四章 原初の魔女

第40話 アルビオのいちばん長い夜

 変化は、実に些細なものだった。

 一陣の冷たい風が吹き、夜空に小さな黒い雲が湧き上がった。

 しばらくして、ぽつり、ぽつり、と雨粒が地面を打ち出す。


 ──明日は、雨だろうか。 

 小さくため息をついて、エレンは診療所を施錠した。建て付けの悪い扉は暫く抵抗したが、体重をかけるとあるべき位置に収まる。


 ぱたぱたと駆けて、待合室に戻る。

 視線の先には、来訪者の姿があった。神聖な教会に牙を剝き、今や背教者として粛正命令が下された、四人の逃亡者達である。

 つまり元審問官のアリシアとエルシア、元審問官見習いアルヴィン、そして元不死の魔女メアリーだ。

 肩書きにやけに元が目立つのは、複雑な事情故だ。


 くたびれたソファーに双子が並んで座り、向かいにアルヴィンが腰掛けている。その隣に、赤毛の少女がちょこんと座っていた。

 アルヴィンは、陶製のマグに口をつけた。甘めのホットココアが、疲れ切った身体に沁みる。思い返せば、朝からずっと走りっぱなしだった。

 緊張の糸が切れたのだろう、隣でメアリーが舟を漕いでいた。


「──どういうことか、説明をしてもらえますか?」


 その要求は、彼らを匿った者として当然の権利だといえた。エレンはパイプ椅子を引っ張り出してくると、腰を下ろす。


 アルヴィンはこれまで知り得た情報を、三人に打ち明けた。

 駆逐されたはずの白き魔女は存命で、ベラナだけがその幽閉場所を知ること。教会の中枢には、不死をめぐるドス黒い陰謀が渦巻いていること。そしてメアリーはその被害者であること。

 ただし、クリスティーの正体は伏せた。彼女もまた、枢機卿らの陰謀の被害者であると──噓ではない──そう話す。


「お二人にまで迷惑をかけてしまって、すみません」

    

 改めてアルヴィンは、双子に詫びた。彼女らを巻き込んでしまったことへの、自責の念は強い。

 アリシアは胸元で腕を組むと、語気を強くした。


「そうよ! でも謝るところはそこじゃない。何かあったら、あたしたちを頼りなさいって言ったでしょ!」

「一人で抱え込むのは、あなたの悪いクセなのです。わたしたちは、仲間なのです!」


 双子の言葉に、アルヴィンは頭を下げるしかない。贅沢を言うなら、学院時代もこれくらい優しくして欲しかった。

 そして的外れな援護射撃が、意外な方角から飛んできた。


「手下をいぢめないで! わたしを命がけで守ってくれたのよ!」


 どうやら、目を覚ましたらしい。アルヴィンの腕にしがみつきながら反論したのは、メアリーである。


「いぢめてはいないのですが……」

「ウソ! 困った顔をしてるじゃない!」 


 その原因の九割は、メアリーなのだが…… 

 放っておくと、おかしな方向に行きかねない。アルヴィンは咳払いをすると、速やかに会話を遮った。


「それよりも、これからの事です」

「反撃、なんでしょ?」


 アリシアの問いかけに、アルヴィンは力強く頷く。囚われたベラナとクリスティーを、一刻も早く救出しなくてはならない。

 だがアリシアは、声を硬いものに変えた。


「でもね、ただ助けただけじゃ、ハッピーエンドにはならない。それは分かっているわよね?」

「残念ながら、凶悪な逃亡者が六人に増えるだけでしょうね」


 アルヴィンは肩をすくめてみせる。

 眠り姫、とも揶揄される教皇ミスル・ミレイは、魔女の呪いによって昏睡状態にある。実質的に教会を掌握しているのは、枢機卿らだ。

 その支配を覆さない限り、粛清命令は撤回されない。


 そしてメアリーは、静謐な聖都の奥底でうごめく陰謀の、唯一の証人だった。

 処刑人らが偉大なる試みと呼ぶ、人の不死化。それを告発し、枢機卿らを失脚させる。

 それが唯一の、打開策だ。

 問題は、遠く離れた聖都まで、どうやって彼女を送り届けるかだ── 


「……じいさんが、迎えが来るって言ってたわ」


 ぽつりと、メアリーが漏らした。

 じいさん、とはベラナのことだろう。

 首切りのベラナと渾名され、畏怖される老人を、じいさん呼ばわりするのは、大陸でも彼女くらいなものだ。


「その人が、わたしをショーニンにするために、聖都まで連れて行ってくれるって」

「迎え……? それは、誰なんだ?」


 アルヴィンは身を乗り出した。一筋の光明が見えた気がした。


「詳しくは知らないわ。あ、でも! ……今夜、来るって言っていたかも……」

「今夜だって!?」


 アルヴィンは、驚きを顔に張りつかせた。

 そんな大事なことを──言いかけて、口をつぐむ。

 処刑人が修道院を襲撃してから、命の危機の連続だったのだ。メアリーを責めることはできない。


 既に時刻は、夜半を過ぎていた。本当に迎えが来ていたとしても、しびれを切らして帰った可能性が高いが──

 とにかく、行くしかない。


「アルヴィン」


 立ち上がった彼に声をかけたのは、エレンだった。胸に手を当て、不安に唇を震わせている。


「先生を、お願いします」


 声を絞り出すようにして懇願する少女に、アルヴィンは頷く。

 容易に本心を明かさず、秘密主義で、どこまでも素直じゃない。クリスティーへの文句は、一ダースでは足りない。 


「必ず」


 だが……必ず、救い出す。 

 アルヴィンは声に、力を込めた。





 雨は、本降りへと変わっていた。

 メアリーが記憶していた待ち合わせ場所は、夕刻に訪れた墓地の外れだった。

 深夜の、そして冷たく打ちつける雨は、気分を陰鬱にさせる。

 四人は黒い外套を着込み、オイルランタンをかざした。暗闇の中に目を凝らしても、何の気配も感じ取ることはできない。


「……遅かったのかしら」


 アリシアの呟きが、雨音の中に消える。

 ふとアルヴィンは、暗闇の一点を凝視した。直後、馬の嘶きが耳を打った。

 冷雨を切り裂いて、六頭立ての馬車が走り出た。御者が手綱を引くと、泥濘の中に停車する。


 その豪奢な馬車に装飾されていたのは──枢機卿の紋章だった。



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