第18話 真夜中の葬送

 アルヴィンは、はたと足を止めた。

 濃密な敵意が漂っていた。


 そこは老舗の高級店が集まった、商店街の一角だ。

 高級服、家具、食品、雑貨……様々な店舗が軒を並べている。

 すでに時刻は夜半に近い。

 当然だが、開いている店などひとつもない。


 等間隔に立つ街灯が、ポツポツと闇を切り取っていた。

 その下に教え子の姿を見出して、アルヴィンは驚きの声を発した。


「──ベネット?」


 ガス灯のオレンジ色の色彩が、何か意を決した少年の顔を浮かび上がらせていた。

 アルヴィンは、ひとつ隣の街灯の下に立つ。

 それが今の二人の、心の隔たりのように思われた。


「ベネットか。なぜここに?」


 教え子は答えない。

 謹慎を破ったことを、叱責されるのを恐れているのだろうか。

 アルヴィンは小さく嘆息した。 


「理由は後で訊かせてもらう。それよりも僕は昨夜の魔女を追っている。君は見なかったか?」

「いえ……」

「まだ近くにいるはずだ。ついてきてくれ」


 言って、アルヴィンは数歩駆けた。

 そして──気づく。

 背中に、刺々しい敵意……いや、殺意が照射されていることに。


「──ベネット?」


 振り返り、銃口を向けた教え子と目が合う。 


「何をしているんだ、ベネット?」


 師を前にして、少年の身体は震えた。

 構えた拳銃が妙に重たく感じられた。

 ベネットは、叫びにも似た声を絞り出した。


「アルヴィン師っ! どうして教会を裏切ったのですか!?」

「裏切る? ……何の話だ?」

「とぼけないでください! あなたが魔女と内通していることを、知っているんです!」


 少年は明らかに冷静さを欠いているように見える。

 アルヴィンは、数歩近づいた。

 少年は引き金に掛けた指に、力を込めた。


「近づかないでください!」

「銃を下ろすんだ、ベネット!」


 アルヴィンが叫ぶのと、閃光が走ったのは同時だった。

 夜の街に、銃声が残響した。

 ベネットが放った銃弾は正確に──短剣を捉えた。


 火花が散り、少年の首を狙った軌道を逸らす。クルクルと宙を回転し、カン! と甲高い音を立てて石畳に落ちた。

 短剣を投じたのは──


「まったく……」


 忌々しげな声が、師の口から漏れた。


「──師弟そろって、嫌になるくらい勘のいい連中だ」


 ゾッとするような冷たい声が響く。

 師の周りに黒煙が渦巻き──女へと変わった。

 その顔を、見間違えようはずがない。昨夜、枢機卿マリノの邸宅で対峙した魔女だ。


「凶音の魔女っ!?」


 ベネットは驚きの声を上げた。

 師が……魔女になる。

 状況に全く理解が追いつかない。


 ──どうして魔女がいる!? アルヴィン師は……どこに行ったんだっ!?


 ベネットは混乱の極みにある。

 そして、不意に思い出す。オルガナでの、ある講義の一コマが甦った。

 魔女には、姿を自在に変える特殊な者がいる、と。


「──幻惑の魔法……なのか?」


 ベネットは呆然としながら口走る。

 魔女は少年の追跡に気づき、師の姿となって欺いた。

 隙を突いて凶行に及ぶつもりだったのだろう。

 皮肉なことだが……師を粛正しようとしたことが、彼の命を救ったのだ。


「だったら、アルヴィン師はどこに……。違う! とにかく今は魔女を駆逐する! それだけだっ!」


 魔女を前にして、むしろベネットは奮い立った。

 見習いが魔女に挑む……冷静に考えれば、それは勇敢ではなく無謀に分類されるべき行動だ。

 一目散に、逃げ出すべきだったのだ。

 だが少年の、高すぎるプライドが邪魔をする。


「アルヴィン師は、見習いになって三日で火の魔女を駆逐したんだ! 私にだってできる!」


 自分を鼓舞した刹那──魔女が、スッと眼前に近づいた。

 次の瞬間には、胸ぐらを掴まれ持ち上げられている。


「──え?」


 間合いは、十分にあったはずだ。

 それが常識や物理法則が居眠りしたかのように、魔女を瞬時に移動させたのだ。

 抵抗する間など用意されていない。

 ゴムまりのように軽々と、少年の身体は宙に投じられた。 


 仕立屋のショーウインドウに容赦なく叩きつけられ、ガラスの割れるけたましい音が夜の静寂を破った。 

 ベネットはガラス片と共に店内を転がる。


 ──なんて力だっ!!


 あの細腕のどこに、こんな爆発的な力があるのか。ベネットは戦慄する。 

 背中が痛む。いや、全身が悲鳴をあげている。

 途切れそうになる意識を、懸命に掴む。 


 ──これで終わりじゃないぞ! 次が来るっ!


 悠長に寝転んでいる時間はない。 

 身体に鞭を打って、立ち上がる。

 ベネットの直感は、残念ながら的中した。


 魔女は短剣を手にして、店内に足を踏み入れていた。

 ベネットは、女を真っ直ぐ睨みつけた。

 劣勢、ではあることは認める。


 だが闘志は失っていない。駆逐する自信はある。 

 ベネットは、拳銃を構える。


 ──と。


 違和感に、気づく。

 右手が妙に軽かった。

 ベネットは顔を青ざめさせた。

 あるべき拳銃が……なかった。


 ショーウインドウに叩きつけられた衝撃で、手放したのだ。

 店の床はガラス片やマネキンの手足、生地が無秩序に散乱している。

 視線を彷徨わせ、ベネットは狼狽えた。


 戦いの最中に武器を失う──初歩的な、そして致命的なミスだった。

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