第36話 月はどちらに出ているか

「こんなことになるとは、残念でならないな、アルヴィン」


 ことさら口惜しさを強調する声とは裏腹に、リベリオは薄ら笑いを絶やさない。軽薄さは、嫌悪感を呼んだ。


 背後には、七人の処刑人が影のように控えている。男らは直立したまま、微動だにしない。

 生気を微塵も感じさせない無機質な様は、修道院で戦った処刑人を連想させた。彼らもまた、人形なのか──

 リベリオの口から、粘性のある毒気がこぼれ出た。


「アルヴィン、お前を背教者として粛正する」

「粛正……どういうことです?」


 全く穏やかではない単語が飛び出して、アルヴィンは身構える。

 リベリオの顔に、どす黒い悪意の波が横切った。


「お前には失望したぞ。まさか修道士を惨殺した挙げ句に、火を放つとはな。ぬけぬけと、よくそんなことが問えたものだ」

「なに言ってるの! やったのはあなたたちでしょっ!?」


 メアリーが、怒りに震えながら叫んだ。卑劣、としか言い様がない手口に、アルヴィンは拳を強く握る。

 ウルバノといい、自分の犯した罪を人になすりつけるのが、この兄弟の常套手段らしい。つくづく見下げた男である。

 氷のように冷徹な視線を、アルヴィンは向けた。


「目的のためには、手段を選ばず真実すらねじ曲げる。ご立派な流儀です。ですが、全てが思いのままになると考えているのなら、大きな間違いですよ」

「何が真実かを決めるのは、強者の特権だ」


 リベリオは優越感に満ちた目をギラつかせ、片手を上げた。

 鞘なりが連鎖し、凶刃が月明かりに瞬いた。背後に控えた処刑人らが、一斉に抜剣したのだ。


「さあ、這いつくばって命乞いをして見せろ。俺の気が変わるかもしれんぞ」


 サディスティックな笑みを、リベリオは浮かべる。

 彼が従えるのは殺戮のプロフェッショナル達である。対する二人は審問官見習いと、魔女の力を失った、小娘だ。

 戦う前から、勝敗は決している。哀願し、慈悲を求める以外に生き残る術はない。

 抵抗できない弱者を痛めつけることこそが、リベリオにとって最上の悦びだ。陶酔した顔で、唾を飛ばす。


「何をぐずぐずしている? さあ、ひざまづけ!」

「あなたの被虐嗜好に付き合うのは、ご免です」  

「……なんだと? もう一度言ってみろ!」


 アルヴィンは、心底うんざりしたように息を吐き出した。双眸に、辛辣な光が宿る。


「では、もう一度言いましょう。無抵抗の人間をいたぶる悪趣味はやめろ、変態野郎!」


 それは審問官として、不適切極まりない言葉だったかもしれない。

 リベリオはたちまち顔を、極彩色に染め上げた。


「こいつらを串刺しにしろっ!」


 怒声を上げ、手を振り下ろす。 

 処刑人らは殺気をみなぎらせると、二人を肉塊に変えるべく走り出した。

 一刻の猶予もない。アルヴィンは、メアリーに松明を握らせた。


「な、何よ!?」

「僕が時間を稼ぐ。その間に下水路に戻れ」

「馬鹿言わないで! あなたを置いていけないわっ」

「君がいたところで、足手まといになるだけだ」

「でも── 」


 食い下がるメアリーに、アルヴィンは声を張り上げる。


「走れっ!!」


 メアリーは一瞬身をすくめた後、弾かれたように下水路へと駆け出した。

 同時にアルヴィンは拳銃を抜く。五つの殺気と長剣が、彼目がけて殺到しつつある。

 つまり、メアリーを追う処刑人は二人だ。ことさら挑発して見せて、敵対心を自分に向けさせた効果が少しはあったらしい。

 アルヴィンは横目で、下水路へ走る処刑人の姿を捉える。

 真横に、銃口を向ける。


 暗闇を数条の火線が立て続けに走った。

 アルヴィンに支給された銃弾は、模擬弾だ。殺傷能力は低く、チェーンメイルを着込んだ相手には、さらに効果は薄い。

 だが、完全な防備に見えたとしても、綻びは必ずある。脚部にできた、僅かな防具の切れ目をアルヴィンは見出した。 


 悲鳴が上がり、処刑人が転倒した。

 真横を駆ける相手を一瞥しただけで、恐ろしい精度で射撃したのである。その技量は、神がかっている。

 これで僅かながら、メアリーが逃げる時間が稼げた。


 アルヴィンは、意識を正面に戻す。殺意の暴風が、目前にまで迫っていた。

 拳銃に── 残弾はない。先ほどの射撃で撃ち尽くしていた。

 アルヴィンは覚悟を決めた。

 五人の処刑人を相手にしたところで、勝ち目は薄い。

 だが、とことん悪あがきをして、時間を稼ぐ。できることはそれだけだ。


 アルヴィンは正面から突進する処刑人の顔に向けて、拳銃を投げつけた。男は剣を引き、銃を弾く。

 投擲は、突進を止めるにはいたらない。アルヴィンの首筋を狙い、斬撃が放たれた。


 咄嗟に、腕を突き出す。左腕は犠牲にするしかない。生まれた間で、長剣を奪い取り、反撃できるか──

 それはどう考えても、悪手としか思えない。痛みと出血に、そう長くは意識を保てまい。いや、剣すら奪えず、他の四人から串刺しにされるのがオチか──

 空気の分子すらも断ち切るような、鋭い一撃が閃いた。


 首が、地面を転がった。

 アルヴィンは目を見開いた。


 ── 死んだ、のだ。


 意外だった。苦痛もなく、拍子抜けするような最期だった。 

 眼前に、天使の姿が見えた。随分と早いお迎えだ。 

 その眼差しは穏やかで慈愛に満ちて……違う、勝ち気で、どこまでも勇ましいものだ。

 その顔には見覚えがある──


「アリシア先輩っ!?」


 アルヴィンを守るように、短剣を手にしたアリシアが立っていた。

 河原に落ちたのは、処刑人の首だったのだ。


「可愛い後輩が、お世話になったみたいね」 


 彼女は不敵な笑みを浮かべる。

 その語尾に重なるようにして、銃声が轟いた。四本の長剣が地面に転がり、うめき声が上がる。

 姉に斬りかかろうとした不届き者の手を、エルシアが撃ち抜いたのだ。


「たっぷりと、お礼をして差し上げますわ」


 審問官アリシアとエルシア。その姿はまるで、戦場に立つワルキューレのようだ。

 ── 形勢は、逆転した。

 

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