第2話 聖域の番人

 審問官と魔女の戦いの歴史を紐解けば、千年前にまで遡る。

 その長き歳月、審問官の養成はいわゆる師弟制によってなされた。

 だがそれでは、養成される者の能力に、バラツキが出ざるを得ない。 

 学院が創立されたことによって、初めて教育は体系化され、優れた審問官が輩出されるようになったのだ。


 それは時の教皇を説き伏せた、オルガナの功績であるとされる。

 ただ、オルガナ自身は審問官ではなかった。

 それどころか、生涯の大半が謎に包まれていた。

 ひとつだけ確かなことは、二百年前に学院の創立に尽力したこと、それだけだ。




 ── 翌朝、授業が始まる少し前。

 アルヴィンは、厨房の前に立っていた。黒塗りの、冥界の門のような扉がある。

 それが厨房への、入り口だ。


 実に損な役回りだ、と思わずにはいられない。

 あれだけ声高に煽ったにもかかわらず、実際に調査をするのは彼の役目なのだ。

 双子は放課後に、紅茶を飲みながら報告を訊くだけである。


 ”学院生の、厨房への立ち入りを禁ずる”


 理由は分からないが……ブックには、そんなルールまで記載されていた。 

 教官らに見つかる前に、速やかに用件を済ませる必要がある。

 意を決すると、扉ノブに手をかけた。 


「そこで何をしている?」


 その声に、アルヴィンは心臓が口から飛び出そうになった。

 背後に気配もなく立っていたのは……審問官ヴィクトルだ。

 学院生らから、カミソリの渾名で畏れられる、審問術の教官である。

 

 ── 厄介な相手に見つかった。


 アルヴィンは内心で舌打ちした。

 ヴィクトルは三十代の後半で、オルガナの教官としては若い部類に入る。 

 肩口まで伸びた黒髪に、神経質そうな顔。

 アルヴィンは、この男が苦手だった。 


「そこで、何をしているのかね?」


 トワイライト婦人が魔女であるか確認しに来ました……とは、決して言えない。


「すみません、教具室に行きたかったんですが……間違えてしまったようです」


 とっさに、アルヴィンは無難な回答を導き出した。


「教具室ならあちらだ。新入生はまだ学院に不慣れだろうが、気をつけたまえ」

「ありがとうございます」


 アルヴィンは頭を下げる。

 どうなるかと冷や汗をかいたが……なんとか取り繕えたようだ。

 深く詮索されなかったのは、幸いだ。

 アルヴィンは、そそくさと立ち去り──


「待ちたまえ」


 静かな声が、アルヴィンを急停止させた。 


「小生の話はまだ終わっていない。君は、一年のアルヴィンだったな?」

「……はい」

「教官への、虚偽の弁解は見逃せんな。十デメリットを与える」


 さながらその声は、死刑を宣告する裁判官にも似た響きがあった。

 審問術の教官に、噓は通用しない。 

 考えが甘かったことを、アルヴィンは痛感した。


 デメリットとは、教官が素行不良の学院生に与える懲罰点だ。

 学年末に一点でも残っていると、進級ができなくなる。

 一デメリットを減らすためには……一時間、ただひたすら校庭を歩く懲罰行進などのペナルティを受けなくてはならない。

 その時間は、もちろん授業が終わってから自分で捻出するのだ。


「次に虚偽の申し開きをした場合は、二十デメリットを与える。教官を欺こうなど、愚かな考えは捨てることだ」


 ヴィクトルに、下手なごまかしはきかない。

 アルヴィンは正直に告白した。


「トワイライト婦人に会いにきました」

「なぜか?」

「……婦人が、魔女かと思いまして」

「よろしい。では、二十デメリットを与える」


 アルヴィンは耳を疑った。


「ヴィクトル教官、約束が違います! 正直に話しました!」


 その叫び声に、ヴィクトルは冷笑する。 


「虚偽にではない。いらぬ好奇心を抱いたことに対してだ。ここには二度と立ち寄らぬことだ。次に見かけたら、百デメリットを与えるぞ」


 冷ややかに言うと、ヴィクトルは踵を返した。

 立ち去る背中を、アルヴィンは黙って睨みつけるしかない。


 ふと。

 彼は表情を変えた。

 ほんの僅かな、違和感を感じ取る。

 ヴィクトルが去った後……バニラビーンズの香りがしたのだ。




「何かを隠しているわね」


 放課後の、魔女研究会。

 報告を訊いたアリシアは、獲物を見つけた猫のように目を光らせた。 

 婦人が魔女である、その疑念をますます深めたようにも見える。


 だが── なぜ教官らが、隠そうとするのか。その行動は明らかに矛盾していた。

 そしてヴィクトルからは、厨房に立ち入ること断固として阻止しようとする、強い意志が感じられた。

 何かを隠そうとしていることには違いないが、それは一体何なのか……


「こうなったら、なんとしても現場を押さえるしかないわね。アルヴィン、明日の早朝、厨房に忍び込んできなさい!」

「無茶ですよ!」


 一度火のついたアリシアは、止められない。

 それは承知していたが、彼は必死に食い下がった。


「次は百デメリットを与えると警告されているんです! 百三十デメリットも貯まったら、退学も同然です!」

「センチュリークラブ入りじゃない! 我が会から輩出したとなれば、誇らしいわ♪」

「全然、誇らしくありませんっ! 人事だと思って、適当なことを言わないでください!!」


 センチュリークラブ、とは部活動ではない。

 それは、累積百デメリットを超えた猛者を讃える隠語だ。 

 胸元にCと刺繍された、白と灰色のボーダー柄のカーディガンがプレゼントされるとかないとか。

 過去にセンチュリークラブ入りをしながら、上級審問官まで栄達した者も、何人かいるらしいが──

 いや、今はそんなことを考えているいる場合ではない。


「とにかく、僕は行きません! どうしても知りたいのなら、先輩方が調べたらいいじゃないですか」

「睡眠不足は、美容によくないのです。アルヴィン、期待していますよ」


 エルシアは、にっこりと微笑む。

 それは、悪魔の微笑みにしか見えない。


「これは、会長としての命令よ!」


 腰に手を当て、アリシアは高らかと下命する。

 会長……いや、もはや暴君だ。

 アルヴィンは絶望的な気持ちで天井を見上げた。

 この学院には、自分の味方は一人もいないのだろうか?

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