第53話 処刑人もまた死す

 白く細い指が、夜空に蒼い軌跡を描いた。

 虚空に浮かんだ水の槍が、一斉に動く。それは相手に回避の暇を与えない。 

 重装騎兵の突撃のごとく殺到し、あっさりと巨人の頭部を吹き飛ばした。


「……我が伯母ながら、悪趣味なことね」


 ダークブロンドの長髪を、強風が激しく揺らす。クリスティーの口からこぼれたのは、安堵ではなく嫌悪のこもった言葉だ。

 頭部を失ってなお、巨人は健在だった。


 そして次に生じた変化は、目を疑わせるものだ。

 吹き飛ばされたはずの頭部に、周囲の水が集まり……頭部を再生したのだ。

 それも二つ、である。

 クリスティーを嘲笑うかのように、口がにやりと開かれた。


「思念体の頭を吹き飛ばしたところで、意味はないということね。それにしても二つも再生して、予備でも作ったつもりかしら? 図体に似合わず慎重なのね」


 今や双頭の巨人となった原初の魔女を前にして、クリスティーは柳眉を寄せた。

 巨人が拳を、天に向かって突き上げた。それが彼女に振り下ろされる……ことはない。

 変化はそれよりも、遙かに苛烈なものだ。 

  

「──噓でしょう!?」


 クリスティーは空を見上げ、思わず叫ぶ。

 巨大な氷塊が、夜空を割った。

 一つではない。それぞれが家ほどの大きさがある十数個の氷塊が、アルビオへと降り注いだのだ。

 街のいたるところで水柱が立ち、建物が破壊された。

 夜の底が、不気味に震えた。


 そして、ひときわ巨大な塊が鐘塔の直上に出現するにいたって、クリスティーは絶句する。

 それは──大聖堂に匹敵するほどの大きさがある。


「どれだけ規格外なのよっ!?」


 原初の魔女が秘めた魔力は無尽蔵で、馬鹿馬鹿しくすら思えるほど、圧倒的なものだ。

 正面から戦うなど、正気の沙汰ではない。まともな神経の持ち主なら、迷わず逃げることだろう。

 だが……クリスティーは踏みとどまった。

 氷塊を止めなければ、鐘塔もろとも大聖堂も破壊される。それは、アルヴィンの死を意味する。

 彼女は軽く肩をすくめると、嘆息した。 


「……ほんと、嫌だわ。こんな悪あがき、私の主義じゃないの。でも──一度だけ、信頼に応えてあげるわっ!」


 クリスティーは、落下する氷塊を睨みつける。

 意識を研ぎ澄まし、精神を最大限に高める。 

 両腕を夜空にかざす。彼女を中心に波紋が広がり、一瞬、豪雨が制止したかのように見えた。


 アルビオの上空にあまねく雨粒は、物理の法則を飛び越して、クリスティーの周りに引き寄せられた。渦巻きながら大きさを増し、瞬く間に槍を形作る。

 それは最初に巨人に撃ち込んだものよりも、遙かに巨大なものだ。


「射よっ!」 


 クリスティーの声と共に、轟然と氷塊を迎え撃つ。 

 だが──突きつけられた結果は、非情なものだ。

 破壊できない。止めることすら叶わない。

 歯をくいしばり、渾身の力を送る。

 氷塊が、頭上に迫った。


「このおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 なりふり構う余裕などない。

 クリスティーが、まったく彼女らしくない叫び声を上げた直後、氷塊が衝突した。

 巨大な氷塊の落下に、耐えられるものなどあるはずがない。耳をつんざくような轟音と共に、形あるものは粉々に粉砕される。

 ただし──破壊されたのは鐘塔ではなく、地面だ。


 軌道が僅かに変わった氷塊は、塔をかすめ、地面へと衝突したのだ。力を使い切ったクリスティーは、フラッとその場に崩れ落ちた。

 魔力を使い果たし、限界だった。


 「次」に対抗する力はない──


 残された力を振り絞って、顔を上げる。

 双頭の巨人が、四つの瞳を彼女に向けていた。驚愕の色を溢れさせて。

 クリスティーは弱々しく笑った。


「あの悪趣味な審問官も、ひとつだけいいことを教えてくれたわ」


 そう言いながら、彼女は巨人を見下ろした。

 ──異変が、生じていた。

 巨人の背丈は、鐘塔よりも僅かに高かったはずだ。それが今、一回り以上も小さい。


「気づかなかったかしら? 最初に頭を吹き飛ばしたとき、特製の槍を混ぜておいたのだけど」


 クリスティーはよろよろと上体を起こすと、碧い瞳を原初の魔女に向ける。


「──水牢は、魔法の発動を制限する。でもそれは牢だけじゃない。あそこに張られた水にも同じ効果があったようね」


 確信があったわけではない。むしろ、分の悪い賭けだった。

 だが原初の魔女に勝つ術など、他に思いつきもしなかった。

 あの時クリスティーは水牢の水を呼び出し──巨人の体内へ撃ち込んだ。それがじわじわと、魔力を奪ったのだ。


 巨人は畏れの色を浮かべると後ずさりし、背を向けた。

 ──禍々しいベルの音が響き渡ったのは、その時だ。





「素晴らしい力だっ!」


 腰の高さまで達した濁流をかき分けながら、キーレイケラスは陶酔した声を上げた。

 瀕死の状態にありながら、その目は力を失わない。いや、むしろ狂気を増していた。


「聞け!! 原初の魔女よ!」


 手にしたベルを、高らかと鳴らす。


「我が足下にひざまずけ! ──白き魔女の元へ導くのだ!」


 巨人がゆらりと、キーレイケラスに向かって動いた。

 恍惚とした顔で、男は両手を広げる。

 シュベールノの魔鈴に、支配できない者などいない。 

 白き魔女をも支配し、自分を完璧な不死者にさせる。 

 邪魔立てした連中に復讐する時間など、後でたっぷりとある。 


 勝利を確信した笑みが、キーレイケラスの顔に浮かんだ。

 最期に男の目に映ったのは、小うるさいハエを潰すかのように振り下ろされた、巨人の足だった。




 

「さようなら、伯母様」

 クリスティーは小さな水の槍を創りだすと、巨人の背中へと撃ちこんだ。


 ──原初の魔女は形を失い、膨大な水へと還った。

 そして鐘塔は、崩壊した。

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