第30話 秘密の花園

 元、上級審問官ベラナは、教会内の自室に軟禁されている。

 老人はアルビオ教区の最高責任者でもあった。地下への投獄を見送る程度の良識が、処刑人にもあったらしい。


 ただし、三階にある部屋の前には、完全武装の見張りが二人、ぴたりと張りついていた。

 正面から面会を求めたところで、認められはすまい。

 どうやってベラナに会うのか──


「……ここは?」


 エルシアに連れてこられた先を見て、アルヴィンは戸惑った。

 そこは老人の部屋ではない。同じ階にある……女子トイレの前、だったのだ。 


「中に入るのです」

「ちょ、ちょっと待ってくだい!」


 アルヴィンは表情を凍り付かせた。

 上級審問官ベラナに会うために、なぜ女子トイレに入る必要があるのか。非常時とはいえ、それではまるで……変態、ではないか。

 語勢を強くして、アルヴィンは抗議する。


「僕は男ですよ!? ここは駄目ですよ!」

「見られると厄介なのです。つべこべ言わずに、入るのです!」

 

 半ば尻を蹴飛ばされるようにして、アルヴィンは女子トイレに押し込まれた。


 ──入ってしまった。


 極めて不本意ではあるが、男子禁制の地に足を踏み入れてしまった。アルヴィンは力が抜けたように、アンティーク調の白いタイルの上に跪く。


 不幸中の幸いというべきか……トイレ内に、人影はない。 

 そこは、古びてはいるが清潔な印象だった。手前に二つの手洗いと、奥に三つの個室がある。

 

「処刑人が男だけだったのは、幸運でしたわ」


 何が幸運だと言うのだろうか。失意のアルヴィンにはお構いなく、エルシアは奥の個室へとつかつかと歩く。

 故障中、と張り紙されたドアを彼女は開けた。その内部は、何の変哲もないトイレである。

 一見すれば、だが。

 エルシアは奥に進むと、壁に軽く触れた。すると軽い金属音と共に壁板が外れ……人が四つん這いで通れるほどの、穴が顔をあらわしたのだ。


「これは……」


 アルヴィンは目を見張った。隠し通路、である。

 魔女との戦いが激しかった、暗黒時代。その頃に建てられた古い教会には、隠し部屋や通路があると噂を耳にしたことがある。

 現物を目にしたのは、もちろん初めてだが──


「内部は少々複雑なのですけれど。ベラナ師の部屋とも繋がっているのです」

「……この通路を使って、先輩は上級審問官と接触していたんですか?」

「そうなのです。さあ、行きますわよ」


 エルシアは個室の隅にあった、オイルランタンに火を灯した。それを手にして四つん這いになると、穴に潜り込む。

 後に続こうとし──いや、できない。急にエルシアが戻ってきたのだ。

 アルヴィンの顔に、緊張が走る。 


「どうしたんですか? まさか……処刑人が?」

「違うのです」


 祭服についたホコリを払いながら、彼女は表情を硬くする。


「アルヴィン、あなたが先に行くのです」

「僕が、ですか? どうしてです?」


 突然の変更に、アルヴィンは首をかしげた。理由がさっぱりわからない。

 もちろん進む先に危険があるのなら、先頭に立つつもりではいるが──


「内部は複雑だと訊きましたが……それだと、道を間違えませんか?」


 アルヴィンの懸念に、なぜか祭服の裾を気にしながらエルシアは頬を赤らめた。


「いいから行くのです! 方向は後ろから指示するのです!」


 気色ばんだ彼女に、また蹴飛ばされてはたまらない。

 アルヴィンはそそくさと四つん這いになると、穴に入り込んだ。そこは閉所恐怖症であったなら、瞬時に悲鳴をあげそうなくらい狭い。


「ほんと、干し大根並に鈍い男ですわ」


 背後からエルシアの悪態が耳に入るが……理不尽な非難を受けているような気がしてならない。

 いや、それは深く考えてはいけないのだろう。アルヴィンは心を無にして、前に進むことだけに専念する。


 通路は、どこまでも長い。オイルランタンの光が届かない先まで、ずっと続いているようだ。


「そこの壁を、強く押すのです」


 分岐を数回曲がり、膝が悲鳴を上げ始めた頃、エルシアがそう指示した。 

 アルヴィンは言われた通りに壁を押す。ほとんど抵抗なく、壁板が外側に向けて倒れた。

 同時に差し込んだ光の眩しさに、思わず目を細める。


「随分と遅いお出ましだな。審問官見習いアルヴィン?」


 頭上から、聞き慣れた声が降ってきた。穴から顔を出した彼を見下ろすようにして、老人が立っていたのである。

 こうしてアルヴィンは、処刑人らが思いもしないような裏口から、上級審問官ベラナと接触することに成功したのだ。

 

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