第5話 美少女と野獣たち
「ここを開けろっ!」
神経質な声と共に、扉が激しく震える。
女子をトイレに連れ込んだなど、完全な誤解だ。
だが、ドレス姿の男と二人でいる理由も……上手く説明する自信がない。ヴィクトルは嬉々として、放校処分を下すに違いない。
アルヴィンは唇を嚙んだ。
出口は一つだけだ。そこが塞がれている以上、逃げる術はない。
──いや、ある。
こうなったからには、毒を食らわば皿までだ。アルヴィンは腹を据えた。
数分後、扉が耳障りな音を立てながら開いた。
「ここで何をしていた!」
厳しい叱責が、二人を射貫く。
トイレの中には、男女がいた。いかがわしい行為におよぼうとしたことは、疑いようがない。
答えたのは、男だ。
「妹が急に気分を悪くして。ここで吐かせていたんです」
落ち着きを払った様子で、テイルコートを着た少年が答える。
──アルヴィン、ではない。銀髪の少年である。
隣には、イヴニングドレス姿の少女がいた。俯いた顔は真っ青で、細かく肩を震えさせている。
ヴィクトルは首をかしげた。
少女は見るからに具合が悪そうだ。体調不良は事実なのだろう。
だがトイレに入った男は、確かにアルヴィンに見えたが──
「君達二人だけか? 他に誰かいたのではないかね」
「さあ、どうでしょう?」
「はぐらかすな。正直に話したまえ」
「お言葉ですが、ボクは学院生ではありません。あなたの指図は受けません」
フェリックスは毅然とした態度で、ヴィクトルの言葉を撥ねつけた。
それでは、これで。と言い残すと、少女の手を引いて外へ出る。
「待ちたまえ」
少女──いや、アルヴィンは、身体を板のように硬直させた。すれ違いざま、ヴィクトルに肩を掴まれたのだ。
油の切れたブリキ人形のように、ぎこちなく振り返る。
「……な、な、何か?」
「これは君の物だろう」
「……え?」
ヴィクトルの手には、女物のハンカチが握られていた。
慌ててドレスに着た時に、落としたのだろう。アルヴィンは、ひったくるようにして受け取る。
「気分が悪いのは分かるが、礼くらい言ったらどうかね」
「……ありがとうございます……ヴィクトル教官」
視線は合わさない。できるだけ声色を変えて、頭を下げる。
アルヴィンは内心で、安堵の息を漏らした。
可愛げのない兄妹がトイレを出た後、ヴィクトルは視線を巡らせた。
他者の気配を、感じ取ることはない。やはり、気のせいだったのか。
だが……何かが腑に落ちない。そして、はたと気づく。
「──なぜ、小生の名前を知っている?」
疑念が、確信へと変わった。
ヴィクトルの目が鋭さを増し、二人が出て行った扉を睨みつけた。
可能な限りの早足で、廊下を歩く。
とにかく一旦外に出て、どこかに隠れなくてはならない。
人とすれ違う度に、アルヴィンの心臓は踊り狂った。もし知り合いに見つかって、気づかれたら――終わる。
変態女装野郎のレッテルを貼られたまま、四年間を学院で過ごすのは辛すぎる。
アルヴィンの懊悩をよそに、フェリックスは、まるでこの状況を愉しむかのようだ。
「堂々としていればいいんだよ! 誰も気づきはしないから。ドレスを着たキミも、すごく可愛いよ」
「ふざけている場合かっ」
フェリックスの戯れ言は、本気で腹立たしい。だが……気づかれない、という一点に関しては、確かにその通りかもしれない。現に今も、数人のクラスメイトが素通りして行った。
そして……何故か、熱の篭もった視線を向けられる気がする。主に男子から、だが。
ふと立ち止まり、アルヴィンは窓に映る自分を見た。
見慣れた姿は、そこにはない。代わりに、憂いのある表情を浮かべた、とびきりの美少女が佇んでいる。
「は……?」
我が目を疑い、アルヴィンは擦った。窓に映った美少女も、同じように目を擦る。
狐に抓まれたような気分だった。
「僕なのか!?」
「お取り込み中悪いんだけど」
背後で、咳払いが聞こえる。
「感動のビフォア・アフターの時間じゃなさそうだよ」
フェリックスの指摘は正しい。
目で指し示された先に……急追してくる、ヴィクトルの姿がある。
心拍の鼓動が、一気に跳ね上がった。妹の正体に、勘づいたに違いない。
もし追いつかれれば……オルガナを放校される。
とにかく、逃げるしかない。
だが、それ以上前に進むことは、許されなかった。アルヴィンは、神を呪った。
彼らの前方、武道場の入り口辺りに、双子がいたのである。
最悪のタイミングで、エルシアが気づく。
「フェリックス様!? お待ちしておりましたわっ!」
双子が手を振りながら、駆け出した。
前からは双子、後ろからはヴィクトル。まるで虎と狼に挟み撃ちにされたかのようだ。
「こっちだ!」
ちょうど横手に、扉があった。
フェリックスに手を引かれ飛び込んだ先は……広々とした空間だ。プロムナードの会場である。
普段は殺風景な武道場は、今夜ばかりは煌びやかに飾り付けられていた。奥には、オーナメントで飾られた、モミの木が見える。
そこは二百人以上の参加者の、若い熱気に溢れていた。
二人は人混みをかき分けながら、奥へと進む。少し遅れてヴィクトルと、双子が迫る。
会場の中央では、十組ほどのカップルがダンスを始めようとしていた。
フェリックスは途端に目を輝かせた。
「アルヴィン、ボクたちも踊ろう!」
「こんな時に何を言ってるんだ!?」
アルヴィンは、正気を疑う。この期に及んで、まだ諦めていないとは……呆れる他ない。
「心配ないよ。踊っている間は、彼らも手出しできないさ」
「その後はっ!?」
「いいから、ボクを信じなよ」
この状況を作りだした張本人を、どう信じろというのか。
抗議をする間はなかった。腕を引っ張られて中央に進みでた途端、ワルツが流れ始めたのだ。
初めてのプロムで、まさか男と――しかも女として踊るはめになるとは、完全な黒歴史である。
暗澹たる思いに沈むが……今は、やるしかない。
もはや、ヤケクソである。
手を組み、ホールドする。当然だが、女性のステップなどろくに知らない。無様に醜態を晒すだけだ……と思いきや、フェリックスが巧みにフォローし、リードする。
観衆から感嘆の声が上がった。
技量の高さに、アルヴィンは驚く。
上手い、というレベルで収まるものではない。まさに練達の域に達するものだ。
「母に仕込まれてね」
涼しい顔で、フェリックスは耳打ちする。
彼のダンスは主張しすぎず、主役である女性を最大限に引き立たせるものだ。
外見だけではなく、ダンスのセンスも一流。つまり双子の見立てに、狂いはなかったわけだ。
ふと気づいた時、踊っているのはアルヴィンとフェリックスだけになっていた。
羨望と嫉妬が入り混ざった観衆の視線が、ただ一人に向けられていた。
そうフェリックスに――
違う、アルヴィンに向けて、だ。
演奏が終わった。
同時に、割れんばかりの拍手が起こる。
観衆が割れ、白髪の老人が進み出た。発せられたのは、全く予想だにしない言葉だった。
「素晴らしい! 貴女こそがティタニアだ!」
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