第4話 厨房の魔女とオルガナ

 トワイライト婦人は、鼻息荒くヴィクトルに迫った。


「こんな礼儀正しい子が三十デメリットだなんて、何かの間違いに違いありません」

「こ、困ります婦人! 指導の一環なのです。いくらあなたでも、口出しは── 」

「そんな理不尽な指導をした教官は、破門にすべきです! すぐに、ここに連れていらっしゃい!」

「で、ですからっ! デメリットの付与は我々教官の職権でありまして── 」

「だまらっしゃい!!」


 厨房に、雷鳴のような一喝が轟いた。

 とんでもない声量である。小柄な身体の、一体どこから発せられたのか……

 アルヴィンは視界が揺れ、思わず調理台に手をついて身体を支える。

 厨房の奥で、狂犬という異名で畏れられている剣術のアルベルト教官が、卒倒したように見える。

 トワイライト婦人は、ヴィクトルの胸に指を突きつけた。


「ヴィクトル! あなたの門限破りを、学院長さまに取り直してあげたのを、まさか忘れたわけじゃないでしょうね!?」

「い、いやあれは……学生時代でありまして、そんな昔の話しを……」

「ルイーズとの仲を取り持ってあげたのは誰だと思っているの!?」

「し、小生はできないと言っているわけではなくてですね── つまり手続きを踏んで……いや、おっしゃるとおりです婦人……小生の見識不足であります……」


 声が、消え入るように小さくなっていく。

 それと反比例するように、顔は赤く染まる。

 ヴィクトルはアルヴィンの視線に気づくと、憤激を込めて睨みつけた。


「アルヴィン!!」


 腕をぶるぶる震わせながら、声を絞り出す。


「デメリットを取り消す!」

「ありがとうございます」


 素直に、彼は礼を述べた。

 ほんの少しだが……気の毒な気持ちにならないわけではない。

 だが老婦人を満足させるには、それでは不足していたらしい。


「まだよ! こんないい子ですもの、百メリットをあげなさい」


 ヴィクトルは、目を白黒させた。

 メリットはデメリットとは逆に、外出や外泊の特典を受けられる褒賞点だ。


「こ、こいつに……いや、失礼! 彼に、ですか!!? しかし、百メリットの付与など、前例がありません!」

「この子を、第一号にすればいいではありませんか」

「いや、それはしかし、小生の一存では……」

「そ、そうですぞ! いくらなんでも── 」


 教会史のゼフィリオ教官が、隣から加勢する。

 だが、婦人にひとにらみされて、瞬時に沈黙した。 


 この場にいる教官らは、歴戦の審問官だ。

 これまで駆逐した魔女の数を足し合わせれば、五百は下るまい。 

 それなのに── 老婦人一人を相手にして、しどろもどろの体たらくである。


「だったら、学院長に許可を取っていらっしゃい! いま、すぐに!!」


 学院長にまで話が及ぶとは、大事になった。

 さすがに教官らに、同情の気持ちを禁じ得ない。

 それにこれ以上放置すると……これからの学院生活に、大いに悪影響を及ぼしかねない。

 アルヴィンは、婦人の前に進み出た。


「トワイライト婦人、本当にありがたいお話なのですが。分不相応の評価は、自分のためになりません。研鑽し、努力をした上でメリットをいただきたいと思います」

「なんて謙虚な子なの! ますます気に入ったわ!」


 婦人は感極まったように、声を上げる。 

 対してヴィクトルは── ヤカンを近づければ、一瞬で沸騰させるような憤怒の顔でこちらを見ている。


「困ったときには、いつでも来るのよ! 私が力になるわっ!」


 婦人はアルヴィンの両手をとって、ぶんぶんと振り回す。

 彼は、あいまいに笑うしかなかった。

 思ったことは、一つだけだ。

 学院を無事に卒業できたら……教官にだけは、絶対になるまいと。

 後日、彼らに取り囲まれ、厳重に口止めされたのは言うまでもない。




 寮母モルガン・トワイライトは、魔女ではなかった。

 噂の真相は── 学生時代の弱みを握られた教官らの、涙ぐましい努力だった、というわけだ。

 学院の影の支配者は、厨房にいる。

 期せずしてオルガナの闇を覗いたような気がして、アルヴィンは身震いをした。


 だが教官らが、嫌々手伝っていたとは、彼には思えなかった。

 おそらく若き日に世話になった寮母への恩返しとして、自然に集まるようになったのではないだろうか。

 無茶な要求など撥ねつければいいのに、婦人を気遣いながら説得しようとした── 無惨にも、失敗したわけだが── ヴィクトルの顔を思い出すと、アルヴィンにはそう思えてならない。


 さて、この事実を、双子にどう伝えるべきか……

 アルヴィンは思案した。

 真相を伝えれば、嬉々として悪用するのではないか、そんな憂いがある。

 懲罰点を与えられた学院生らが手伝いをさせられていた、と報告したほうが無難か。 


 と、背後でパサリ、と軽い音がした。

 振り返ると……どうやら、ブックを落としたらしい。

 アルヴィンは戻って拾い上げる。 

 ポケットに入れようとして、ちょうど開いていたページの、挿絵が目に入った。

 七十歳ほどの、品の良さそうな笑顔の女性── そこには、初代学院長、M・T・オルガナの名がある。

 心なしか……老婦人に、面影が似ている気がした。


 ── M・T・オルガナ。


 その名を反芻する。

 老婦人は、モルガン・トワイライトと名乗ったが──


「まさかな」


 アルヴィンは一笑に付すと、ポケットにしまいこんだ。

 二百年前の初代学院長が未だに存命で、厨房から学院を支配している。

 それではまるで──


 いや、と、アルヴィンは軽く頭を振った。

 疲れているのだ。昨日から緊張の連続だったのだから、無理もない。


 それもこれも、あの双子のせいだ。

 強い眠気を感じ、欠伸をかみ殺す。

 アルヴィンは白み始めた空を見上げ、大きく伸びをした。

 あと一時間もすれば、地獄の日常の始まりだ。




(凶音の魔女編につづく)





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る