第42話 聖都からの使者 2

「……宿願、とはどういう意味ですか」


 雨が、客車の屋根を打つ音が響く。

 男は歯をむき出すと、貪欲な目を光らせた。


「俺の出自は、スパダ家だ」


 その家名を耳にして、アルヴィンは身じろぎした。若すぎる枢機卿の正体に……よくやく、合点がいく。


「我が家から教皇を輩出することこそが、高祖父の代からの宿願なのだ」


 そう言うと、男はウシガエルのように座席にふんぞり返る。その態度は、高慢そのものだ。

 ──スパダ家とは、大陸屈指の銀行家である。

 そして、聖職者の叙階を金で買う、悪名高い一族としても知られていた。


「つまりお金の力で、異例の大出世をなさったわけね。それで、あなたが教皇になることと、あたしたちに手を貸すこと、どんな関係があるのよ」

 

 嫌悪感を隠さないアリシアに、男は鼻を鳴らす。


「もし、枢機卿連中が不死者となったらどうなる? そして、次の教皇に選出されたら? もはや我が家の目的は、永遠に達成できなくなるではないか」

「……理由は、それだけですか?」

「いけ好かん連中の、邪魔立ては愉しい。まあ、それもあるな」


 そう言うと、男は人の悪い笑みを浮かべる。

 アルヴィンは黙考した。ウルベルトが手を貸すのは、利害が一致したからに過ぎない。信用に値する仲間だとは、とても言えない。

 不利と判断した途端、寝首をかかれる危うさがある。


「残念ですが──」

「わたしは行くわ」


 凜然とした声が、アルヴィンの言葉を遮った。発したのは他でもない、赤毛の少女である。

 アルヴィンは面くらい、首を横に振った。


「メアリー! 僕は反対だ、危険すぎる」

「あのね、前にも話したでしょ? これは、わたしにとって償いなの」


 アルヴィンとは対照的に、少女の声音は静かで、落ち着いたものだった。


「わたしは聖都に行って、ショーニンにならないといけない。この先どんな危険があるかは分からないけど……少なくとも、じいさんが見込んだ相手なら、信用してもいいと思う」

「だが……」

「お願い」


 メアリーの双眸には、強い意志が宿っていた。反駁しようとして、アルヴィンは言葉に詰まった。

 彼女をこの男に託す、それは不本意極まりない選択だ。だが、メアリーの意思は固い……


「気は変わらないのか?」

「うん、そうね……ごめんなさい」


 アルヴィンは深いため息をつくと、声を絞り出した。


「……分かった」

「ありがとう!」

「懸命な判断だな」


 パチパチと、乾いた拍手が二人の会話に割って入った。軽薄な笑みを浮かべ、肉厚の手を鳴らすのはウルベルトだ。


「そうと決まれば長居は無用だ。おい! そこの」


 そこの、とはアルヴィンを指すのだろう。

 男は祭服から何かを取り出すと、突きつけた。それは、一通の封書である。


「ベラナに渡せ。必ずだ」


 受け取った封書を、アルヴィンはまじまじと見下ろした。裏返し、赤い封蝋に押された紋章を目にして──顔色を変える。 


「……これは!?」

「奴から頼まれたものだ。今回ばかりは、流石に骨が折れた。美味い酒を奢れと伝えておけ」


 そこまで言うと、ウルベルトは厄介払いでもするかのように、手をひらひらと振る。話はここまで、ということなのだろう。

 双子が先に客車から降りる。

 アルヴィンは、メアリーを見やった。


 聖都へ発つ、つまりそれは──別れの時、だ。

 短い間だったが、彼女とは色々なことがありすぎた。

 初めに不死魔女として対峙し、呪いを解き、一度は死んだものとすら思った。炎上する修道院で再会した後は、息もつかせないような危機の連続だった。


 死地を共にくぐり抜けた仲間……そんな軽い言葉では、とても表現できない。

 アルヴィンは、名残おしさのような、熱い感情が湧き上がるのを感じた。  


「……メアリー、聖都まで気をつけて」


 だが口から出たのは、ただただ陳腐な挨拶だった。気の利いた言葉一つ、思い浮かばない。

 赤毛の少女は俯いたまま、一言も発しなかった。普段のあっけらかんとした明るさが、影を潜めていた。

 アルヴィンは戸惑った。こんな時どう振る舞えば良いのか……そんなこと、学院では教わらなかった。


 それじゃあ、と告げ、地面を踏む。

 足取りの重たさは、泥濘のせいだけではない。


 その時、ふいに腕を引かれた。

 振り返り──途端、アルヴィンは棒きれのように硬直した。

 メアリーが、彼の上半身に抱きついたのだ。そして頬に、柔らかい唇が触れた……ような気がする。 


「ありがとう、アルヴィン!」


 それは、ほんの一瞬の出来事だったのだろう。

 ……何が起きたのか理解し目を見開いた時、既に少女の姿はない。御者が鞭を振るい、馬車は雨の中を走り出した。

 残されたのは、顔を真っ赤にしたまま立ち尽くす、アルヴィンである。


「意外と隅におけない男なのですね」


 呆然としたままのアルヴィンの肩を、アリシアが強く叩く。


「あたしたちも行くわよっ!」


 どこに、とは流石に聞き返しはしなかった。向かうべき場所は、一つしかない。

 アリシアは、高らかと宣言したのだった。


「さあ、アルビオの伏魔殿に乗り込もうじゃないの!」

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