第39話 凶音の魔女は死す

 アルヴィンは耳を疑った。

 我を忘れ、リベリオの胸ぐらを掴む。

 

「父を殺したのはキーレイケラスだって!? いい加減なことを言うなっ!」

「う、噓ではない! 本当だっ」


 リベリオは目をむきながら、身体をばたつかせる。 


「十年前、白き魔女を教皇派が幽閉するという……リ、リークがあったのだ! 奴は、不死に近づくための鍵だ。キーレイケラスが阻止するために急襲し……審問官同士の、殺し合いとなった」

「なんだって!?」


 アルヴィンの手に、力がこもる。首を締め上げられ、リベリオは酸欠に喘いだ。  


「……そして、審問官殺しの罪を、白き魔女に被らせた……! それが真相だっ……!」

「だったら、白き魔女は……」

「誰を殺してもいない。抵抗すらしていない」

「そんな!」 


 ずっと憎み続けてきた魔女が、仇ではなかった。

 雷に打たれたような衝撃が、アルヴィンに走った。


「だとしたら── 」


 同時にアルヴィンの胸に、深い後悔の念がこみ上げる。

 ── クリスティーもまた、無実、だったのだ。

 彼女を信じ切れず、一方的に取引の解消を宣言した自分の愚かさに、身体が震えた。


「アルヴィン、しっかりしなさい!」


 呆然とした様子のアルヴィンを、エルシアが叱咤した。 

 

「これで終わりではないのでしょう? 成すべきことを、よく考えるのです」

「……すみません、先輩」


 彼女の言う通りだ。

 過去の過ちを悔いる前に、やらなくてはならないことがある。 


「まずは、こいつをどうするかよね。処分、でいいのよね?」


 アリシアは、うずうずとした様子を隠そうともしない。期待に満ちた視線を、アルヴィンに送る。

 その意味を解して、リベリオは文字通り飛び上がった。


「お、俺は全部話したぞっ!? 助けてくれ、アルヴィン! 頼む、見捨てないでくれっ!」


 わめきながら、すがるような目をよこす。中年男の命乞いは、見苦しい限りだ。

 アルヴィンは、深く息を吸った。心を落ち着かせると、極力冷静に、語りかけた。


「審問官リベリオ。あなたの兄は、目的のために無実の人を殺すような、どうしようもないサディストでした」

「……」

「だけど、教会の未来を案じる気持ちは本物だったと信じたい。結果的に殉教させたことは、申し訳なかったと思っています。あなたは、これまでの行いを悔いて、やり直して欲しい。教会と訣別し、二度と関わらないと誓うのなら、解放しましょう」

「アルヴィン!!」


 双子が同時に抗議の声を上げた。

 リベリオは抜け目なく両眼をぎょろつかせた。頭の中で、目まぐるしく打算を働かせているに違いない。間髪を容れず、叫ぶ。


「分かった、誓う! 誓おう! これで── ……!!」

「いいでしょう」


 リベリオの口は、途中で蓋をされた。物理的に。アルヴィンが布の塊を、突っ込んだのである。 


「……!? ……っ……ろ!!」


 言葉にはならずとも、それは罵倒の類いだろう。 

 アルヴィンは丁重に無視すると、三人の元へと戻る。

 振り返ることはない。この不愉快な男と、もう会うこともない。

 迎えたアリシアは、呆れ顔だった。


「甘いのね! 情けをかけても、あいつは感謝も改心もしないわよ」

「分かっていますよ」


 彼女の言う通り、リベリオが人として最低の部類に入ることは疑いようがない。その場しのぎで立てられた誓いなど、どこまで守られるか怪しいものだ。


「一度だけです。もし次があったのなら、許す気はありません」


 アルヴィンは、重々しく断言する。 

 その決断は、クリスティーを信じることができなかった悔いと、ウルバノに手を下した後ろめたさが、影響したのだろう。甘いと言わればその通りで、反論はできない。

 だが……一度だけ、チャンスを与えるべきだと思ったのだ。


 土手を登り、夜更けの街を眺めやる。この時間帯、点灯している街灯はまばらで、行く手には深い闇が横たわっている。

 粛正命令が出された以上、このまま教会に戻ることはできない。双子は心強い味方だが……巻き込んでしまったことには罪悪感がある。

 そして依然として、この街を掌握するのは処刑人たちだ。


 だが── やられっぱなしは、もう終わりだ。 


「それで、これからどうするつもりなのです?」


 アルヴィンは顔を上げ、真っ直ぐに前を見た。 


「貧民街にいる、協力者を頼ります」

「その後は?」


 その声に迷いはない。アルヴィンは、力強く答えた。 


「決まっています。反撃ですよ」





 時刻は、とっくに夜半を過ぎているはずだ。

 はず、というのは、この特等室が地下にあり、外の様子を窺い知ることができないからだ。もちろん、時計などこの部屋にはない。


 何度か試してみたが、精神を集中しても魔法は霧散し、形を創らない。

 ── 修道士が四半世紀をかけて石を積んだ牢だ。

 昼間に対峙した、不快な男の声が甦る。この部屋は魔法の発動を制限する、それはあながち噓ではなかったらしい。


「── 参ったわね」


 クリスティーはゴツゴツとした石造りの天井を見上げ、呟いた。

 手足は木製の枷で拘束され、自由はない。水牢の水位はせいぜい踝程度であったが、一日冷水の中に置かれて、身体は冷え切っていた。体力は、確実に削られている。


 重い鉄扉が、錆び付いた音を立てながら開かれたのは、その時だ。


「凶音の魔女クリスティー。ようやく我が手におちたか」


 毒々しい悪意に満ちた声が、牢内に反響する。

 声の主は、上級審問官キーレイケラスだ。

 齢は六十くらいだろう。年齢に反して、その身のこなしには全く隙がない。 

 クリスティーは来訪者を、皮肉を込めた目で出迎えた。


「やっとお出ましね。手下と、手下の手下みたいな連中しか来なくて、退屈していたの。さっさと、自由にしていただけないかしらね」

「口の減らぬ奴だ。死が、怖くないのか?」

「私は母から譲歩を引き出すための人質なんでしょ? 殺されるはずがないもの」


 クリスティーは、平然とした顔で言い返す。その思い違いを笑うかのように、キーレイケラスは嘲弄した。


「聖都の老人たちは、そう考えているようだな」


 まるで他人事のように言うと、男は長剣を抜いた。隻眼から、強い殺意の粒子が噴き出した。


「だが不死など、私はどうでもいい。貴様は抵抗したから駆逐した。言い訳などいくらでも立つ」

「あの時、両目を潰してやればよかったわね」


 クリスティーの声音が、薄いカミソリの刃のように切れ味を増した。 


「一つ忠告をしてあげる。私に危害を加えることは、お薦めしないわよ。何かあったら、お節介な伯母達が黙っていないわ」

「── 原初の十三魔女、か」


 ランタンの光を、白刃が反射した。 


「!!」


 刹那クリスティーは、激痛に身体を痙攣させた。長剣が、腹部を刺し貫いていた。


「生憎だが、与太話に興味はない」


 無慈悲に言い放つと、剣を引き抜く。

 同時にクリスティーの身体が、崩れ落ちた。小さなしぶきが上がり、周りを赤黒く染めた。

 ダークブロンドの髪が、冷たい水に漂った。





(原初の魔女編につづく)





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