第52話 不死と道化師

 地鳴りのような不気味な音が、大聖堂に響き渡った。

 ただしそれは地面からではない。天井、からだ。


「何事だ!?」


 とどめを邪魔され、キーレイケラスは苛立ちの声をあげる。 

その回答は言葉ではなく、終末を告げるかのような轟音によってなされた。

 ──大聖堂の天井が、崩壊した。


 突如として、大量の石材と木片が、聖堂内に降り注いだ。

 逃げる間などない。直下にいた処刑人を、無慈悲に押しつぶす。

 いたるところで断末魔が上がった。

 僅かな間を置いて、聖堂内に雨が降り注ぎ始めた。

 アルヴィンは顔を濡らしながら、頭上を見上げた。

 信じがたい光景だ。


 高名な画家が描いたという美しい天井画は、今や見る影もない。

 代わりに夜が、黒々とした大きな口をぽっかりと開けていた。その奥に……半壊した、鐘塔が見える。

 思わずアルヴィンは呻いた。


 塔の上端部が、ごっそりとえぐり取られていたのだ。

 ただならぬ力が作用した結果だとしか考えられない。塔が破壊され、石材が降り注いだことで大聖堂の天井が崩壊したのだろう。


 ──クリスティーは、無事なのか。


 塔に残した彼女の身を案じ……息を呑む。

 見間違いなどでは、決してない。

 塔の側に……黒い巨人の姿が、あった。クリスティーの言葉が、頭に甦った。


「あれが──原初の、魔女なのか!?」


 呆然としたアルヴィンの耳を、不気味な響きが打った。

 腹の底に響くような、低い低い重低音だ。それが……次第に、自己主張を増していく。

 ゴーン、ゴーンいう音の正体に気づき、アルヴィンは身体の痛みも忘れて、飛び退いた。

 聖堂へ落下したのは、鐘塔の最上階にあった大鐘だ。


 キーレイケラスは生まれて初めて、神の存在を疑ったかもしれない。 

 大鐘はまさに──男の頭上に、落下したのである。

 衝撃波と呼ぶには、生ぬるい轟音と烈風が生じた。


 容赦のない力が、アルヴィンを吹き飛ばす。両腕で頭を庇い、歯を食いしばって耐えるしかない。

 短時間に何度も抗しがたい力に揉まれ、身体は満身創痍だ。


 静寂が聖堂を満たすまでには、暫くの時間が必要だった。

 よろめきながらアルヴィンが立ち上がった時、キーレイケラスの姿はどこにもない。


「やったのか……?」


 信じ難い結末だった。

 呆然としながら、アルヴィンは周囲を見回す。

 聖堂内に、立っている処刑人はいなかった。

 双子の戦いは既に決したようだ。ぐったりと意識を失ったアリシアを、エルシアが抱えている。


 そして……長剣を杖代わりにして立つ、ベラナと目が合う。


「──上級審問官ベラナ」


 老人と相対して、アルヴィンの表情は自然と硬くなった。頭の中に、先ほどのやり取りが甦る。


「父を撃ったのは……あなたなのですか」

「……後で、全て話す」


 声は重く、暗い。

 そして表情に安堵の色はなかった。それは、まだこの戦いが決していないことを意味していた。

 ベラナは大鐘を、鋭く睨む。


「──来るぞ!」


 何が、と聞き返す必要などなかった。

 大鐘が震えた。

 振動は次第に大きくなり……床から、持ち上がる。


「貴様らっ!!」


 鬼神のごとき形相をしたキーレイケラスの顔が、大鐘からのぞいた。怒号とともに、投げ捨てる。

 戦いは、第一幕では終わらなかった。

 アルヴィンは処刑人が落とした長剣を拾い上げるが……身体の節々が悲鳴を上げた。 


 どこまで戦えるか──


 血走った目に、男は憤怒を宿す。


「この程度で、死ぬとでも期待したか? 私には絶対の加護がある。貴様らは、自分の無力に打ちひしがれながら地獄に落ちるが良い! 聖都の老人たちもいずれはこの手で……」


 キーレイケラスは沈黙した。変化は急激だった。

 口から突然、赤黒い血を吐き出したのだ。

 圧倒的な威圧感を放っていた男は、身体を硬直させ、膝を折った。不死の力が、明らかに弱まっていた。


「何故だっ……!?」

「──当然だ」


 全てを見通したかのように、ベラナは哀れみの視線を向けた。

 

「完全な不死などない。白き魔女を除いて、な。君の言う加護も、所詮は出来損ないの不死だった、それだけのことだ」


 隻眼の上級審問官の身に何が起きたのか、アルヴィンは直感的に理解した。 

 呪いは、際限のない不死を約束するわけではない。

 アルヴィンとの戦い、そして大鐘の直撃が決定打となり、綻びが生じたのだ。

 キーレイケラスは呪詛のように、声を絞り出す。


「……私は不死者だ! 加護は完璧だ!!」

「加護、か。完璧というのなら、なぜ白き魔女を求める? 君は枢機卿らをうまく利用したつもりで、その実、掌の上で踊っていたにすぎぬ」


 ベラナは淡々とした口調で指摘すると、巨人を一瞥した。


「これ以上の戦いは無意味だ。原初の魔女の力によって、ここもじきに濁流に呑まれるだろう」

「……原初の、魔女だと?」


 突然キーレイケラスの目に、悪魔めいた光がぎらついた。頭の中で、狡猾な化学反応が生じた。

 この危機的な状況で、獰猛な笑みを浮かべる。


「それは……天の配剤ではないか!」

「なに?」 

「原初の魔女を魔鈴で支配し、白き魔女の元まで案内させる。そうすれば……私は、真の不死者となれる!」

「慢心するな! 彼女らは人の力が及ぶ存在ではない」

「私に、支配できぬ者などおらぬ!」


 その時、瀕死のキーレイケラスが見せた俊敏さは、意表を突くものだった。

 男は身を翻し……大聖堂の出口へと、駆けだした。

 なりふり構わない行動に、アルヴィンは反応が遅れた。

 途中で、キーレイケラスは何かを手にした。それはエルシアに射撃され、床に転がっていた──魔鈴だ。


「くっ……!」


 咄嗟に追いかける。だが、過重労働を強いられ続けた両脚は、ストライキを決め込んだようだ。

 足がもつれ、走ることすらままならない。


「待てっ!」

「なぜですか!?」


 鋭く制止した老人に、アルヴィンは叫ぶ。


「奴を裁く時間はない。それよりも、すぐに待避するのだ」

「待避……? 何が起きるというのです?」


 茶色く濁った水が聖堂に流れ込み、瞬く間に祭服の裾を濡らした。

 巨人を睨むベラナの顔に、深刻な、そして苦渋に満ちた色が浮かんだ。


「アルビオを、破局的な災害が襲う。もはや、誰にも止めることはできぬ」


 終末を告げる老人に、だがアルヴィンは首を振った。


「──いえ、望みならあります」


 半壊した鐘塔に双眸を向ける。あの場にいたのなら、誰であったとしても無傷ではいられまい。 

 だが……彼女は無事だ。

 そしてクリスティーなら、必ず原初の魔女を止めてみせるはずだ。

 アルヴィンは決然とした声で告げた。


「この街を救おうと、奮戦している仲間がいます。僕は……彼女を、信じます」




 

 大鐘を失い、今や鐘塔はただの崩れかけた塔となった。

 半壊したその最上階に──クリスティーの姿がある。

 目立った傷はない。彼女の周囲を、分厚い水が壁となって守っていた。


「──可愛い姪っ子に対して、ほんと酷い挨拶よね」


 彼女が腕を振ると、水壁は十数本の槍に姿を変えた。 

 巨人を見やり、彼女は不敵に笑う。


「さあ、始めましょうか? 伯母様」

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