第23話 処刑人は静かに笑う

「彼女は、どうなったのですか?」


 上級審問官ベラナの執務室は、正午を過ぎているにもかかわらず薄暗かった。

 アルヴィンの声は、重苦しい。

 この三日間、どんな手を尽くしても、老人に面会することは叶わなかった。

 それが、すぐに来るようにと使いが来たのは、昼過ぎのことだ。

 

「お互いにとって、時間は貴重だと信じたいものだな」


 ベラナは椅子に深く腰掛けていた。 

 この数日、老人がどうしていたのかは見当もつかない。だがその顔には……濃い疲労の色が見てとれる。


「それは、どういう意味ですか?」

「分かりきったことを訊くのは、時間の無駄だということだ」


 皮肉げに言うと、老人は机上のメモ帳に、万年筆を走らせた。

 それをアルヴィンに差し出す。


「……これは?」

「あの娘の墓所だ。縁があったのなら、墓参するがいい」


 老人の物言いに、アルヴィンは怒りが湧くのを感じた。

 メモ紙を握りしめると、声を上げる。


「彼女は、あなたの助けを求めてここまで来たんです!」


 それは、自分でも驚くほどの声量だった。

 高ぶった感情を自制するには、相当な努力が必要だった。

 アルヴィンは、声を絞り出す。


「……彼女は、被害者です。魔女ですら、なかったのかもしれない」

「知っておるさ」

「知って……いる……?」


 事もなげに答えたベラナに、アルヴィンは絶句した。

 その口調は、あくまで淡々としていた。


「呆れたことだ。彼らはまだ、あのようなことを続けておったのだな」

「彼ら……? 彼らとは、誰です?」

「教会の中枢だ。聖都で行われている偉大なる試みとは、人を不死化させる非合法の研究だ。あの娘は、その被害者だったのだろう」

「そこまでご存じなのなら……なぜ、彼女を撃ったのですか……!」


 アルヴィンの声に悔しさがにじむ。

 だが老人はどこまでも冷徹だった。その言葉には、薄い刃のような鋭利さがある。


「あの娘は被害者であると同時に、加害者であったことを忘れぬことだ。理由がなんであったにせよ、他者の命を求めた時点で、救いを差し伸べる余地などない」


 唇を嚙み、アルヴィンは俯いた。

 メアリーが、多くの命を奪った事実は、消えることはない。

 彼女を救った後、これからは幸せに生きろ、とでも言うつもりだったのか──

 考えの浅はかさに、嫌気が差す。


「一時の感情が、同僚を危険にさらす。審問官を目指すのなら、常に冷静でいることだ」 

「……ですがっ!!」


 では、彼女を駆逐したことが、正しい選択であったのか。

 アルヴィンには、とてもそうは思えない。

 やりきれない思いで反論しかけ──老人が、唇だけを動かしていることに気づいた。


 それは──


 ワタシ ヲ シンジロ


 ── と、読めた。


 異変に気づき、アルヴィンは表情を固くした。

 危険が、急速に近づきつつあった。

 扉の向こう側、廊下に複数の気配が感じ取れたのだ。

 それは── 殺気、だ。


「これは……」 

「どうやら、お迎えがきたようだ」 


 語尾を、ドアを蹴り破る音がかき消した。

 次の瞬間、荒々しい足取りで、数人の男が乱入する。

 彼らはいずれも白を基調とした祭服を纏い、目元を隠す仮面をつけている。

 ── 処刑人、だ。

 不吉な光を放つ片手剣を、ベラナとアルヴィンに突きつけた。


「そのまま動くな!」


 そう命じた声は── リベリオのものだ。

 背後には、一人だけ素顔を晒した男の姿がある。

 ベラナは屈強な体躯をした隻眼の男に、厳しい視線を注いだ。


「嘆かわしいことだ。聖都の人間は、扉をノックする礼儀も知らぬのかね?」


 男の齢は、六十前後だろうか。

 身のこなしは老いを感じさせず、隙がない。歴戦の戦士を思わせる風格がある。

 そしてベラナを見やると、冷淡に唇をゆがませた。


「盟友が十年ぶりに顔を見せたというのに、貴様の無愛想は相変わらずだな」

「礼節を知らぬ知己などおらぬ」 

 

 その口調からは、来訪者を心底嫌悪していることが感じ取れる。


「礼節、か」

 

 男が片手をあげると、処刑人らは剣を下ろし、血なまぐさい包囲網を解いた。

 尊大な目つきで、アルヴィンを見下ろす。


「取り込み中に失礼したな。私は上級審問官キーレイケラスだ」

「……審問官見習い、アルヴィンです」


 上級審問官── つまり、この男はベラナと同格なのか。 

 だが二人の間には、とても盟友とはいえない雰囲気が漂っていた。キーレイケラスは執務机の前に進み出ると、これ見よがしに一枚の書類を降らせた。


「枢機卿からの命令書だ」 


 嘲るように、男は宣告する。


「上級審問官ベラナ。審問官の職を解き、身柄を拘束する。読み終えたら、さっさとその席からどいていただこうか」


 アルヴィンは、耳を疑った。

 それは全く予想だにしない言葉だった。

 だがベラナは、命令書を一瞥すると、寸分も動じることなく問い返す。


「理由は?」

「審問官でありながら不死の魔女を操り、多数の市民を殺害した罪だ。知らぬとは言わさんぞ」


 男が投げかける言葉には、まるで毒が塗り込めてあるかのような響きがある。

 アルヴィンは小さく息を呑んだ。

 メアリーは処刑人らの手で呪いをかけられ、放たれたのだ。

 それが、えん罪であることは明らかだ。


「まるで暗黒時代のような手口だな。彼女が私を頼るように仕向けたのは君達だろう? ありもしない罪を作りだすのは、常套手段だったな」


 老人は仮面の集団に、辛辣な視線を浴びせた。

 執務室の中に七名、そして廊下の外にも複数の気配があった。逃走を許さない、断固とした意思が感じ取れる。


 謀略を用い、実力行使もいとわない。 

 処刑人達は、なぜここまでしてベラナを拘束しようとするのか──  

 老人は声に、厭気と皮肉を色濃くこめた。


「白き魔女の居場所を知りたいのなら、素直に頭を下げたらどうかね?」


 その言葉に、心臓の鼓動が跳ね上がった。

 だがそれは── アルヴィンに、向けたものではない。

 老人は、キーレイケラスの顔を凝視している。


 白き魔女の幽閉場所を、処刑人達も求めている。

 その事実に、アルヴィンは驚愕した。


 ”── 歴史上、それを達成した者が、ただ一人だけいた”


 クリスティーの言葉が脳裏に甦り、直感する。

 彼らの目的は── 不死、か。


「おおかた危険な呪いに手を出さなくてはならぬほど、不死の研究が行き詰まっておるのだろう? 魔女一人の居所を聞き出すために小細工を弄して、ご苦労なことだ」


 ベラナは冷ややかに言う。

 だが、キーレイケラスは挑発にのらず、サディスティックな笑みを浮かべた。


「せいぜい強い意志を持っておくことだな。簡単に口を割られては、拷問する楽しみが減ってしまう。── 連れて行け!」


 処刑人が二人、ベラナへと近づいた。

 老人は嘆息すると、執務机の上に拳銃を置いた。抵抗をすることなく、拘束される。


「最後に、友人として伝えておこう」


 処刑人に連行される背中に、キーレイケラスは勝ち誇った声を投げかける。


凶音きょういんの魔女が、この地に潜伏しているとの情報がもたらされた。速やかに捕縛することになるだろう」

「……好きにするがいい。私には関係のない話だ」


 その言葉に反して、ベラナの表情は明らかに揺らいだ。  

 キーレイケラスは、獲物を狙う黒豹に似た笑みを浮かべる。


 ── 凶音の、魔女。


 その名に、アルヴィンは強い胸騒ぎを覚えた。

 立場を忘れて、思わず問いかける。


「その魔女は……一体?」

「十年前、白き魔女は聖都で、三十人を超える審問官を呪殺した」

「サンペテログリフの惨劇ですね……」


 答えるアルヴィンの声は、暗い。

 それは父アーロンが駆逐に参加し、命を落とした戦いだ。


「凶音の魔女は、その事件に加担し、逃走した魔女だ。教会はこの十年間、奴を血眼となって追い続けてきた。── その姿が数日前、この街で確認されたのだ」

「なんですって!?」


 アルヴィンは驚きを隠せない。

 白き魔女以外にも、父の死に関わった魔女がいる。

 そして、アルビオに潜伏しているというのだ。


「私は枢機卿から、凶音の魔女に関する全権を委任されている。これよりアルビオ教区の審問官は、私の指揮下に入って貰う。奴は── 」


 その声は、憎悪と憤怒に満ち溢れていた。


「白き魔女の、娘だ」





凶音きょういんの魔女編につづく)






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