第5話 モノクロームの師弟

「納得できませんっ!」


 静穏に満たされた教皇庁。

 精緻な天井画と金細工が施された廊下に、ベネットの声が残響した。

 当然、と言うべきか。

 影のように控える処刑人は、その程度では微動だにしない。

 いや、例外があったらしい。


 烈火のごとき抗議に、正面に立つ処刑人がたじろいだ。 

 その男は……彼の、師である。

 小一時間ほどまたされた後、白い祭服と仮面をまとい戻ってきたのだ。


 驚きは、それだけではなかった。

 顔をあわせるや、告げられたのだ。


 ──指導官を辞する、と。


「お辞めになるのは、私が能力不足だということですか。理由をはっきりお訊かせください!」


 突然の宣告に、ベネットは噛みつかんばかりだ。

 アルヴィンは教え子をなだめるように、努めて静かな声で告げる。


「……僕はある魔女を追うことになった。枢機卿を殺害した凶悪な相手だ。命の危険がある」

「審問官に命の危険がない任務などありません! 身を賭す覚悟なら、オルガナに入学したときに済ませています!」


 ベネットの反論は、ある意味では正しい。 

 魔女の駆逐を使命とする審問官に、安全な任務などあろうはずがないのだから。

 とはいえベネットは、まだ見習いである。

 どうすれば教え子の自尊心を傷つけずに納得させられるか……アルヴィンは慎重に言葉を選んだ。 


「これは君にとって良い機会なんだ。後任には、経験豊富な審問官が就くよう話を通してある。後進を指導するには、僕は若すぎたからね」

「結構です。気遣いは無用です」


 ベネットは木で鼻をくくったような返事を返す。

 師の心教え子知らずというべきか、可愛げがない。遠慮の欠片すらない。


「アルヴィン師、私は審問官になるつもりはありません」


 若い師の明晰な頭脳の中に、疑問符が溢れかえった。

 アルヴィンは聞き返さずにはおれない。


「ベネット……なるつもりはない、とは?」

「ご心配なく。ただの審問官にはならない、という意味です。私は将来、教会史に名を残すつもりです。そしてその最短路は、熟練の指導官ではなく、あなただと確信しています」


 得意顔で少年は断言する。

 自信と野心に満ちた双眸を師に向け、ベネットは宣言した。


「私の指導官となり得るのは、あなたしかいません!」


 アルヴィンは思い上がった少年を前にして、顔をしかめた。

 だが……それは長くは続かない。

 僅かな間があって、こぼれたのは苦笑である。


「何がおかしいのですか!?」

「……いや、すまない。昔同じ言葉を口にした、身の程知らずを思い出してね」


 それはアルヴィン自身が、かつて師ベラナに投げかけたものと同じだった。 

 今考えれば、随分と生意気な口を利いたものだ。

 過去の自分に重なる教え子を、どうすべきか……アルヴィンは迷う。 


 師は自分を信じ──それなりの試練は課されたわけだが──弟子として認めてくれた。

 この勝ち気な少年にも、チャンスを与えるべきなのかもしれない。

 根拠のない自信を持ちすぎている……そこに一抹の不安はあるが。

 アルヴィンは教え子を見やった。


「分かった、指導官の交代は取り消そう」

「本当ですか!?」

「ただし、僕の指示に絶対に従うこと。危険だと判断した時は、直ちに任務から外れて貰う。いいね?」

「……承知しました」


 明らかに納得はしていない顔だが、ベネットは頷いた。

 例え魔女と戦っても、自分なら完璧に対処できる……そう言いたげな表情を浮かべている。


 白と黒の祭服に身を包んだ師弟は、教皇庁を後にした。

 荘厳な大聖堂を遠目に見やりながら、ベネットは尋ねる。


「聖都は広大です。件の魔女を、どうやって探すおつもりですか」

「そうだな……」


 教え子に問われ、アルヴィンは顎に手をやった。

 闇雲に探したところで、彼女を見つけ出すことはできまい。


「昨夜、枢機卿が襲撃を受けている。まずは現場へ向かう」


 そう答えたアルヴィンの足取りは、どこか重い。

 一連の凶行は、本当に彼女の手によるものなのか──まずは、確かめる必要がある。

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