。

 直接アルヴィンに手を出さない、薄汚いやり口に怒りがわきあがった。


「審問官リベリオ! あなたという人はっ!」

「ダメだよ、アルヴィン!!」

「復讐が目的なら、なぜ僕を狙わない! ベネットは無関係だ!」


 猛然と掴みかかろうとしたアルヴィンを、フェリシアが必死に制止する。


「小僧を連れて行け!」


 リベリオは薄ら笑いを浮かべたまま、背後に控えた処刑人に命じた。

 二人が進み出ると、ベネットを両脇から押さえつける。

 残りの処刑人がアルヴィンを牽制し、手出しができない。


「ベネット!」

「アルヴィン師! 信じてくださいっ、僕はやっていな──」


 悲痛な叫びは、無慈悲な鉄拳によって中断させられる。

 ベネットは街路に連れ出され、馬車に押し込められた。


 空は、薄く曙色に変わりつつある。

 夜明けは近い。

 だが師弟は──深い闇の入り口に、立ったばかりだ。

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