第15話 白い悪魔の囁き

 昼下がりの聖都を、ベネットはぼんやりと眺めていた。

 与えられた部屋は日当たりが悪く、日中だというのに薄暗い。

 まるで彼の心を映す鏡のようだ。

 朝から何度目になるか分からないが……ため息をつく。

 

 幼い頃から神童と呼ばれてきた彼にとって、罰を受けるのは初めての経験だった。

 厳しい規律で知られるオルガナでさえ、注意らしい注意を受けたことはなかった。

 そして当然のように、首席で卒業した。


 将来、審問官として栄達し枢機卿となるだろう。

 運に恵まれれば、教皇にさえなれるかもしれない。

 その自分が謹慎を命じられるなど……にわかには受け入れられない。

 昨夜の何が悪かったのか、答えは出ない。

 

 ──なぜ、師を選んだのだろうか?


 うんざりしたように首を振り、瞼を閉じる。

 学院を卒業する間際のことだ。

 ある噂を耳にしたのだ。

 

 僅か一年間で、十体もの魔女を駆逐した審問官見習いがいる、と。

 その中には原初の魔女さえ含まれると……まことしやかに囁かれた。

 面白い、と思った。


 約束された輝かしい未来は、ベネットにとって色あせた、砂を嚙むようなものとしか感じられなかったからだ。

 退屈な人生を変えてくれるのは、その男しかいない、そう直感した。


 周囲の反対を押し切って師事を願ったのが、一ヶ月前のことだ。

 だがそれは……誤りだったのだろうか。

 期待は失望に変わり、ベネットの心に重くのしかかっていた。


 その時だ。


 コッコッコッ、とノックをする音が響いた。

 師が来たのだろうか……

 訝しみながら扉へ足を向け、僅かに開ける。

 廊下に男が立っていた。


「あなたは──」


 ベネットは瞬時に表情を固くした。

 白い祭服に、白い仮面。そして不気味としか形容のしようがない笑みを貼りつけた顔。

 マリノの邸宅で会った処刑人……リベリオだ。


「立ち話もなんだ。入ってもよいか?」


 ベネットが答えるよりも早く、男は隙間から身体を滑り込ませていた。 

 この男は油断できない。

 昨日のやり取りを思い出し、ベネットは緊張の色を走らせた。


「……何のご用でしょうか」

「アルヴィンという男は実に優秀だ」


 問いかけには答えず、リベリオは薄笑いを浮かべた。

 懐柔するかのように、甘ったるい声を投げかけてくる。


「だが、お前はさらに優秀だ。一目見て分かったぞ」


 それは見え透いた世辞というものだろう。

 将来がどうであれ、今のベネットは何の実績も持たない見習いに過ぎない。

 そんな甘言で警戒を解くほど、愚かではない。

 冷静なベネットとは対照的に、リベリオの声は熱を帯びる。


「奴を信じるな。この聖都の土を踏むことさえ憚れるような、卑怯者なのだ」

「卑怯……? アルヴィン師は、卑怯者ではありません」

「お前は、奴の何を知っているというのだ」


 リベリオの声が低くなる。

 仮面の下の双眸が、ガラス玉のように不気味に光った。

 人になりすました悪魔がいるとすれば、まさにそれだった。 

 冷然と、男は宣告する。


「奴は魔女と内通している」

「まさか!」


 ベネットは反論しようとし……言葉を失った。

 思い当たる節があった。

 マリノの邸宅で、師は魔女の名を叫んでいた。


 ──クリスティーと。


 なぜ、知っていたのか。

 それに……撃つななど、まるで庇うかのような口ぶりだったではないか。

 突きつけられた真実の重さが、ベネットから冷静さを失わせた。

 疑惑が急速に膨張し声を震わせる。


「アルヴィン師が魔女と通じているなど……信じられません……!」

「奴は巧妙に周囲を欺いてきた。お前も被害者なのだ。だが、これ以上好きにはさせぬ」


 リベリオは、耳に囁く。


「お前の力を貸せ」

「……私が? ……どうすれば?」


 当惑したベネットの胸に、黒い重量感のある何かが押しつけられた。

 冷たい光を放つそれは──拳銃だ。


「これは……」

「お前は優秀だ、正当な評価を受けろ。背教者を始末すれば、処刑人となれるように取り計らってやってもいいぞ」


 リベリオは、薄い唇をはためかせる。


「正義を行え、審問官見習いベネット」


 長い沈黙があった。

 ベネットは……首肯した。

 手にした拳銃は、うっすらと硝煙の匂いが残っていた。

 その意味を、彼は理解していなかった。

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