第35話 背教者と魔女

 アルビオの地下に張り巡らされた下水路を、二人は身をかがめながら進む。

 石と煉瓦で固められた内部は狭く、悪臭が鼻をつく。膝下まで濡らしながら、二人は先を急いだ。

 道中、メアリーはぶつぶつと悪態をつき続けている。薄暗い水路に、恨み節が尾を引いた。


「ほんと噓ばっかり! あそこなら安全だって言うから信じたのにっ! 焼き殺されそうになった上に、こんな所を歩かされるなんて……あのじいさん、絶対に許さないんだからっ!」 


 メアリーは、憤懣やるかたない様子だ。


「じいさん?」


 その単語が、誰を指しているのか。アルヴィンは嫌な予感がして、訊き返した。


「もしかして、じいさんとは……ベラナ師、のことか?」

「師……? って、そんなに偉い人だったの!? だったら尚更、約束くらい守りなさいよっ。人をこんな目に遭わせておいて、何をしているの!」


 懸念が当たって、アルヴィンは危うく躓きそうになる。


「……残念だが、ベラナ師は動くことができないんだ」

「動けない? それって、身体を悪くしたってこと?」


 怒りに満ちあふれていた声が、急に気遣わしげなものに変わった。数瞬前まで罵詈雑言を並べ立てていたにも関わらず、その瞳は憂いを帯びる。

 感情の変化が目まぐるしく、見ていて飽きない娘である。  

 ……いや、感心している場合ではない。メアリーに確認しなくてはならないことがあったのだ。


「ベラナ師なら大丈夫だ。心配しなくてもいい」


 アルヴィンは落ち着かせるように言うと、話を修正する。


「それよりも君を匿ったのは、ベラナ師で間違いないんだな?」

「そうよ。じいさんが助けてくれたのよ」

「──あの夜、何があったのか教えてくれないか?」


 仮面舞踏会があった夜。彼女は、ベラナによって射殺されたはずだ。

 あの時、本当は何があったのか──

 問いかけに、彼女は思い詰めたような表情を浮かべた。


「メアリ-?」

「……わたしが、どれだけ酷いことをしたのか、教えられたわ」


 メアリーは視線を落とし、言葉を絞り出す。


「わたしは、不死の魔女、だったのよね?」

「ああ」

「人を襲っている時のことって、夢の中にいるようで……ほとんど覚えていないの。でも、呪いのせいにして、なかったことにはできない。そうでしょ? 罪は罪。わたしは、たくさんの命を奪ってしまった」


 彼女の声には、深い悔悟の響きがある。


「でもあの時、じいさんは言ったわ。償いをする機会はあるって」

「償い? ……どういうことだ?」

「わたしはね、スーキキョーの悪事を暴く、ショーニンなの!」


 メアリーの声に、力がこもった。

 ショーニン。


 ──証人、か。


 ここにきてアルヴィンは、ようやくベラナの真意を理解した。

 メアリーは聖都で密かに行われている、偉大なる試み──人の不死化、の被害者だ。枢機卿らを告発し証言をすれば、この状況を覆すことができるかもしれない。

 静謐な聖都の奥底で、タールのように黒い粘性の陰謀がうごめいていることは、疑いようがないのだ。


「──射殺したように見せかけたのは、処刑人の目を欺くため、か」


 考えを巡らせながら、アルヴィンは呟く。

 彼女は、ベラナに罪を着せるための餌だった。役目を終えれば当然、処刑人らは処分しようと動くだろう。ベラナは死を偽装することで、彼女を守ったのだ。

 あの夜、感情にまかせて食って掛かったことを、アルヴィンは恥じ入る。 


 そして老人は、彼女の身に危険が及ぶことを考え、保険を掛けた。

 だから彼に、メモ紙を託した。


 ──何があったとしてもメアリーを守り、枢機卿らを告発せよ、と。


 アルヴィンは心中で唸る。

 老獪とも言えるベラナの手腕には、舌を巻く他ない。だが……そう上手く、事は運ぶまい。

 枢機卿会は処刑人を擁し、教会内で絶対的な権力を握る。告発をもみ消し、なかったことにするなど、造作もないだろう。

 唯一の頼みの綱である教皇は、眠りの呪いを受け、昏睡したままだ。

 この不利に打ち勝つカードを、ベラナは、持ち合わせているのか── 


 不意に、月明かりが足元に差し込んだ。

 ようやく出口に達したのだ。狭さと悪臭から解放されて、アルヴィンは息をつく。

 だが安堵は、そう長くは続かなかった。直後、二人は急停止を余儀なくされる。

 青白い月光の下、白い輪郭が浮かび上がった。


「待ちくたびれたぞ!」


 下水は河原を流れ、川へとそそいでいる。

 ごつごつとした石の転がるそこに、男は立っていた。仮面の下に、不吉な笑みが浮かぶ。


「投降しろ、背教者アルヴィン。そして不死の魔女メアリー!」


 そこは、絶望へと繋がる出口であったらしい。

 行く手に立ち塞がったのは、リベリオだ。

 そして背後には、完全武装の処刑人が一列となって控えていたのだ。

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