第22話 救わざる者
「……白き魔女が、不死だって?」
それは父アーロンを殺害した、仇敵の名だ。
アルヴィンの視線は自然と厳しくなる。
「千年前に実在した、原初の十三魔女。彼女らは姉妹だったの。その末妹が、白き魔女。姉妹の魔法の集大成として、母は不死となった」
クリスティーの声には、玲瓏とした響きがある。
アルヴィンは、まじまじと手元のデリンジャーを見た。
── 千年前に実在した、審問官シュレーディンガーが愛用したデリンジャー。
それが彼女お得意の与太話でなければ、この銃にはメアリーを救う力があるかもしれない。
ただし、装填された銃弾は一発だけだ。
狙いを外せば、それは即、死を意味するだろう。
一度きりのチャンスを、どう使うべきか──
「そろそろ限界よっ!」
緊迫した声に、アルヴィンの思考は中断された。
水塊の表面が、激しく波打っていた。気泡が立ち、沸騰したように煮えたぎる。
「私が足止めして、隙を作るわ。後は上手くやりなさいよっ!」
次の瞬間、水塊が崩壊した。
いや、それは爆発と呼んでいいものだった。
むせ返るような蒸気の塊が押し寄せ、アルヴィンは顔を庇う。
乳白色の壁を切り裂くようにして、飛び出した影があった。
禍々しいまでの邪気を纏った、メアリーだ。
一直線に、アルヴィンへと迫り来る。
「止まりなさいっ!」
クリスティーが、繊麗な右手を舞わせた。
虚空に水が生まれ、鎖へと変化する。それはメアリーへと伸び、両脚を拘束した。
だが、その程度の障害など、彼女は意に介さない。
まるで細糸のように無造作に引きちぎり、アルヴィンへと急迫する。
瞬きをした僅かな間に、彼女は鼻先にまで接近していた。
拳が、繰り出される。
不死の魔女を前にして、アルヴィンは冷静だった。
余裕を持って後方に飛びすさり── そして無様に、転倒した。
迂闊にも、招待客が床に落とした手荷物に足を取られたのだ。
悪態をつく間などない。
転倒したアルヴィンに向けて、追撃の一打が放たれる。
とっさに身体を右に捻り躱す。
床に敷き詰められた大理石に、深い穴が穿たれた。
「クリスティー! 早く動きを封じてくれっ!」
「分かっているわよ!」
デリンジャーを命中させるには、メアリーに肉薄せねばならない。
その為には、確実に動きを止める必要がある。
両脚で、アルヴィンはメアリーの腹部を蹴りつけた。
そのまま反動をつけて跳ね起きる。
猶予はない。
絶え間なく押し寄せる追撃を躱しながら、打開策を探して視線を走らせる。
魔法、では止められない。
もっと強力な、物理的な力が必要だ。
── その何かは、どこにある?
「クリスティー、あれを狙え!」
「偉そうに命令しないでっ!」
それはつまり了解、ということなのだろう。
そうであることを祈る。
一か八か。
アルヴィンは両手を広げると、叫んだ。
「来い! メアリー!」
不死の魔女が双眸を不気味に光らせ、跳躍した。
「どうなっても知らないわよっ!」
やけ気味に放たれた声が鼓膜を震わせる。
メアリーの鋭い爪が、アルヴィンの喉元へ伸びる。
死が、手招きをしているのが見えた。
そしてシャンデリアが、メアリーを直撃した。
轟音が耳をつんざき、塵埃が視界を奪った。
天井に固定していた鎖を、クリスティーが魔法で切断したのだ。絶妙のタイミングだった。
一トンを超える重量物に直撃されれば、ライフルよりもはるかに強力なダメージを与えられる。
いかに不死の呪いとて、すぐには動けまい──
アルヴィンの確信は……だが、不気味な唸り声によって打ち砕かれた。
目を疑わずにはいられない。
メアリーを下敷きにしたシャンデリアが、震えた。彼女はそれを高く持ち上げ……会場の隅へと投げ捨てたのだ。
人智を超越した、驚異的な力だった。
── そして、生まれた隙は、それで十分だった。
パン! と、安っぽい破裂音が空気を震わせた。
それはクラッカーを鳴らしたかのような……不死の魔女に挑むには、絶望的なほど頼りない音だ。
果たして、こんな物で不死の呪いに打ち勝つことができるのか。
── 数瞬の沈黙を置いて、訪れた変化は、急速で劇烈なものだった。
少女は身体をくの字に曲げると、苦悶の叫びを上げ始めたのだ。
床に倒れ、のたうち回る。
そして── 邪気や、魔法の痕跡が急速に薄れるのが感じ取れる。
「メアリー!」
少女の苦しみように、アルヴィンは思わず手を伸ばした。
「やめてっ!!」
短く叫んで、少女は振り払う。
そして……恐慌の色を顔に宿し、出口へと駆けだした。
「……メアリー! 待つんだっ!」
少女を追おうとして、アルヴィンは足をもつれさせた。
同時に、強烈な目眩に襲われる。
シュレーディンガーを使った影響か……全身に重い倦怠感がのしかかったのだ。
身体に生じた不調が、反応を鈍らせた。
「まずいわっ! 彼女を外に出しては駄目よっ!」
クリスティーの言う通りだ。
彼女は、状況を理解できていない。
錯乱した状態で誰かと接触すれば、何が起きるか予想がつかない。見失えば、保護する機会を、永久に逃してしまうかもしれない。
少女は扉を開け、外に飛び出した。
「メアリー!」
その直後── 銃声が、轟いた。
少女の悲鳴が上がる。
「くそっ!」
アルヴィンは焦燥感に駆られ、後を追った。
扉を開け── 目に飛び込んだ惨状に、血の気が引いた。
心臓を鷲づかみにされたかのような、衝撃が走った。
メアリーが、冷たい石畳の上に倒れ伏していた。
その顔には、生気がない。
「なぜ撃ったんです!?」
我を忘れ、アルヴィンは叫んだ。
硝煙の匂いが、辺りに漂っていた。
メアリーの傍らに立ち、拳銃を手にした男は──
「上級審問官ベラナ!!」
ベラナは冷淡な目で、赤毛の少女の骸を見下ろしていた。
アルヴィンは、抑えきれない怒りに震える。
だが老人は、煩わしそうに眉をしかめただけだ。
優雅だった仮面舞踏会は、今や見る影もない。
会場は水浸しとなり、豪奢なシャンデリアは墜落している。
主催者の嘆きが聞こえてきそうな惨状である。
静まりかえった会場の片隅で、気配が動いた。
「── これは、望外の収穫だ」
どす黒い悪意を含んだ笑みが、薄暗やみの中にこぼれて消えた。
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