第6話 幻のティタニア
威厳をまとった老人が、アルヴィンの前に立つ。
それが誰であるか、学院で知らぬ者はいまい。
元上級審問官グラッドストーン。オルガナの、現学院長である。
「貴女こそが、ティタニアだ!」
思わぬ展開に、アルヴィンは慌てた。
男がティタニアになったなど、学院史に汚点を残しかねない。
「こ、困ります、学院長! ぼ……私には、いただく資格がありません!」
「資格ならある」
自信に満ちた口調で、学院長は断言する。
「学院生の多くは、勘違いをしておる。ティタニアとは、ただ美しいだけの者に与えられる称号ではない」
「ですが──」
尚も固辞しようとするアルヴィンに、ふと老人は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。二人だけに聞こえる声で囁く。
「分からぬかね? カボチャを落とした哀れな老人に手を貸す、心の優しさこそが大事ということじゃよ」
茶目っ気たっぷりに、学院長はウインクをして見せる。
アルヴィンは、ハッとした。
フェリックスに会いに行った日に、記憶が巻き戻る。
あの時、廊下にカボチャがぶちまけた、図々しい老人がいた。目深に被った帽子のせいで顔はよく見えなかったが──声が、学院長のものと重なる。
「あなたは!?」
思わずアルヴィンは絶句した。
ティタニア候補を探すために、わざわざあんな小芝居をしていたとすれば……学院長、あなたはどれだけ暇なのか。
そして女装を見抜いた観察眼には、驚きを通り越して呆れすら湧いてくる。
「さあ、新しいティタニアの誕生じゃ!」
グラッドストーンは得意顔で、高らかと宣言する。
割れんばかりの拍手が沸き起こる。
もはや辞退するとは言えない空気だ……。アルヴィンは曖昧な微笑みを浮かべるしかない。
こうして、数年ぶりにティタニアが誕生した。
プロムナードは喝采の中で、幕を閉じたのだった。
「茶番はそこまでだ!!」
──いや、閉じていなかった。
憤怒に満ちあふれた声が、会場の高揚した雰囲気をぶち壊した。
学院長とアルヴィンの間に割り込んだのは、ヴィクトルである。背後には、双子もいる。
この急展開に完全に忘れていたが……逃げる途中、だった。
「正体を見せろ!」
ヴィクトルが腕を掴んだ。そしてウイッグに手を伸ばす。
まさに、間一髪だった。
手が届く寸前、フェリックスがヴィクトルの足を、しこたま踏みつけたのだ。
「ぐおっ!?」
「逃げろ!」
フェリックスの声に弾かれるようにして、腕を振りほどく。身を翻し、出口へと駆けだした。
「待て! アル──」
アルヴィンと、観衆の前で叫ばれたら終わりだ。
とっさに彼は、手を閃かせた。
手近なテーブルの上にあった物──パンプキンパイを、投げつけたのである。
ヴィクトルは、僅かに首を傾けて避ける。
そしてパイは綺麗な放物線を描き……背後にいた、アリシアの顔に命中した。
「あっ……」
アルヴィンは、顔を青ざめさせた。
よりにもよって、なぜそこに飛んだのか。
「な、何をするのよおおおおっ!!!!?」
アリシアの叫び声が、会場に響き渡った。
プロムのためにせっかくメイクした顔は、見る影もない。美麗なイブニングドレスは、パイまみれである。
彼女は怒りと屈辱に震えた。
まさかフェリックス様を奪われた挙句に、こんな仕打ちまで受けるとは──!
手近にあった料理や皿を、手当たり次第に泥棒猫へ投げつける。
アリシアには、実に申し訳ないことをした。それは真摯に詫びたい。
だが……だからといって、飛来してくる大皿にぶつかる義理もない。
投擲されたそれらを、アルヴィンは俊敏に回避した。結果、背後で新たな悲鳴が上がる。
この場にいるのは審問官の卵であるとはいえ、血気盛んな若者達である。
新たな被害者がパンプキンパイを投げ返し、混乱が拡大する。会場のいたるところで、復讐の応酬が始まった。
料理や皿が、空中を飛び交う。乱闘まで始まる。
一つだけお断りをさせていただくと、料理を投げてはいけない。武器として使っていいのは、意中の男性の心を掴みたい時だけだ。
混迷極まるプロム会場の扉が、荒々しく開かれた。
ただならぬ騒ぎを聞きつけたのだろう、数人の教官が駆け込んだのだ。
「全員動くな! 直ちに退出しろっ!」
全く理屈に合わない命令を叫ぶあたり、教官らも相当混乱している。その顔にパイが命中するにいたって、事態の収拾は、もはや不可能となった。
会場は阿鼻叫喚の様相を呈する。
優雅なプロムナードは、こうして壮大なパイ投げ大会へと変貌したのだった。
遠くの方で喧噪が聞こえる。
宴は、まだ続いているようだ。
「……とんでもないことになった」
ウイッグを外すと、アルヴィンは力なくへたり込んだ。地面から伝わる冷たさが、今は心地良い。
会場を抜け出せたのはいいが、頭から靴先にいたるまで、酷い汚れようである。
「まさか、こんなクリスマス・イヴになるなんてね」
フェリックスは人事のように、笑いながら応じる。憎らしいことに、彼の服は汚れ一つなかった。
アルヴィンは、冬の星座が瞬く夜空を見上げた。
なんとかヴィクトルと双子を振り切ったが、次に会う時にはどんな言い訳をしたらいいのやら……
陰鬱としたアルヴィンとは裏腹に、フェリックスはどこか晴れ晴れとした顔をしている。
「──最後に、良い思い出ができたよ」
「最後?」
ぽつりと漏れた言葉に、アルヴィンは怪訝そうな視線を向けた。
フェリックスは頷くと、地面に視線を落とした。
「実は、母と同じ古言語学者になろうと思ってね。年が明けたら、聖都のスクールへ入学する予定なんだ」
聖都は、オルガナから遠く離れている。スクールへ入学すれば、もう会うことはないだろう。
アルヴィンは表情を曇らせた。
「そうだったのか……」
「だからさ、キミと踊れて楽しかったよ。これから進む道は違うけど、お互いベストを尽くそうよ」
そう言うと、フェリックスは右手を差し出した。
彼にも、目指すべき目標がある。父の仇を討つために、審問官を志すアルヴィンと同じように。
二人は固い握手を交わした。
にっこりと、フェリックスは微笑む。
「次に会った時は、また踊ろう」
「それは断る」
この男と踊ると、ろくなことがない。
きっぱりと、アルヴィンは拒否したのだった。
オルガナでプロムナードが催されたのは、この年が最後となった。
翌年のクリスマス・イヴからは、パイ投げ大会に変更されたという。
最後のティタニアの行方は、未だに知れない。
(原初の魔女編につづく)
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