第17話 顔のない訪問者


 少年は腹部を押さえ、うずくまる。

 硬い音を立てて花瓶が床を転がった。


「アルヴィン! 何てことをっ!!」


 口許を押さえたフェリシアの顔は蒼白だ。

 あどけない少年に花瓶を投げつけた挙げ句、発砲する。何も知らぬ者が見れば、正気を失ったようにしか見えない。

 だが──それは違う。


「近づくな!」 


 少年に駆け寄ろうとしたフェリシアを、アルヴィンは一喝した。 

 額に脂汗をにじませながら、エウラリオは顔を上げる。


「……なぜです……アルヴィン……?」

「猿芝居は、それくらいにしていただきましょうか」


 アルヴィンは白い眼光を放った。

 声に、辛辣な響きが伴った。


「勉強不足ですね。本物の枢機卿エウラリオは、左利きですよ」

「……たったそれだけで……躊躇なく引き金を……? 悪い……男だ──なっ!!」


 銀色の輝きが、一閃した。 

 弱々しかった声音が、怒気と殺気を孕んだものに一変した。 

 瞬きする間よりも早く、少年はバネのように跳ね起きていた。

 手に握られているのは、短剣だ。


 とても手負いとは思えない、鋭利な斬撃がアルヴィンに襲いかかる。凶刃が鼻先に迫った。


 だが、その一撃を──アルヴィンは完全に予期していた。


 屋敷の前で会った時から、強い違和感を抱いていたのだ。

 エウラリオは襲撃を警戒し、隠し部屋に篭もるような用心深い男だ。

 いくら急ぎの用件とはいえ、護衛も連れずひとり出向くだろうか。


 そして……教皇庁で初めて会った時、左手で扉を開けた。処刑人の仮面を渡したのも、左手だった。

 投じられた花瓶を右手で掴んだ時、疑惑は確信へ変わった。


 アルヴィンは、少年の手首を痛烈に蹴り上げる。

 短剣が宙を飛んだ。

 僅かに生じた隙を、アルヴィンは見逃さない。頭部を狙い、容赦なく銃弾を撃ち込む。


 短剣が閃いてから発砲まで、二秒も経過していない。

 息を呑むような手際の良さだ。


 だが……アルヴィンは顔をしかめた。

 手応えが、ない。

 弾痕はエウラリオではなく、大理石の床に穿たれた。

 少年の小さな身体は、文字通り霧散した。


 黒い煙に変化し、周囲に広がったのだ。

 それは数メートル先の廊下に集まり……人の形をとる。

 ダークブロンドの髪が揺れ、ボーイソプラノを思わせる声は、艶やかな女のものに変わった。


「私の変異を見破るなんて、存外優秀じゃない」

「魔女っ!?」 


 背後で、フェリシアが驚きの声を上げる。

 そこには、凛とした気品をまとった女が立っていた。

 外見はクリスティーそのものだが……彼女では、決してない。

 アルヴィンは表情を厳しくした。


「──幻惑の魔女、エブリアですね?」


 拳銃は構えたままだ。

 最大級の警戒を払い、女を睨みつける。


「姿を自在に変え、短剣を使い凶行に及ぶ魔女。教会のアーカイブに、特徴の一致する事件記録が残されていましたよ。君には、二十年前に手配が出されている」


 返されたのは言葉ではなく、微笑みだ。

 つまり肯定……なのだろう。

 アルヴィンの胸中を、安堵と落胆が複雑に交錯した。


 クリスティーは、枢機卿の暗殺に関与していなかった。

 犯人は──彼女の凶行を装った、幻惑の魔女だった。

 最初から、幻を追わされていたのだ。


「不思議ね。どうして私の存在に気づいたのかしら?」


 エブリアは小首をかしげると、優美で張りのある声を奏でる。 

 偽者だと分かっていても……姿と声音は、憎らしいほど彼女そのものだ。

 だが容姿は瓜二つでも、瞳の奥には毒々しい悪意のちらつきが見えた。

 不快げにアルヴィンは秀眉をよせる。


「……この事件には、最初から違和感があった。上級審問官まで経験した枢機卿が、なぜ無抵抗で殺害されたのか。例え練達の審問官でも、近親者や同僚に化けられれば隙が生まれる。それに……」


 アルヴィンは、声に力をこめた。


「彼女は、目的のために人を殺めたりはしない。僕は、そう信じている」

「あらあら。審問官のクセに、ずいぶん魔女を信用しているのね。だったら私と手を組んでみない?」

「断る」


 返答は短く、素気ない。


「枢機卿を憎んでいるのでしょう? あなたは復讐を達成し、私は禁書庫の鍵を手に入れる。お互いに利益のある、いい取引じゃないかしら?」

「生憎だが、一切思わないね。魔女の凶行に手を貸すつもりはない。不死を得て、何になる」

「我々は、不死など求めていないわ」

「なに……?」

「全ては、大陸の滅亡を回避するためよ」


 大陸の、滅亡。

 昨夜マリノが、全く同じ言葉を口走っていたことにアルヴィンは気づく。 


「不死と滅亡……何の関係がある」

「さあ? 魔女が素直に教えると思う?」


 エブリアは意味ありげな笑みを浮かべ、花唇をほころばせた。

 アルヴィンがさらに質そうとした刹那──声は、羽音によって遮られた。 

 割れたガラス窓から、黒い影が飛び込んできたのだ。


 それは一直線に飛翔し、魔女の肩にとまる。

 紅玉を目にはめ込んだような、不気味なカラスである。

 耳元にクチバシを寄せ、何かを耳打ちした……そう見えた。

 エブリアは大げさに肩をすくめた。


「残念ね。あなたと決着をつけたかったけれど、お暇するようにとの命令だわ」 

「暇……? 待てっ!」


 叫んだ時、魔女の身体は既に黒煙へと変化していた。

 昨夜と同じだ。濃密な煙が廊下に満ち、たちまち視界が奪われる。


「──なぜクリスティーを装ってマリノを襲った!?」


 返答はなかった。

 煙が晴れた後、残されたのは、少年の亡骸と二人の生者だけだ。


「くそっ……!」  

 

 アルヴィンは壁に拳を打った。 

 むざむざと魔女を取り逃がし……しかも、二度だ。自分への苛立ちが抑えられない。


「どうやら今回も、事情は複雑なようだね」


 胸元で腕を組んだフェリシアが、小さく嘆息する。 

 魔女を目の当たりにすれば、一般人なら声も出せなくなるほど震え上がっても不思議はない。

 だが彼女の眼差しは、冷静さを取り戻していた。


 並みの審問官よりも、よほど順応性があるかもしれない。

 フェリシアは窓の外を一瞥した。


「追うんだろ、アルヴィン?」

「──もちろんだ」


 今度は逃がしはしない。

 アルヴィンは夜空を鋭くにらんだ。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 夢遊病者のように、ベネットは街を彷徨った。

 正義感と裏切りへの怒りが、少年を突き動かしていた。

 だが……広い聖都で、そう容易く師を見つけ出せるはずがない。

 濃くなった疲労に喘ぐようにして空を仰ぎ……硬直する。


 星空が一瞬、黒煙によって遮られた。

 既視感があった。

 それは昨夜マリノの邸宅で見た……魔法だ。

 黒煙は、西の空へと移動していく。


 ベネットは走り出した。

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