第48話 終わりの始まり

 鐘塔を駆け下りたアルヴィンを待ち受けていたのは、急速に近づく足音だ。

 咄嗟に廊下の角に身を隠すと、五感を研ぎ澄ませる。

 気配が間近に迫った瞬間、彼は拳銃を手に跳躍した。


──二つの銃口が、互いに向けられる。

 飛び出したのは銃弾ではなく、驚きの声だ。


「──エルシア先輩!?」

「──アルヴィン!?」


 銃口の先にいたのは、エルシアだったのだ。


「先輩、どうしてここに?」


 アルヴィンは慌てて銃を引く。

 彼女はベラナの救出に向かったはずだ。なぜ、ひとりでいるのか──


「ベラナ師の命で、市警察に行っていたのです。あなたこそ、クリスティー医師はどうしたのです?」

「それは……」


 アルヴィンは言い淀んだ。

 原初の魔女と対峙するために、彼女を鐘塔に残してきた……とは言えない。

 それはクリスティーの、正体を明かすことになりかねない。


 迷いの浮かんだ顔を見て、エルシアは何かの事情を察した様だ。それ以上の追及はない。

 代わりに彼女は、先を急ぐように、大聖堂へと足を向けた。

 遅れて後に続くアルヴィンに、背中越しに告げる。 


「早くベラナ師の元へ行きましょう。──嫌な予感がするのです」





 雷光が走る度に、ステンドグラスに描かれた聖人の影が、白大理石の床に落ちた。

 大聖堂は重い沈黙のベールに包まれている。ただ雷鳴と暴風のうなりだけが耳を打つ。

 両脇には、白い仮面をつけた処刑人達が整列していた。


 礼拝用の長椅子が並べられた先、正面の祭壇に、隻眼の上級審問官の姿がある。

 男は二人の来訪者を睥睨した。


「──背教者ベラナにアリシアか。迎えはどうした?」

「さて? 部屋で寝ているのではないかね」


 空惚けたように、ベラナは返事をする。

 キーレイケラスは不快げに鼻を鳴らしただけだ。部下の生死など、些事にすぎないのだろう。


「──白き魔女はどこにいる?」

「不死は人の手に余る力だ。分不相応の夢など、捨てることだ」


 老人は怖じ気づいた様子もなく、毅然とした態度を崩さない。

 聖堂には、ざっと見ただけでも──死角に潜んでいる者がいなければ、だが──二十人程の処刑人がいる。 

 彼らから黒々とした敵意が、不可視の刃となって向けられていた。

 

 そしてキーレイケラスは、ただならぬ威圧感を放っている。

 常人であったなら、とても平静ではいられないだろう。


 キーレイケラスは老人のふてぶてしさに、唇の端をわずかに歪めた。


「素直に話せば、貴様の罪を放免してやってもいいのだがな?」

「私に赦しは必要ない。元より地獄へ落ちるつもりだ。──君を、道連れにしてな」


 ベラナはそう言うと、一枚の紙を掲げた。

 それは──枢機卿ウルベルトから託された手紙だ。

 静かに、そして威厳に満ちた声で老人は告げる。


「聖都から命令書が届いた。キーレイケラス、上級審問官の任を解き、背教者として拘束する。聞こえたなら、手勢を引かせることだ」


 それは形勢逆転、とでも言うべき宣告だった。

 だが隻眼の上級審問官の顔に浮かんだのは……憤怒、ではなく哀れみである。


「──気でも違えたか、ベラナ? 枢機卿会が、そんな命令を出すはずがなかろう」


 その指摘は正しい。 

 教皇ミスル・ミレイが眠りの呪いを受け、公の場から姿を消して久しい。

 教会を実質的に支配するのは、七人の枢機卿で構成される枢機卿会だ。そしてウルベルトを除く六人が、不死を求めているのだ。

 あの強欲な枢機卿がどう足搔いたところで、会の意志は覆らない。


「……確かに、枢機卿会が出した命令書ではないな。これは──」


 老人は眼光を、鋭く光らせた。


「これは教皇猊下が出された、勅書だ」


 その場にいた誰もが、耳を疑った。アリシアですら驚きを隠せない。

 教皇は、教会の最高位聖職者だ。その権威は、枢機卿会のそれを遙かに上回る。

 

 だが──教皇は呪いを受け、昏睡状態にあるのだ。


 一瞬の間を置いて、キーレイケラスが猛然と怒号を上げた。


「眠り姫が勅書を出した……だと!? 馬鹿を言うな。呪いが解けるはずがない!」

「そう、修道士達の手を持ってしても、解くことの叶わなかった強固な呪いだ。容易には解けぬ。ところで先日、不死の呪いを受けた少女を保護したのだがな」

「何の話だっ!?」

「訊けば、とある呪具によって呪いを解かれたらしいのだ」


 淡々と話すベラナの目が、したたかな色をたたえた。 


「君も知っているはずだ。──呪具、シュレーディンガー。深夜、荒れ果てた会場から探し出すのは骨が折れたが、効果はあったようだ」


 それは教会最初期の審問官が愛用し、ついには持ち主を発狂させたいう、呪われたデリンジャーだ。

 撃った相手の、魔力を奪い取るとされる。

 その力によって、アルヴィンはメアリーの不死の呪いを解いた──


 ベラナが張り巡らせた計略を察して、男は目を見開いた。


「まさか貴様──教皇を、撃たせたのか!?」

「ウルベルトの奴、うまく立ち回ったらしいな」


 勅書を祭服の中にしまうと、老人は厳しい視線を向ける。


「少々手荒な方法だったが、教皇猊下の呪いは解かれた。偉大なる試みとやらに加担した枢機卿らは罰せられるだろう。無論、君もだ」


 その声は、判決を言い渡す裁判官のように重々しい。   

 数秒の沈黙の後、キーレイケラスは肩を震わせた。続いたのは、後悔の言葉……いや、高笑いである。


「……何がおかしい」

「それが、どうしたと言うのだ?」


 男の目に、狂気にも似た殺意の波動が踊った。 


「これから貴様らを粛正するとしよう。その上で教皇の首を飛ばせば、なんら問題はないではないか」

「──そんなことさせないわっ!」


 アリシアが勇ましく叫び、短剣を抜く。

 おもむろにキーレイケラスは、祭服から何かを取り出した。武器──ではない。

 掌ほどの大きさの、黒いハンドベルである。

 それを見て、ベラナは顔色を変えた。


「耳を塞げっ!」


 警告は、遅きに失した。 

 不気味なベルの音が、大聖堂に鳴り響く。


「くっ……!」


 同時に激痛が走り、ベラナは顔を歪めた。

 左の太ももに、短剣が深々と刺さっていた。


 ──虚ろな目をした、アリシアの手によって。

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