第7話 亡霊との邂逅

 夕刻、約束なしの訪問である。

 エレンを見失った後、アルヴィンは教え子と合流し、枢機卿マリノの邸宅へと向かった。

 ツタの茂った石壁に囲まれた邸宅を訪れたとき、門前払いは覚悟していた。

 だがそれは、杞憂だったらしい。


 守衛に名前を告げただけで、あっさりと通されたのだ。 

 門をくぐった先には、噴水のある広い庭園がある。


 その奥に、外壁を天然石のスレートで覆われた洋館が見える。

 屋敷へと歩みを進めるアルヴィンは、言葉少なだ。


 ──先生は、この街にいます──


 少女の言葉が、頭の中で何度も再生されていた。


「アルヴィン師?」

「……ああ……? すまない」


 アルヴィンは、心ここにあらずの体だ。

 名を呼ばれ、後ればせながら教え子から、怪訝な目を向けられていることに気づく。


 彼女はやはり生きている。そして、聖都にいる。

 それが頭から離れなかった。

 今は集中する時だ──アルヴィンは自分に言い聞かせ、頭を切り替える。


 邸宅へと視線を向け、その前に、十人程の武装した処刑人の姿があることに気づく。

 たいした確認もなく門を通されたのは、連中のお仲間と判断されたからか……


「──なんだ?」


 アルヴィンはそこで、小さく声を漏らした。

 処刑人らはマリノの護衛のために配されたのだろう。

 だが、それにしては妙だ。

 彼らの警戒は外ではなく、むしろ邸宅へ向けられているように感じられる。

 そして──


「アルヴィン!」


 不吉な邂逅は、前触れなく訪れるらしい。

 ひび割れた低い声が、投げ打たれたのだ。

 この聖都に、自分を呼び捨てる知己などいただろうか?

 アルヴィンは訝しみながら視線を走らせ──表情が凍りつく。


「あなたはっ!?」


 反応は電光石火のごとく俊敏なものだった。 

 瞬時に拳銃を抜き、アルヴィンは標的を見定める。

 だが銃口が向けられた男は、粘着質な笑みを浮かべただけだ。


「おいおい、ここで戦争でも始めるつもりか?」


 神経を逆なでするような、声である。

 アルヴィンは拳銃を構えたまま、男を睨みつけた。


「生きていたのですか! ……審問官リベリオ」


 その男を、忘れようはずがない。 

 三年前、師の命を奪った仇だ。

 あの日エルシアに銃撃され、男は濁流の中に身を投じた。

 死んだとばかり思っていた。


 だが現実は……甘くはなかったらしい。

 男はわざとらしく胸元で十字を切ってみせる。


「神のご加護があったのさ」


 それはむしろ、悪魔の悪戯というべきだろう。

 二人の間に横たわる事情は、少々複雑だ。

 アルヴィンはかつて、架空の魔女を作りだし連続殺人に手を染めたリベリオの兄を粛正した。

 つまり、互いが仇なのだ。


「ここは神聖な聖都だ。過去の因縁は水に流そうではないか」 


 男は生理的な嫌悪感をかきたてるような、甘ったるい声音を出す。

 信用に足る言葉だとは、とても思えない。

 だがアルヴィンは銃口を下げた。


 無論、男を許したわけではない。

 ここで……決着を着けることはできないのだ。


「賢明な判断だ。審問官の私闘は即刻破門だからな」


 リベリオは白々しい笑みを浮かべる。

 少しでも油断すれば、いつ背中を刺されるか分からない、そんな不気味さを内包した笑みだ。


「それにしても見間違えたぞ、アルヴィン。処刑人になるとは、その若さで大したものだ。共に戦った仲間として誇らしいぞ」

「……なぜ、あなたがここに?」 

「枢機卿殿の護衛だ。見れば分かるだろう?」


 言葉の影に、毒がちらつく。

 リベリオは言いながら、ベネットを見やった。

 仮面の下にある目を、子ウサギを狙う蛇のように光らせる。


「そいつは?」

「僕の教え子です」

「……ほう。そうか」


 鷹揚に頷きながら、不吉な言葉を添えるのを忘れない。


「審問官見習いの四人にひとりは、殉教する。死にたくなければ指導官殿の言いつけを、せいぜい頭に叩き込むことだな」

「──肝に銘じます」


 唯ならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう、ベネットは短く答える。 

 アルヴィンはさりげなく、リベリオと教え子の間に割って入った。


「先を急いでおりますので。僕たちはこれで」

「無駄足とならぬことを、祈っておいてやろう」

「……どういう意味でしょう?」

「あの偏屈老人と話したところで、時間と忍耐の無駄ということだ」


 偏屈老人とは、マリノを指すのか。

 リベリオは上役である枢機卿を、平然と悪罵する。 

 どうやら複雑な事情が横たわるのは……アルヴィンとリベリオの間だけではないらしい。





 不愉快極まりない邂逅を終えたあと、二人はマリノの寝室を訪れた。 

 赤褐色の重厚な扉をノックする。 

 だが、応答はない。


 再度強めにドアを叩く。

 しばらく待つが……結果は同じだ。

 二人は顔を見合わせた。


 何かが、あったのではないか──


 アルヴィンは非礼を承知で、扉を押し開いた。

 いつでも拳銃を抜けるよう身構え、部屋に踏み込む。


「──枢機卿マリノ?」 


 薄暮の迫った室内は薄暗い。 

 と。


「帰れ!」


 敵意をむき出しにした怒声が響く。

 そして白く輝く何かが、投げつけられたのだ。

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