第31話 負けざる者たち

 ──選択をせよ、と。

 老人の声は重々しく響いた。


 ベラナの部屋は、アルヴィンの自室と変わらない殺風景なものだった。調度品は最低限で、ベッドと書き物机、あとは応接ソファーくらいだ。

 おおよそ上級審問官という位階に、似つかわしくない質素さがある。ただし、広さだけは数倍はあった。

 それ故に、殺風景さがより際立つが……

 

 三人は、応接ソファーに腰掛けた。アルヴィンの隣にエルシア、向かいにベラナが座る。


「選択、とは、どういう意味でしょうか」


 処刑人に気取られないように、アルヴィンは声を低くして尋ねた。

 手前の老人は、昨日こそ疲労が色濃かったが、目には獅子を思わせる力強さが戻っている。 


「教会は、二つの派閥に割れておる」


 そう言うと、ベラナは自虐的な笑みを浮かべる。


「もっとも、圧倒的多数派と少数派を、同列として良ければ、の話だがな」

「……多数派、とは枢機卿会、のことですか?」 


 アルヴィンは、記憶の糸を手繰り寄せながら問う。 

 枢機卿会とは、七人の枢機卿で構成される、教皇の顧問団だ。

 教皇ミスル・ミレイが眠りの呪いを受け、公の場から姿を消して久しい。今や彼らは、教会の実質的な支配者であると言っても過言ではない。


「枢機卿会は教会法をないがしろにし、不死を求めておる。処刑人を擁する彼らに諫言できる者はほとんどおらず、思うがままというわけだ」

「それに異を唱え、暗闘してきたのが教皇派なのです」


 エルシアが、真剣な声音で言い添える。   

 枢機卿会と教皇派、二つの勢力が対立している。アルヴィンにとって、それは初めて耳にする話だ。そしてベラナとエルシアは……言うまでもなく、少数派に属するのだろう。

 自嘲気味に、老人は続けた。 


「実際は、とても対抗できておる状況ではないがな。頼みの綱の教皇は、眠りの呪いを受け意識すらない。この十年で、多くの同志を失った」


 老人の声に、愁いの影が差した。

 いや──罪悪感、か。

 ベラナの心の底にある感情を、容易に読み取ることはできない。だがアルヴィンは、ほんの僅かな機微を感じ取る。


「審問官見習いアルヴィン。君は、どちらにつくかね?」


 ──枢機卿側につくか、教皇派側につくか。

 アルヴィンにとって、それは問われるまでもないことだ。


「初めてお目にかかった時のことをお忘れですか。僕の指導官は、あなた以外にはないと言ったはずです」

「処刑人に睨まれれば、無事ではおられぬぞ」

「ご心配には及びません。もう十分に睨まれておりますので」


 アルヴィンはしれっとした顔で答える。この期に及んで処刑人に味方したとしても、リベリオが許すまい。


「意思は、変わらぬかね?」

「変わりません」

「……強情は、あやつと同じだな」


 意外なことに、常に不機嫌をまとっているかのようなベラナが、一瞬、笑みを浮かべたように見えた。


「あやつ……誰ですか?」


 問いかけに答えず、老人は身を乗り出す。そして、アルヴィンの目を見据える。


「時間がない。託しておくことがある」

「託しておくこと……?」

「一つ、手を打った。枢機卿の中にも、悪癖に染まらぬ気概のある男がおる。クセの強い奴ではあるが──」


 そこで、ベラナは急に口をつぐんだ。

 鍵束が擦れるような、金属音が響いたのだ。部屋の外からである。

 続いて、鍵が差し込まれる。 


 ──処刑人が、部屋に入ろうとしている。

 そう気づいて、アルヴィンは顔色を変えた。 


「アルヴィン」


 咄嗟に立ち上がった彼を、老人は冷静な眼差しのまま見上げる。


「あの娘の、墓参は済ませたか?」

「……? いいえ」


 あの娘とは、不死の魔女であったメアリーを指すのだろう。

 今にも処刑人が飛び込んでくるタイミングで、なぜそれを持ち出すのか……。


「戻りますわよ!」


 エルシアに腕を引っ張られ、その意味を確認する間はない。

 扉の、ノブが廻る。


「早く行くがいい」


 その言葉が、アルヴィンの耳に届いたかは怪しい。

 次の瞬間、扉が荒々しく開かれた。





 無遠慮に踏み込んだのは、二人の処刑人である。チェーンメイルを着込み、帯剣している。


「誰と話をしていた?」


 無機質な声で、処刑人は詰問する。ベラナに対する態度は、寸分の敬意も感じられない。


「午後の祈りじゃよ。血相を変えて怒鳴り込むようなことかね?」


 座したまま、ベラナは空惚ける。 

 処刑人は舌打ちすると部屋を見回し……眼を鋭く光らせた。


 ソファーの脇に、不自然な毛布の塊があった。それはちょうど、人が隠れられるほどの大きさがある。

 処刑人は、侵入者の浅知恵に嘲笑をこぼした。

 目配せをすると、二人は抜剣する。


 警告などない。

 二本の白刃が、無慈悲に振り下ろされた。くぐもった悲鳴と鮮血が上がり、毛布を見る間に赤く濡らしていく。

 ベラナは、僅かに眉をしかめただけだ。 

 周囲に、多量の羽毛が舞い散ったのである。毛布の下にあったのは、羽毛枕だったのだ。


「満足したかね?」


 処刑人らの背中に、ベラナは皮肉のこもった視線を送る。


「気が済んだなら、持ち場に戻ることだ。もちろん、替えの枕を忘れんでくれよ」


 剣をおさめると、怒りに床を踏み鳴らしながら男らは出て行く。

 部屋の隅で、そっと壁板が閉じた。





 間一髪でベラナの部屋を抜け出した二人は、女子トイレに戻っていた。

 乱れた息を整えながら、アルヴィンは考えを巡らす。


 ──あの娘の、墓参は済ませたか?


 ベラナの言葉が、頭から離れない。

 墓参……はたと思い当たり、アルヴィンは祭服のポケットを探る。手に触れたのは、丸められ、皺だらけとなったメモ紙だ。 

 それはベラナが拘束される直前、メアリーの墓所だと渡されたものである。

 皺を伸ばし、アルヴィンは食い入るように目を通す。


 そこには──


 ”北墓地一五番地一六五〇 X KOL一〇一二一〇二五”


 ──と、ある。


 前半は、墓所に違いない。だが後半は……無意味な、記号の羅列にしか見えなかった。

 いや……果たして、そうだろうか?

 ベラナは、意味のないことはしない。アルヴィンは、直感する。

 老人がアルヴィンにメモ紙を託したこと、そして後半の記号は、必ず何かの意図があるはずだ。


 彼は、トイレの外へと駆けだしていた。


「どこに行くのです!?」


 エルシアの声が、背中にぶつかる。


「少し、外に出ます!」

「出るって……アルヴィン! 待ちなさい!」


 アルヴィンは待たない。

 構わずに女子トイレから走り出る。墓所へと向かって。

 外は既に、オレンジ色の夕日が差していた。

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