第6話 真実を求めて

 現場は、教皇庁からほど近かった。

 高位の聖職者の邸宅が集まる、閑静な一角である。

 昨夜、枢機卿マリノはここで魔女の襲撃を受け重傷を負った。 

 周囲は二重に規制線が張られ、不安げな顔をした市民が遠巻きにしている。


 群衆の中には、衛士らの姿もある。

 現場検証をしていた彼らは、仮面のアルヴィンを見るや無言で現場を譲ったのだ。

 正門では、あれほど高圧的であったのに……その反応は、真逆のものだ。


 衛士らは、怯えにも似た表情さえ浮かべている。

 聖都において処刑人は……やはり死神、なのだろう。


「枢機卿マリノは、教皇庁から私宅への帰途で襲撃を受けたようです」


 ベネットは、手にした分厚い資料をめくりながら話す。

 教皇庁で渡された、一連の事件記録だ。 

 道路には真っ二つに両断された客車が残されていた。

 アルヴィンは近づくと、軽く手で触れる。


 客車はまるで、鋭利な刃物で切り裂かれたかのようだ。切断面は鏡のような輝きを放っている。

 到底、人の成せる業ではない。

 おそらく……水の魔法か。

 そして頭の裏側に、チリチリと焼けるような独特の感覚が走る。


 魔法の痕跡を、人はそう感じ取る。

 ここで最近、魔法が使われたことは疑いようがない。


「現場の状況は、凶音の魔女の凶行と考えて矛盾しませんね」


 ベネットが言い、アルヴィンは無言で頷いた。


「資料によれば犠牲となった枢機卿らは、ほぼ無抵抗の状態で殺害されているようです」

「無抵抗だって? たしか二人目は……」

「枢機卿コルネリオです」


 その名を耳にして、アルヴィンは違和感を覚えずにはいられない。

 コルネリオは、上級審問官から枢機卿へ栄達した人物だ。 

 第一線を退いたとはいえ、なんの抵抗もなく殺害されるだろうか?


 さらに数枚の資料をベネットはめくる。


「二人は邸宅内で死亡しているところを、家人に発見されています。死因は、どちらも刺殺」

「刺殺……? なぜ魔法を使わない?」

「痕跡を残すことを嫌ったのでは?」


 ベネットの推測は、あながち間違いというわけではない。

 魔女は狡猾だ。

 魔法を使えば、必ず現場に痕跡が残る。

 審問官の捜査を攪乱しミスリードするため、あえて使わない者もいる。

 だが──


「この現場は、これだけ派手にやっているのに、か?」


 アルヴィンは視線を巡らせた。

 魔法によって切断されたのは客車だけではない。

 石畳は割れ、プラタナスの街路樹まで切り倒されている。

 実に派手にやったものだ。

 いかにも彼女らしいやり方だといえる。


 そして──枢機卿らが暗殺された現場と、何かが噛み合わない。

 アルヴィンはベネットを見やった。 


「枢機卿マリノに会う必要がありそうだ。昨夜の状況を詳しく訊きたい」

「同感です。それでは邸宅の方へ──」


 番地を確認しようと、ベネットは地図に視線を落とす。

 再び顔を上げたとき、師の姿はどこにもない。 


「アルヴィン師!?」


 その背中は見物人らの、さらに向こう側にあった。 

 ベネットは呆気にとられた。

 何かを必死に追うように、師は猛然と駆けていたのだ。 





 アルヴィンは走る。

 見間違いでは決してない。 

 そう、確かに見えた。

 見物人の中に、ボブカットの少女の姿があったのだ。


 彼女の診療所で働いていた──エレンに違いない。

 視線があった刹那、少女は掛けだした。  

 必死にアルヴィンは追うが、距離がある上に人通りが多い。

 雑踏の中に消えそうになる背中を、見失わないようにするのが精一杯だ。 


 行き交う人々にぶつかり、口早に謝罪を残し、なおも追う。

 エレンは決して走っているわけではない。

 だが二人の距離はなかなか縮まらない。

 

「──エレン、待ってくれ!」


 アルヴィンが叫んだ時、人通りが切れた。

 眼前には、馬車が激しく行き交う大通りがあった。

 少女は既に道路を渡った先にいる。


「僕だ! アルヴィンだ!」


 仮面を外し、アルヴィンは叫ぶ。

 声が届いたのだろうか。 

 少女が栗色の髪を揺らし、振り返った。視線が交錯した。


「彼女は、生きているのか!?」


 エレンの口が動く。

 けたましい喧噪が、声をかき消した。

 

「──先生は、この街にいます──」


 そう告げたように見えた。 

 思わず一歩踏み出したアルヴィンの鼻先を、馬車がかすめた。 

 エレンから視線が切れたのは、ほんの一瞬だ。

 馬車が通り過ぎた後、少女の姿はどこにもない。


 ──彼女は、この街にいる。


 その言葉だけが、アルヴィンの胸に残った。


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