第37話 地獄にいちばん近い場所 1

「何をしている!? さっさと始末しろ!」


 リベリオのわめき声が、河原に響いた。

 長剣を失った処刑人達は、拳銃に手を伸ばす。

 だが、それを指を咥えて待ってやるほど、アリシアが甘いはずがない。瞬きをする間もなく、処刑人らは叩きのめされ、地に這った。


 仮面の外れた、その顔は── やはり、人形か。

 男らを無力化すると、アリシアはリベリオへ向けて猛然と駆け出した。


「アリシア先輩っ!」


 彼女は不死の魔女との戦いで負傷し、入院中の身だ。リベリオとの戦いは無謀である。

 追おうとしたアルヴィンを、エルシアが制止した。


「アルヴィン! 心配ないのです」

「先輩は、けが人ですよ!?」

「こんな元気すぎる患者は診たことがない、早く退院してくれと、お医者さまも呆れていたのです。それよりも── 」


 穏やかな声音とは裏腹に、エルシアの目が鋭く光る。


「探したのですよ? あなたが血相を変えて飛び出した直後に、粛正の命令が出されて」


 河原に倒れた、数体の人形を一瞥する。そして彼女の背後には……不安げに目を泳がせる、メアリーの姿があった。


「あとで、きっちり説明していただきますからね」

「はい……」 


 エルシアの口調は、有無を言わせないものだ。アルヴィンは、頷く他ない。


「図に乗るなっ!」


 リベリオの怒号が、夜の空気を震わせた。

 手には、黒光りする拳銃が握られていた。銃口を向け、引き金を絞る。だが── 猛進する、アリシアのスピードが勝った。

 射線がぶれ、発砲と同時に土煙が上がった。


 二発目の銃声は、起きない。

 肉薄したアリシアが、短剣を一閃させた。拳銃は、シリンダーの手前から、真っ二つに切断される。もはやスクラップとなったそれを、リベリオは舌打ちと共に投げ捨てた。


「良かろう。稽古をつけてやる!」


 この状況で余裕を失わないのは、流石は処刑人というべきか。経験してきた場数の違いを感じさせる。

 すかさずリベリオは長剣を抜いた。

 いや、遅い。

 電光石火のごとく、喉元に短剣が突きつけられたのだ。


「動くな、とは言わないわよ? 遠慮なく首を落としてやるから」


 アリシアの声には、容赦がない。

 冷たい刀身を押しつけられて、男は声を上ずらせる。


「お、俺に剣を向けて、どうなるか分かっているのかっ!? お前らも背教者だぞ!」 

「それは困るわね」


 うんざりとした表情で、アリシアは短剣を引いた。 

 リベリオは安堵と下劣さが混ざり合った笑みを浮かべ── 直後、凍り付いた。目から、星が飛び出た。

 短剣を引いたアリシアが、拳を握ると、顎下に強烈な一撃を見舞ったのだ。


「強者かなんだか知らないけど、なんでも思い通りになると思ったら大間違いよ!」


 その声は、もはやリベリオの耳には届かない。

 意識を失い、その場に崩れ落ちた。





 一連の戦いで、周囲に相当派手な騒音をまき散らしたことは、疑いようがない。

 だが不思議なことに、市警察が臨場することはなかった。

 リベリオがあらかじめ、手を回していたのだろう。そしてそれは、今のアルヴィンらにとっては、実に好都合だった。


「さて、こいつをどうするの?」


 アリシアは冷ややかに、哀れな捕虜を見下ろす。

 視線の先には、後ろ手に縛られた、リベリオの姿がある。

 仮面は外され、素顔が露わになっている。その顔は、怒りと恥辱に歪んでいた。

 どうやらこの男は、人間であったらしい。


 アルヴィンは膝を折ると、言葉を選びながら尋ねた。


「審問官リベリオ、あなたは人間なんですね。あの人形がなんなのか、説明をしていただけませんか?」

「こんなことをして、タダで済むと思うなよ!」


 目を血走らせ、リベリオは独創性の欠片もない台詞を吐き捨てる。礼を尽くして尋ねたところで、答える気はさらさらなさそうだ。

 両目に屈辱の炎を燃え上がらせ、リベリオは双子を睨みつける。


「お前達も、ただではおかんからな! 覚悟しておけ!」

「あのね、自分の立場が分かってるの?」


 腕を組むと、アリシアは呆れ果てたように冷笑した。そして、これ見よがしに短剣を抜いて見せる。


「あなた、捕虜なの。質問に答えないなら拷問されるわけ。あなたこそ、覚悟はできてるんでしょうね?」

「とりあえず、片耳を削ぐのがいいと思いますの。人の話を訊かない耳なら、必要ないでしょう」

「それもそうね」


 それは演技なのだろうが……ことさら人の悪い笑みを、双子は浮かべる。

 リベリオは、顔を引きつらせながら叫んだ。


「よ、よせっ! 無抵抗の相手の耳を削ぐなんて、残酷だと思わないのかっ!?」


 これほど説得力に欠ける反論というのも珍しい。アルヴィンは呆れた。

 地下水牢で、クリスティーの耳を削ぐように強要したのは、この男自身ではないか。

 リベリオは恐怖に震え上がると、底の浅さをさらけ出した。


「そ、そうだ! お前達が優秀な審問官であることは分かった。大したものだ。処刑人になれるように、口添えしてやってもいいぞ! どうだ、人も金も、思うがままだ!」


 熱を帯びた勧誘は、だがその場にいた誰にも感銘を与えることはない。

 アルヴィンは軽く肩をすくめる。

 

「審問官リベリオ。生憎ですが、あなたと腐肉を漁るのはまっぴらです」

「ほんと、ベラベラとうるさい男ね」


 アリシアは嫌悪感を隠しもしない。無造作にリベリオの右耳を引っ張ると、切っ先を近づける。


「や、やめろっ!」 

「やめろ?」

「……やめてくださいっ! お願いします!」


 冷ややかな視線に射貫かれて、リベリオはみじめたらしく哀願した。

 

「だったら質問に答えなさい。あたしは気が長くて温厚だって評判だけど、今日はなぜか機嫌が悪いの。これ以上、忍耐力を試さないほうが身の為よ」


 リベリオは、アリシアを見上げて呻く。

 暴力のプロであるはずの男は、暴力の前に屈したのだった。

 

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