第25話 秘密と嘘

 月明かりが、夜の底を青白く照らしている。

 その施設は、静けさの中に沈んでいた。世界の終わりが訪れたとでも錯覚するような、濃い静寂の支配下にある。


 夜半、教会を抜けだしたアルヴィンの姿は、中央図書館にあった。

 当然、この時間帯は閉館されており、人影を見出すことはできない。だが、裏手にある通用口の鍵は開いていた。

 ……ここにも、彼女の協力者がいるのだろう。


 扉を開け、館内に入る。

 中は薄暗い。蔵書を収めた無数の書架が並ぶ。

 彼女を探す手間は、それほどかからなかった。

 入り口にほど近い、窓際の閲覧机。そこに腰掛けた彼女の足元に、月明かりが落ちていた。


「珍しいじゃない、あなたから呼び出すだなんて」


 机に肩肘をついて、クリスティーは彼を見やる。

 往診の途中だったのだろう、白衣を羽織り、傍らに大きな手提げ鞄を置いている。

 あでやかな美しさと同時に、秘めた強い意志を感じさせる瞳。それはどこか、月下美人の花を連想させた。


「……尾行は?」

「撒いたわよ」 


 彼女の行動は、処刑人らが厳重に監視していたに違いない。 

 だが、カフェでカプチーノでも注文するかのように、気安く言ってのける。

 とは言え、それは無制限の安全を保障するものではない。


「手短に話す」


 アルヴィンは口早に言葉を継いだ。 


「ベラナが、処刑人に拘束された。上級審問官キーレイケラス、聞き覚えは?」

「あるわよ。執念深い男だわ」


 クリスティーに、驚いた様子はない。

 艶やかなダークブロンドの髪先を触りながら、すらりと答える。 


「では──凶音の魔女、は?」


 彼女の手が、ぴたりと止まった。 

 今度は返答までに、僅かな間があった。


「……そんなセンスの欠片もないような二つ名は、誰が考えるのかしらね? 私を表現するなら、流麗の魔女か、慎みの魔女のほうが適当だと思わない?」

「君が、凶音の魔女なんだな?」

「そうよ」


 その言葉に、アルヴィンは頭を殴られたような衝撃を覚えた。

 静かに天井を見上げ、目を閉じる。

 数瞬の間を置いて彼女に視線を戻した時、声は堅いものとなった。 


「……十年前、父の死に関与したのか?」

「違う、と言ったら、信じてくれるのかしらね?」

「はぐらかさないでくれ!」


 アルヴィンは苛立ちを隠せない。

 彼女は胸元で腕を組むと、真剣な眼差しを向けた。その告白に、周囲の闇は一層濃さを増した。


「あの日、母と私は審問官と戦った。それは事実よ。……あなたの父アーロンの最期も見届けた」


 思考が停止し、言葉を失う。

 ──審問官と戦い、父の最期を見届けた。

 頭の中で数回反芻し、意味を呑み込み……アルヴィンの目に、怒りが満ちた。


「父を……なぜ、黙っていた!!」


 叫びにも似た声が、館内の静寂を破る。

 だが、クリスティーは動じない。彼女の浮かべた微笑みは、まるで氷のようだった。


「正直に話して、あなたから協力を引き出せるとは思えなかったわ。それだけよ」

「僕を、騙したのか?」   

「魔女はね、自分に都合の悪い話はしないの。当然でしょう?」

「……事実だと言うのなら、君も父の仇だ」


 アルヴィンは憮然として頭を振った。失望と怒りが、鉛のように重く渦巻いていた。


「そう。だったら、私を駆逐する?」


 その挑発が彼女の本心なのか……アルヴィンには、確信が持てない。喉の奥から、声を絞り出す。


「──君との取引を、解消する」


 吐き出された言葉は、苦渋に満ちていた。

 駆逐する、とは言えなかった。

 自分でも馬鹿らしいと思うが……心のどこかで、彼女を信じたい気持ちがあった。それが、魔女の仕掛けた罠だったとしても。

 短い沈黙の後、クリスティーは花唇を開いた。


「私は止めない。あなたの好きにすることね」


 二人が訣別するには、あまりにもあっさりとした、やりとりだった。

 アルヴィンは身を翻すと、出口へと向かう。

 彼女がいなくとも、一人でやり遂げる自信はある。処刑人らを出し抜き、老人から白き魔女の居場所を聞き出す……困難だが、自分にならできるはずだ。


 扉の前に立つ。

 彼女は明日、処刑人らに捕らわれるだろう。

 アルヴィンは──審問官としての使命を、果たすだけだ。


 それは、正しい選択か?


 躊躇いが、足を止めさせた。

 咄嗟に振り返り、彼女の姿を暗がりの中に探す。

 クリスティーは、まだアルヴィンを見ていた。


「一つ忠告しておく。……朝までに、この街から去れ」

「私は逃げないわ」


 腕を組んだまま、クリスティーは決然と答える。

 それ以上、二人が言葉を交わすことはなかった。



 ──翌朝、診療所を剣呑な武器の煌めきが包囲した。

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