第13話 欲深な協力者
「馬鹿騒ぎをしよって」
男は忌々しげに吐き捨てる。
書架を挟んだ向こう側に、肥満体の男が、息をひそめて立っていた。
教会を支配するのは、七人の枢機卿だ。
いや──正確には、六人か。
その唯一の例外が、書と書の狭い隙間から脂ぎった目をギラつかせている。
枢機卿ウルベルトである。
教皇派、唯一の枢機卿だ。
地位の高さに反して年齢は若く、二十代の後半ほどだろう。
男の機嫌が、すこぶる悪いことは確認するまでもない。
ぞんざいな口調で、アルヴィンを面罵する。
「お前は正気か!? なぜ俺を呼び出した」
「聖都で頼れるのは、あなたくらいしか思いつきませんでしたので」
その言葉に噓はない。
聖都は、正に敵だらけだ。
仲間と呼べるのは謹慎中の教え子と、偶然再会したフェリシアくらいか……
とはいえ二人を、個人的な事情に巻き込む訳にはいかない。
結局アルヴィンの頭に思い浮かんだのは、この男しかいなかったのだ。
「俺が力を貸すと思ったら、とんだ思い違いだ。無駄足だったな」
不満と憤懣で、ウルベルトはでっぷりとした腹を揺らす。
アルヴィンを睨みつけると、鼻を鳴らした。
「連中に楯突くなど、バカな考えは棄てろ。もはや雌雄は決した。三年前が最後のチャンスだったのだ」
男の声は苦り切っている。
三年前、ある呪具の力によって教皇の呪いは解かれた。
それを契機として、教皇派は猛烈な巻き返しを図ったのだ。
メアリーの証言によって、偉大なる試みが白日の下にさらけ出され、狂気の計画に加担した枢機卿らは拘束され、有罪とされた。
ただし──反撃は、そこまでだった。
粛正が行われる、まさにその日の朝、教皇は再び昏睡に陥った。
以前よりも、はるかに強固な眠りの呪いを受けて。
「我々の巻き返しは頓挫し、瓦解した。教皇猊下の呪いを解く糸口すら見いだせん。俺自身いつ粛正されるか、恐れおののく日々だ」
「あなたらしくもない、弱気なお言葉ですね」
「ひとつだけ忠告をしてやる。ステファーナは底知れぬ相手だ。奴を、敵に回すな」
ステファーナは枢機卿会の会主、つまり教会の実質的な指導者である。
その名をウルベルトは、怒気を滲ませながら呼び捨てる。
「折角のご忠告ですが、僕はやるべき事をやるだけです」
「復讐か何か知らんが、命をかけてまでやることか」
男は眉間に皺を刻むと、声を険しくする。
「もはや我々には、爪先ほどの勝ち目もない。早々に聖都を去れ」
「そうではないでしょう」
アルヴィンは、静かに首を横に振った。
「あなたはまだ、教皇となる野心を捨ててはいない。だから危険を冒してまで、わざわざ僕に会いに来た」
それは根拠のない放言ではない。
自棄的な口調とは裏腹に、男の目は貪欲な光を欠いてはいなかった。
ウルベルトは正義や義理などでは動かない、計算高い男だ。
ことさら悲観的な言葉を並べ立てたのは、アルヴィンの覚悟を見極めるためだろう。
そして──試されるまでもないことだ。
「腹の探り合いは、これくらいでいいでしょう。お互い、時間はありません。枢機卿ウルベルト、お願いしていたものは?」
「……お前の図々しさは、ベラナ以上のようだな」
可愛げのない返答に、舌打ちがこぼれる。
だが否定しないところをみると、アルヴィンの読み通りだったのだろう。
エメラルドとサファイアの指輪を嵌めた太い指が伸びて、書と書の隙間に薄茶色の封筒が置かれた。
それこそが、アルヴィンが大図書館へ足を運んだ目的だった。
封書の中にあったのは、酸化して黄ばんだ古い手配書だ。
──やはり、だ。
内容は、彼女から覚えた違和感の正しさを裏付けていた。
ウルベルトは、すっと声色を落とす。
「感謝してもらいたいものだな。資料庫の段ボールに、夜通し頭を突っ込んで探したのだ。この借りは返せ」
「必ず」
短く答え、封筒を祭服の中にしまう。
必要な情報は得られた。
いや……もうひとつだけ、訊くべきことがあった。
それは、ある少女の消息だ。
アルヴィンは書架の間に、窮屈そうに立つ男を見やった。
「枢機卿ウルベルト。彼女は──メアリーは、聖都にいるのですか?」
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