第21話 呪具シュレーディンガー
微動だにしなくなったメアリーを一瞥して、アリシアは不敵に笑った。
「ほら、言ったとおりでしょ! 不死の魔女とはいえ、あたしたちの連携の前には無力だったわね!」
「まだです!!」
その警告は、遅きに失した。
アリシアの背後で、ゆらりと人影が立ち上がったのだ。
「くっ……!」
瞬時に身を翻し── いや、それは絶望的なほど遅い。
腹部に容赦のない打撃を受けて、アリシアは吹き飛ばされた。
床をバウンドして壁にぶつかり……意識を失ったのか、そのまま動かなくなる。
「アリシアっ!」
あれほどの猛攻を受けたメアリーの傷は、噓のように回復していた。
そして、次の標的をエルシアに定める。
ライフルが、続けざまに咆哮した。
次々に命中するが……迫り来る彼女を、阻むには至らない。
グリズリーを優に射殺できるほどの弾丸を撃ち込まれて尚、何事もなかったように詰め寄る。
やがて、ライフルが乾いた音を立てた。
……弾切れ、だ。
エルシアはボルトハンドルを引くと、すぐさま再装填を試みる。だが目前に迫った魔女に威圧され、手が震えた。
焦りが手元を狂わせ、床に銃弾をばらまく。
「くそっ!」
アルヴィンは舌打ちすると、走った。
── 果たして、間に合うか。
彼女を庇うように前に出るのと、猛烈な打撃が襲うのは同時だった。生半可な力ではない。
エルシアもろとも、吹き飛ばされる。
床に叩きつけられ、アルヴィンは暗闇の中に落ちた。
「── 丈夫── しら?」
意識がなかったのは、おそらくほんの僅かな間だったはずだ。
アルヴィンは軽く頭を振り、上体を起こす。
そして、自分に手を貸す人物がいることに気づいた。
双子、ではない。
逃げ遅れた民間人── いや、違う。
「どうしてここにいるっ!?」
その顔を見るや、彼は大きく目を見開いた。
相手は、羽をあしらった黒のマスクを着け、美麗な水色のドレスを着た淑女だ。
その容姿には、見惚れるような美しさがあるが──
「心配しなくても、みんな気を失っているわよ?」
「そんな問題じゃない! どうして君がここにいるんだ!?」
その淑女の正体は、クリスティーだったのだ。
彼女は、あっけらかんとした口調で答える。
「招待状がきたんですもの。来る来ないは、私の自由でしょ?」
招待状がきた── その真偽は、実に疑わしい。
アルヴィンに大きな怪我がないことを確認すると、彼女は立ち上がった。
そして会場の中央を、涼しげな目で見やる。
彼女の視線の先にある物体── それに、アルヴィンは息を呑んだ。
三メートル四方ほどの水塊の中に、メアリーが囚われていた。
だがそれが駆逐、を意味するものではないことは、一目で判断がつく。
メアリーが水中で手足を動かすたびに、水と空気の境界は不安定に揺らぎ、蒸気が立ち上がった。
彼女を封じている魔法が、そう長くはもたないであろうことは、容易に想像できる。
「あなたはそこで見ていたらいいわ。私が決着をつけてあげるから」
「手を出すな! 彼女は、僕が駆逐する」
背中の痛みに顔をしかめながら、アルヴィンは引き留める。
「……ボロボロのくせに、よく言うわね」
わざとらしくため息をつくと、クリスティーは右手を差し出した。
その手には精緻な彫刻が施された、骨董品のような銃が握られている。
単発式のデリンジャーだ。その大きさは、掌ほどしかない。
「手を下すのなら、これを使いなさい」
「彼女を……撃てと言うのか?」
「私の時は、あっさり銃を向けたくせに」
拗ねたような顔をするクリスティーに、アルヴィンは言い返す。
「そうじゃない! 銃は通用しないんだ!」
双子があれほどの打撃を与えても、不死の呪いは打ち破れなかったのだ。
彼女の差し出したデリンジャーでは、いかにも心許ない。
肉薄して発砲しなければ、命中すら望めないだろう。
「こんな武器じゃ、彼女は駆逐できないぞっ」
「呪いにはね、呪いで対抗すればいい。それだけよ」
クリスティーは笑顔とは不釣り合いな、不吉な言葉を並べた。
「これはね、ただの銃じゃない。呪具シュレーディンガーよ」
── シュレーディンガー。
その名は、アルヴィンの記憶に引っかかるものがある。
「……それは、教会の最初期に実在したとされる、審問官の名だ」
「ご明察ね。これは彼が愛用したデリンジャーなの。呪具シュレーディンガーは魔女を駆逐するうちに、長い年月をかけて魔力を帯びるようになった。撃った相手の、魔力を奪い取ってね。この銃なら、彼女にかけられた不死の呪いを、解くことができるかもしれないわ」
呪いをもって、呪いを制する。
思いもしなかった解決方法に、アルヴィンは舌を巻いた。
だが、次にクリスティーが付け加えた一言は、先行きを不安にさせるものだ。
「もっともシュレーディンガーは、銃の魔力に耐えられず発狂するにいたったそうだけど」
「……そんな物を、僕に使えと?」
「一回くらい大丈夫よ! 保証してあげる。嫌なら、私がやっても構わないわよ?」
「手を出すなと言っただろう! これを使えば、メアリーを救えるんだなっ」
ひったくるようにして、アルヴィンはデリンジャーを手に取った。
呪いのせいなのか……見た目に反して、ずしりとした重さがある。
教会の、最初期の審問官が愛用したデリンジャー。
ある疑問が頭をよぎり、アルヴィンは厳しい視線を投げた。
「……こんな曰く付きの代物、どうやって手に入れたんだ?」
「母のガラクタ入れの中にあったのよ。大方シュレーディンガーに駆逐を挑まれて、返り討ちにしたんじゃないかしらね?」
「馬鹿なことを言うな! 彼が生きたのは千年も昔だぞ!」
この緊迫した状況で、戯れ言に付き合っている暇などない。
腹立たしげに、アルヴィンは言い捨てる。
だがクリスティーの瞳は、むしろ真剣さが増していた。
「母は、千年の星霜を生き続けてきた、と言ったら? あの娘のような紛い物ではなく、純然たる魔法によって」
「……ちょっと待て! 原初の魔女ですら、不死の魔法は達成できなかったんだろう!? 千年を生きてきたなんて、まるで── 」
── 不死、ではないか。
彼は言葉を失った。
公会堂に静寂が落ちた。
息を呑んだアルヴィンに、クリスティーは静かに告げる。
「不死を目指し、破滅した魔女は幾人と知れない。でも歴史上、それを達成した者が、ただ一人だけいたのよ。── それが、白き魔女よ」
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