第29話 地下水牢の囚人 2

 リベリオの真意を悟って、アルヴィンは反吐が出そうな嫌悪感に襲われる。 

 クリスティーが彼の名を告白すれば、粛正する。しなければ、アルヴィンの手で拷問させる。拒否すれば……やはり粛正するつもりだろう。


 あえて告発しなかった理由は、こうして私的に復讐を果たすためか──

 この男は、兄に負けず劣らずのサディストらしい。


 アルヴィンは鞘から短剣を抜くと、クリスティーの前に立った。

 声の震えを、隠し通すことはできない。


「魔女クリスティー、答えなければ耳を削ぐ。内通者は、誰だ?」


 内通者は、自分だ。

 とんだ茶番劇に、アルヴィンは心中で自嘲せずにはおれない。 


「知らないわ」

「知らないわけがないだろう!」


 声を荒立てたアルヴィンの背中を、冷や汗が伝った。

 彼女があくまで話さないつもりなら、刃を振るわなくてはならない。 

 クリスティーは覚悟を宿した目を向け、囁く。


「やりなさい」

「……何を、言うんだ……!」


 苦渋に満ちた声を絞り出す。

 彼女は身を挺して、アルヴィンを庇おうとしている。その意図が、まるで理解できなかった。

 二人は仲間ではない。

 それどころか彼女は、利己的な魔女であり、父の死にも関与した。

 十年前のあの日、彼女は審問官と戦ったと話した。父アーロンの死を見届けた、とも。

 なぜ、自分を庇おうとするのか──



「何をコソコソと話している!」


 リベリオの苛立った声が、思考を中断させた。

 アルヴィンは、意を決した。十年前の真相を、クリスティーにもう一度問う。

 そのために── 彼女と共に、逃げる。

 

「……何の真似だ?」


 リベリオの足元に、水しぶきが上がった。黒い水面に波紋が広がって行く。

 アルヴィンが、短剣を投げ捨てたのだ。


「審問官リベリオ!」


 鋭い声が、牢内に反響した。

 それは──だが、アルヴィンのものではない。

 小柄な人影が、牢内に勢いよく飛び込む。


「何事だ! 水を差すな!」


 アルヴィンは目を見開いた。

 リベリオが怒声を浴びせた相手は……エルシア、だったのだ。息を切らしながら、彼女は告げる。


「至急。上級審問官キーレイケラスが、呼んでいるのです」

「呼び出しだと?」


 食事を中断された肉食獣さながらに、リベリオは粗暴な唸り声を上げる。


「偽りだったら、容赦せんぞ! 分かっているのだろうな、審問官エルシア?」

「いらぬ詮索をする前に、さっさと行くのがあなた自身のためですわ」


 普段は温厚なエルシアの声は、薔薇の棘のように鋭い。

 リベリオは顎に手をやった。暫しの間、牢内に沈黙が落ちる。

 命令と目の前の獲物を天秤にかけ、目まぐるしく打算を巡らせているように見える。

 やがて、男は口惜しげに言葉を吐き捨てた。


「命拾いしたようだな、アルヴィン。続きは後だ」


 身を翻すと、リベリオは足早に水牢から立ち去る。 

 荒々しい足音が遠ざかり……完全に聞こえなくなって、ようやくアルヴィンは胸をなで下ろした。

 危機を回避したことに、安堵せずにはいられなかった。それはあくまで、当面の、ではあったが……。


「アルヴィン、軽挙は禁物なのです」


 水中に没した短剣に、エルシアは気づいたようだ。

 何があったのか、事情を察したのだろう。その声は手厳しい。


「処刑人たちは、アルビオを掌握しているのです。あなた一人の力で、何ができるというのです?」

「……」


 それは正論だ。

 教会には、数十人の処刑人がいる。

 よしんばリベリオを出し抜けたとしても……魔法を使えないクリスティーを連れてでは、教会を出ることすら叶わなかったかもしれない。 


「審問官を目指すのなら、常に冷静さを失わないことです」

「すみません……」


 恥じ入ったように、顔を伏せる。

 少しでも彼女が遅かったなら──破滅的な結果となっていただろう。それは事実だ。

 エルシアは数歩の距離を歩くと、アルヴィンのすぐ目の前に立った。軽く見上げ、耳打ちする。


「今は、時を待つのです。事態を打開するために、動いている仲間がいるのです」


 アルヴィンはハッとして、彼女の澄んだ海の色にも似た瞳を見る。


「どういうことですか……?」

「さあ、アルヴィン。行きますよ」


 エルシアは、答えない。

 そればかりか、そそくさと出口へと歩き始める。


「ま、待って下さい! どこに行くんですか」 

「上級審問官の元にです」


 彼女は振り返ることなく言う。

 その不吉な響きは、アルヴィンに、隻眼の男の顔を思い浮かばせる。 


「あなたを呼んでいるのです」

「上級審問官が……僕も、ですか?」


 訝しい顔をしたアルヴィンに、エルシアは小さく頷く。


「そうなのです。ただし、上級審問官ベラナが、あなたを呼んでいるのです」




 ──去り際に、アルヴィンはクリスティーを一瞥した。

 薄暗い牢内、冷たい水の中に彼女は佇む。普段は不敵で弱さを感じさせない瞳に、はかなげな色が揺れたように見えた。

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