短編 厨房の魔女

第1話 魔女研究会

「学院内に魔女、ですか?」


 アルヴィンは、熱のこもらない声で聞き返した。

 その声はまだ変声期を迎えておらず、幼さが残る。

 彼は部屋の隅に立ったまま、すぐに手元の本に視線を戻した。


「そうよ! ゆゆしき事態だと思うでしょ?」


 対して彼女の口調は、深刻さよりも好奇の成分が色濃い。

 彼女は紅茶の入ったティーカップに口をつけると、テーブル上のソーサーに戻す。

 ビロードの椅子に腰掛け、優雅なティータイムといった様子だ。

 部屋の隅に立たされた自分が従者なら、さながら王侯貴族である。


「それで、あたしたちの出番! というわけよ」


 妙に楽しげな声で、彼女はそう宣言する。

 アルヴィンは……悪い予感しかしない。

 そこは、魔女を駆逐する術を学ぶ学院── 通称オルガナの、一室だった。

 扉には、厳めしい字で『魔女研究会』と記された札がかかっている。 


 アルヴィンはちらりと、様子を覗う。

 部屋には、二人の少女がいた。

 黒髪で痩身、凡庸な外見の彼とは、実に対照的だ。

 いずれも金髪碧眼で、整った目鼻立ちは、女神が造形したかのように麗しい。


 ── その顔は、瓜二つだ。

 姉のアリシアと、妹のエルシア。双生児の彼女らは、三年生に在籍しており、二年上の先輩になる。

 ネモフィラの花のように可憐な双子だが……その背後には、悪魔の尻尾がゆらゆらと揺れていた。

 それを入学してからの僅か三週間で、嫌と言うほど思い知らされてきたのだ。


「アルヴィン! あなた会員としての意識が低いわよっ!」


 形のいい顎に手をあてると、アリシアは険のある目を向ける。


「意識? 何がです?」


 アルヴィンは、手元の本に視線を落としたままだ。

 それが気にくわなかったらしい。

 部屋の隅に立つ彼を、びしっと指さす。


「あたしの話を、適当に聞き流してるでしょっ! そんな物を読んで、何の意味があるって言うのよ!?」

「少なくとも、平穏な学院生活が送れるという意味があります」


 小さくため息をつくと、彼は本を閉じた。

 それは学生らの間で、単純にブックと称されるものだった。

 文庫本ほどの大きさで、枕代わりにするのにちょうどいい分厚さがある。

 エルシアが、にっこりと天使のような微笑みを浮かべて、助け船を出す。


「アリシアの無駄話は、適当に相づちをうっておけばいいのです。それにブックなら、一晩で暗記できますわよ?」

「……お二人と、僕みたいな凡人を一緒にしないでください」


 軽い頭痛のようなものを感じて、アルヴィンはこめかみを押さえた。

 皆が、双子のような天才肌だと思ってもらっては困る。


 大陸屈指の難関校として知られる、オルガナ。

 その入学者にまず課される義務が、ブックを速やかに暗記することだった。

 内容は、M・T・オルガナから始まる歴代学院長の名前や業績、学院生活上のルール、オルガナ伝統のジョーク、ポエムなど多岐にわたる。

 いつ教官や上級生から問われてもすらすらと答えられるよう、頭に叩き込まなくてはならないのだ。

 できなければ── 平和な学院生活は、たちまち蜃気楼となることだろう。


「あのね! あたしの話以上に、この学院で大事なものなんてあるわけがないでしょう!? ほら、あなたもここに座って、話を訊きなさい!」


 苛立ったように、アリシアは隣の空き椅子を手で叩く。


「アリシア先輩。”一年生は、私室外では講義と食事以外、着席を禁ずる”この規則、ご存じでしょう?」

「なに堅いこと言ってるの! あたしたちしかいないんだから、いいじゃない!」


 ふてくされたように、彼女は頬を膨らませる。

 なぜ双子は椅子に腰掛け、アルヴィンだけ立っているのか……従者、だからではない。それもブックに規定された、厳格なルールのひとつだった。


 審問官になれば、魔女と命のやりとりをすることとなる。

 生死を分ける状況に置かれたとき、冷静さを欠く者がいれば、同僚の命を危険にさらす。 

 そのため、学院で学ぶ最初の一年間、学生は学業と日常生活の両面で、徹底的にストレスをかけられるのだ。


 ── 精神的な脆さをもつ者を、あぶり出すためだ。


 そんなわけだから、基本的な人権など望むべくもない。

 着席に限らず、理不尽なルールが、ブックのページをめくる度に顔を出す。

 おそらく校庭にいる鳩や蟻のほうが、よほど自由があるのではないだろうか──  


 アルヴィンは、刺すような視線が照射されていることに気づいて、意識を戻した。

 アリシアは一度言い出すと、決して考えを曲げない。

 反論したところで、不毛なやりとりになることは目に見えている。

 諦めて、彼女の隣の椅子を引いた。

 そして、百パーセントの義務感に支えられて尋ねたのだ。


「それで、魔女は学院内の、どこにいるんです?」

「厨房よ!」

「はあ……」


 返答は、一段と熱のこもらないものとなった。


「……どうして、厨房に魔女がいると思うんですか?」

「学院の寮は、寮母が一人で管理しているのは知っているわよね?」

「ええ、まあ」


 アルヴィンは、曖昧に相づちをうつ。

 ── トワイライト婦人。

 それが、寮母の名前だったように思う。

 名前はかろうじて記憶していたが、まだその姿を見たことはない。


「いい? 学院には二百数十人の学院生と、ほぼ同数の教官がいるの。寮母一人で、朝・昼・夜の三食を一人で作るなんてあり得ると思う? おまけに朝は、学生の人数分のクッキーまで焼いているのよ!?」


 ……確かにそれは、超人的な作業量ではある。

 もし学院に七不思議があるのなら、その一席は確実に彼女が占めるに違いない。


「なので、アリシアは魔法の介在を疑わずにはいられないようなのです」


 エルシアの口調は、割とどうでも良さそうだ。

 彼も同じように── いや、選択肢を誤らない。

 神妙な顔で相づちをうつと、 


「そうですね、確かに婦人は怪しいです。それでは僕は考査の準備がありますので、これで」

「どこに行くというのっ!?」


 立ち上がろうとしたアルヴィンの肩を、アリシアは電光石火のごとく掴んだ。

 正義の炎を双眸に宿して、詰め寄る。


「あなたは、まがりなりにも魔女研究会の会員でしょっ! ゆゆしき事態だとは思わないの!?」

「思いませんが……」


 ── 魔女研究会。

 その会員は、会長、副会長、そして部員が一人だけだった。

 つまり、この部屋にいる三人で全てだ。 

 アルヴィンは入学早々、詐欺同然に騙されて、この会に入ることになったのだ。

 それなのに、使命感のようなものを押しつけられても困る。


「アリシア先輩、冷静に考えてください。ここは、オルガナですよ?」

「だから、なんなのよ!」


 オルガナの学院生は、審問官の卵なのだ。

 そして教官の多くは、現役の審問官である。それも、腕利きの。

 そんな場所に、魔女が好き好んで入り込むとは到底考えられない。

 考えられないのだが……


「ここがなんだろうと、あなたは魔女研究会の会員でしょ! ゆゆしき事態でしょ! そうでしょっ!!」


 詰め寄られれば、アルヴィンに拒否権はなかった。


「はい、そうですね、アリシア先輩……」


 半目になりながら、彼は同意した。

 アリシアは、一度言い出すと決して考えを曲げない。

 そんなことで、彼はいわゆる”厨房の魔女”の調査に、乗り出すことになったのだ。

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