第32話 紙の導き

 黄昏時を迎えた墓地に、人影はない。

 オレンジ色の夕日を受け、墓石とアルヴィンの影だけが長く伸びる。先を急ぎながら、彼はメモ紙に視線を落とした。


 北墓地一五番地一六五〇。それは、墓地の片隅にあった。

 だが墓石らしきものはなく、簡素に土が盛られているに過ぎない。誰の墓所であるのか、示すものは一切見当たらない。

 ただ、白ユリの花束と古びた黒い革表紙の聖書がかろうじて、ここに眠る者がいることを示唆するだけだ。


 膝を折ると、アルヴィンは沈痛な面持ちで墓を見た。

 なぜ老人は、墓参するように告げたのか──。祈りをささげるためだけでは、決してあるまい。

 答えを求めて、アルヴィンは聖書を手に取る。それは随所に書き込みのある、使い古されたものだった。几帳面な字は……メモ紙と、同じ筆跡である。


 ──これは、ベラナの聖書か。

 アルヴィンは軽い驚きを覚える。


「X KOL一〇一二一〇二五、X KOL一〇一二一〇二五……」


 メモ紙に記された後半部分を反芻しながら、考えを巡らせる。

 冒頭のXとKOLは、何を意味するのか。典礼言語ではXは”十”、KOLは”声”を意味するはずだが……


「十の、声? その後に、さらに数字か……一体どういう意味なんだ」


 アルヴィンは顎に手をやった。

 XとKOLが本当に典礼言語なのか、それとも何かの略称なのか、確信はない。最後の八つの数字にいたっては、出鱈目な羅列としか思えない。

 どう頭をひねっても、答えを見出すことはできなかった。


 太陽は没し、墓地に夜のとばりがおりつつあった。

 ここに来れば手がかりが得られると考えたのは、考えすぎだったのだろうか……

 嘆息すると、聖書を戻す。

 ふと──表紙の十字架が、目に入った。 


「……十字架」


 ハッとして、アルヴィンは手を止める。

 その瞬間、点と点が細い糸で繋がった。


「まさか……」


 それが、ただの勘違いに過ぎない可能性は、多いにある。

 一縷の望みを抱いてページをめくり……アルヴィンは、直感が正しかったことを確信した。難解なジグソーパズルの最後の一片がはまったかのように、急速に謎が氷解する。


「Xは数じゃない。十字架……聖書か!」


 アルヴィンの心臓は、早鐘を打った。

 Xは聖書を暗示する。それならば、KOLは──


「典礼言語ではなく……人名、Kolbelだ」


 アルヴィンは思わず口走る。

 コルベルは、教会の黎明期を支えた聖人の名だ。聖書には、彼の著した福音書がおさめられている。 

 それがコルベルの福音書、である。


 そして聖書は、章節番号によって区分される。即ち”X KOL一〇一二一〇二五”が指し示す意味とは──


「コルベルの福音書、十章十二節から十章二十五節だ」


 口に出しながら、震える手で聖書をめくる。

 そのページだけは、他とは違い書き込みがなされていなかった。代わりに、鉛筆で薄く丸がつけられた単語がある。


 それは──赤毛、復活、修道士、の三つだ。


「赤毛……」


 アルヴィンは、思わず言葉を呑んだ。

 あの少女の顔を思い出さずにはいられない。そして、復活。 

 アルビオには、コルベルに縁の深い修道院がある。

 それらの単語が指し示す意味とは──。アルヴィンの心は震えた。


「メアリーは生きている……修道院に、匿われて!」


 それが、ベラナの伝えたかったメッセージだったのだ。こんな手の込んだ形をとるとは……用心深い、あの老人らしい。

 アルヴィンは、聖書を閉じる。

 ベラナの思惑を、完全に理解しているわけではない。だがメアリーを保護し守る、その行動に間違いはないはずだ。


 アルヴィンは、眠る者のいない墓を後にする。

 その足取りは力強い。

 今は前に進むしかない。その先に、どんな真実が待っていたとしても。 





 コルベルの修道院は、北墓地からほど近い。歩いて十分もかかるまい。

 再会への期待は、だが、近づくにつれ不安に取って代わられた。

 風に乗って、焦げ臭い臭いが鼻をつく。

 一歩進む度に、不安が増大していく。 

 次第に臭いは濃厚となり、夜空が赤く焦げるのが目に入る。

 アルヴィンは呆然として足を止めた。


 修道院は炎に包まれ、炎上していた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る