第16話 灰色の枢機卿

「──それで、灰色の枢機卿は誰なんだ?」


 大図書館を後にしたアルヴィンとフェリシアは、黄昏が迫る街を歩いていた。

 石畳に伸びた影と、闇の境界があいまいなものになりつつある。

 連日の魔女騒ぎの影響だろう、行き交う人々の足取りは早い。

 武装した衛士の姿が、いたる所で目についた。


 不穏な街の空気とは裏腹に、フェリシアの歩みはいたって軽やかだ。

 彼女は快活な笑みを向ける。


「キミはさ、誰だと思う?」

「訊いているのは僕の方なんだが」

「愛想がないのは相変わらずだなあ。ボクトツだけど、熱い情熱を秘めたところが魅力なんだけどね」

「なんの話だっ!?」


 アルヴィンは憮然として、顔をしかめる。

 再会してから、彼女のペースで進んでいることが実に面白くない。


 気持ちをどうにか落ち着かせ、灰色の枢機卿とは誰なのか──アルヴィンは考えを巡らせる。

 

 聖都は、ウルベルトを除いた六人の枢機卿が支配する。

 そのうち二人は殉教し、この世にはいない。

 だとすれば、候補はかなり絞り込まれるが……同時に疑問が頭をもたげてくる。


 白き魔女に繋がる禁書庫の鍵を彼らが持っているのなら、とっくに不死を達成しても、おかしくないはずだ。


 だが現実は、そうではない。


「灰色の枢機卿はね、枢機卿じゃないよ。それに、聖都にはいない。あ、大陸にもいないだろうけど」

「……もう少し、分かるように話してくれないか」

「修道士ジョセフだよ。宗教史で習っただろ?」 

「ふざけないでくれ」


 煙に巻くような話しぶりに、アルヴィンの声は刺々しさを増す。

 修道士ジョセフは、かつて荒れ地だった聖都に水を引き、緑の地に変えたとされる聖人だ。

 枢機卿ではなかったが、その影響力の大きさから灰色の枢機卿という異名をとった。

 だが──


「彼は故人だ。それも五百年も前に、だ。まだ生きていて、鍵を持っているとでも?」

「違うよ。符丁だよ」

「……符丁?」

「灰色の枢機卿とはね、鍵の隠し場所を暗示しているんだ。人ではなくて、ジョセフに縁のある何かだよ。キミは心当たりはないかな?」


 白でも黒でもない、灰色。

 アルヴィンの頭には、敵でも味方でもない、マリノが思い浮かんだ。

 そして──昨夜訪れた寝室に、ジョセフを描いた宗教画があったことに思い至る。

 偶然、だろうか?


「フェリシア、枢機卿マリノに会いに行こうと思う」


 もう一度訪ねたところで、もちろん歓迎などされまい。

 だが前に進むには、彼の協力が不可欠なことは明白だった。

 二人はマリノの邸宅へと足を向けた。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 




 邸宅は、昨夜の襲撃によって変わり果てた姿となっていた。

 庭木は焦げ、石壁は広い範囲で崩れている。地面はまだ、所々くすぶっていた。

 夜にもかかわらず、屋敷は暗い。灯りのひとつもない。

 ひっそりとした静寂に支配されている。


 門をくぐり、今や廃墟のようなった洋館の前に二人は立った。

 と、扉の前に意外な人物の姿を見出して、アルヴィンは驚きの声を上げた。


「──枢機卿エウラリオ?」


 天使のような、あどけない顔を向けたのは白い祭服の少年である。

 父の仇のひとりであり、彼を処刑人に任じた枢機卿だ。

 供の姿はなく、ひとりだけだ。


「どうしてこちらに……?」

「至急の用件があって、枢機卿マリノに会いに来たのです」


 そう言うと、エウラリオは右手で扉を押した。

 施錠は、されていなかった。抵抗なく扉は開かれる。

 玄関ホールに足を踏み入れて、アルヴィンは目を凝らす。屋敷の中は薄暗く……処刑人の気配もない。

 何かがおかしかった。


 空気中に含まれた、ほんの微量の異変を感じ取る。 

 それは──血の匂いだ。


「アルヴィン!」


 フェリシアが叫んだ時、既にアルヴィンは駆け出していた。

 二階へ、マリノの寝室を目指す。

 だが……階段の手前で足を止めざるを得ない。


「くっ……!」


 廊下に赤黒いシミが広がっていた。

 中心に、少年が倒れ伏している。


「──枢機卿マリノ!」


 駆け寄り、上半身を抱え起こす。

 マリノの顔は蝋人形のように血色がなかった。

 首元に触れるが……脈は触れない。呼吸もない。


「アルヴィン……?」


 追いついたフェリシアに向けて、アルヴィンは首を横に振った。

 マリノは、額を撃ち抜かれていた。

 魔女、ではない。これは……人の手による凶行だ。


 姿を消した処刑人達、そして暗殺されたマリノ。

 不吉な符号が、頭の中で明滅を繰り返した。


「先を越されたようですね」


 同僚の亡骸を前にして、エウラリオの反応は感情のこもらない冷淡なものだ。

 祈りの言葉ひとつなく、踵を返す。

 アルヴィンは、その背中を睨んだ。

 違和感は、確信へと変わっていた。 


「枢機卿エウラリオ!」


 立ち上がり、短く叫ぶ。

 窓際にあった花瓶を手に取ると、アルヴィンは投げつけた。

 エウラリオに向かって、だ。

 放物線を描いたそれを、少年は振り返りざま右手で掴み、怪訝な視線を向ける。


「これは何の真似ですか? 審問官アルヴィン」

「──やっぱり右手、なんですね」 


 アルヴィンはエウラリオへ拳銃を向けていた。 

 引き金は、躊躇なく引かれた。 

 パン、パン! と乾いた破裂音が連続し、フェリシアの悲鳴が響いた。

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