第12話 大図書館の美女と野獣

 アルヴィンは立ち上がると、微笑みを浮かべた銀髪の美女を見やる。 

 あの夜フェリックスは、古言語学者になるために聖都のスクールへ入学すると話した。

 つまり無事に卒業し、キュレーターとなった、ということなのだろう。


 ……そして、よりにもよって再会してしまったわけだ。


 完全に女になった、彼と。

 アルヴィンは深呼吸をして、気持ちを落ち着けようと努力した。 

 黒髪の審問官の青年と、銀髪の美女。


 事情を知らぬ者からは、向かい合った二人は美男美女、理想のカップルに見えたかもしれない。

 実際は、羨まれるような要素は欠片もない。アルヴィンは身の危険しか感じない。

 これは、正に悪夢の再来……いや、そうではない。


 アルヴィンは自分に言い聞かせる。

 この再会はある意味、チャンスかもしれない。

 フェリックスが大図書館の職員であるなら、禁書庫の鍵の手がかりを得られる可能性がある。


「フェリック──」

「フェリシアだよ」

「フェリ……シア、君は禁書庫について、何か知らないか?」

「知ってるけど」


 さらりと、彼女は答える。

 意外なほどあっさりと肯定されて、アルヴィンは声を大きくした。


「本当なのか!?」

「秘密でも何でもないからね。大図書館の、最奥だよ。禁書庫は二百年前、オルガナが造ったと伝承されているんだ」


 オルガナが禁書庫を造った……それは、アルヴィンを少なからず喫驚させた。

 教会で、その名を知らぬ者はいまい。

 教会史にたびたび姿を現す、謎多き人物だ。

 学院の創始者でもある。


 つまり禁書庫に収められているのは──ただの書、ではないということだ。


「でもね、厳重に封印されていて、誰も立ち入ることはできないんだ。禁書庫といっても中にあるのは、たった一冊の書だけ」

「何がある……?」


 フェリシアは静かな口調で続ける。


「──禁書アズラリエル、だよ」


 冷たい手で心臓を鷲づかみにされたような衝撃が、アルヴィンに走った。

 思わず声が漏れそうになる。


 ──アズラリエル。


 ベラナが遺した、最期の言葉だ。

 白き魔女へと繋がる、唯一の手がかりである。

 それが何を指すか、これまで判然としなかった。

 アズラリエルは書であり、禁書庫の中に眠っている……

 

 だから彼女は、鍵を求めたのだ。


 点と点が結びつき、アルヴィンは驚きを隠せない。

 声の震えを抑えるには、意志の力が必要だった。


「……僕は、禁書庫の鍵を探している。力を貸してくれないか」

「いくらキミの頼みでも、協力はできないよ。禁書は、人が触れてはいけないものなんだからね」

「そうだとしても、僕は鍵を手に入れなくちゃならない」


 アルヴィンの声は重々しい。

 彼女は鍵を探せと言った。

 鍵を手にした時が、真意を質す最後のチャンスになる、そんな気がした。


 訣別すれば──駆逐することになるだろう。

 アルヴィンは双眸に、真剣な色をたたえる。 


「頼む、君の力が必要だ」

「でも……」 


 口許に白い手をあてて、フェリシアは沈黙した。

 アルヴィンの様子から、唯ならぬ事情を感じ取ったのかもしれない。

 ややあって、彼女は小さく頷いた。


「分かった。協力してあげる」

「ほ、本当か!?」

「惚れた弱みもあるしね。熱く見つめられて、久しぶりに胸がキュンとしちゃったよ」

「キュンっ!?」 

「少し待っていて」


 アルヴィンが素っ頓狂な声を上げた時、すでにフェリシアは踵を返していた。

 もしかしたら、悪魔と取引を交わしてしまったかもしれない。

 一抹の不安が頭をよぎるが……足早に駆けていった彼女の背中は、もう見えない。


 足音が遠ざかり、完全に消えたのを確認すると、アルヴィンは奥の書架へ足を向けた。

 薄暗く、狭い通路に入る。

 人気はなく、ひっそりとしている。

 通路の先は、一段と闇が濃くなっていた。


 大図書館を訪れた、もうひとつの理由がそこにはあった。


 両脇の書架から、所狭しと並べられた書が迫っている。

 アルヴィンは黒革で装丁された書を書架から抜き、手に取った。

 その書を探しにきた……そうではない。


「俺は監視されている」


 押し殺した声が、耳に届いた。

 書を抜いた隙間から、向かい側に立つ男の顔が覗いた。

 強欲な商人を思わせる人相は、三年前と変わっていない。


「二度と連絡を寄こすな。お前にはそう伝えたはずだぞ」


 男は苛立ちを隠さない。 

 そこに立っていたのは──三年前、嵐の夜に会った枢機卿ウルベルトだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る