第20話 仮面舞踏会への誘い 2

 会場の中央で、ハンプティー・ダンプティーを思わせる仮装をした男が、悲鳴を上げた。

 大男を、赤毛の少女が持ち上げたのだ。


 ── メアリーだ。


 彼女は仮面舞踏会にあって、明らかに異物だった。 

 飾り立てた参加者の中で、一人だけ平服だ。

 これまで目を皿のようにして捜したのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、目立ちすぎている。 


「魔女だっ!!」


 顔を引きつらせた男の叫び声に、恐慌が生まれ、瞬く間に伝播した。

 悲鳴と怒号。

 パニックになった参加者が、我先にと押しのけあい、出口へと殺到する。

 そこに、パン!と、乾いた銃声が響いた。

 アルヴィンが天井に向けて、拳銃を発砲したのだ。

 参加者らの怯えた視線が、集中する。

 右手に拳銃、左手に十字架を持ち、彼は叫ぶ。


「我々は教会の者だ! 秩序を保って退出しなければ撃つ!」


 台詞は強盗さながらだが、参加者らの冷静さを呼び覚ますには一定の効果があったらしい。

 人々混乱しながらも、なんとか秩序だって避難して行く。


 アルヴィンは、油断なくメアリーを見据えた。


「不死の魔女、メアリーだな?」

「どうしてわたしの名前を知っているの? もしかして、あなたがベラナなのっ!?」


 メアリーは持ち上げていた男を床に落とした。

 不運な男が、ぎゃっ、という悲鳴を漏らす。

 期待を込めた視線を送る少女に……アルヴィンは、訝しんだ。

 昨夜会ったはずなのに、何故自分をベラナだと誤解するのか──

 はたと、その原因に気づいて、彼はマスクを投げ捨てる。


「僕はベラナ師じゃない!」


 昨夜は祭服だったが、今はテールコートを着用している。

 印象が変わりすぎていたのだ。

 彼の顔を見て、メアリーは口を大きく開いた。


「あなたは昨日の── 手下っ!!」

「違う、僕はアルヴィンだ!」


 困ったことに、手下だという誤解がまだ解けていないらしい。


「神に誓って、僕は枢機卿の手下じゃない! いいか、君がベラナ師に会いたいのなら、手を貸してもいい。だが、魔女として無実の人を傷つけるつもりなら、この場で駆逐する。どうするのか、選べ!」


 アルヴィンは決然とした面持ちで、言い放つ。

 赤毛の少女は、視線を床に落とした。

 投げかけられた選択肢が、信じるに値するものなのか……判断に迷っているように見える。


「あなたは……味方なの?」

「もし君が被害者であったのなら、救いたいと思っている」


 その言葉に偽りはない。

 これまで、リベリオの言動の端々から感じた違和感── それは、少女を救え、と心に訴えかけていた。

 胸に手を当てると、メアリーは声を絞り出す。


「わたしは……わたしは死にたくないっ! 助けて欲しい、ベラナに会わせて!」

「分かった」

「……アルヴィン!」


 アリシアが、小声で警告した。

 上級審問官の許可も取らずに、独断専行するな、と言いたいのだろう。

 無論、このまま少女を案内したところで── あの冷徹な老人に、駆逐されるだけだろう。

 それを思いとどまらせるには、真相に近づく必要がある。


「案内する前に、教えて欲しいことがある。それは君を救う手がかりになるかもしれない」

「……いいわよ」


 メアリーは、躊躇いがちに頷く。


「君に、不死の呪いをかけたのは、一体誰だ?」

「呪い……? 決まってるでしょ、スーキキョーの手下たちよっ」

「そいつらが、研究所と関係しているんだな?」

「そうよ! あそこには……たくさんの人が囚われていた……。手下たちが、酷いことをしていたのよ! でもあいつらは、偉大なる試みだって笑っていたわっ!」


 涙ぐみながら、メアリーは訴える。

 ── 偉大なる、試み。

 その言葉を、つい今朝方、耳にしたばかりだ。

 アルヴィンは、背筋に悪寒が走るのを感じる。


「でも、逃がしてくれる人がいたのよ! その人が、アルビオのベラナを頼れと教えてくれたの。助けてくれるはずだから、って!」

「ベラナ師を? ……君を逃がしたのは、一体誰なんだ?」


 少女を研究所から救い、道を指し示しす。

 その行動には、少なくない危険が伴ったことだろう。

 それは、誰なのか──

 メアリーは首を横に振った。


「名前は知らないわ……。でも、白い仮面をつけた男よ!」

「白い、仮面……」


 アルヴィンは短く呻いた。

 メアリーは、ベラナの救いを求めてこの街に来た。

 そして、彼女を追って、処刑人が現れた……

 断片的に示された情報は、言い知れぬ不安を煽るものだ。


「その仮面の男は、他に何か言っていなかったか── ?」


 問いかけへの、返事はなかった。

 唐突に、メアリーが床にうずくまったのだ。


「……様子がおかしいわよっ!」


 アリシアの声が、急迫したものに変わる。

 少女は頭を抱えながら、苦悶の声を漏らし始めたのだ。


「メアリー!」


 雰囲気が、一変した。

 双眸に冷酷な光が宿り、酷薄な笑みが口許からこぼれた。

 あたかも呪いが、少女の人格を乗っ取ったかのような変容ぶりだ。


「た、助けてくれっ!!」


 同時に、聞き苦しい喚き声が上がる。

 声の主は、足元に投げ捨てられていた、ハンプティー・ダンプティーだ。

 腰が抜けて、逃げられなかったのだろう。

 メアリーが手を伸ばし── 男は、速やかに意識を手放す選択をしたらしい。

 その場に白目を剝いて倒れ込む。


「アルヴィン、ここまでよ!!」


 叫ぶと同時に、アリシアは飛び出していた。

 両手には、短剣が握られている。

 審問官の武器は拳銃だ。

 だが特に有効だと認められれば、それ以外の武器を携行することが許される。

 彼女は短剣術の、スペシャリストなのだ。


 一瞬で間合いを詰め、アリシアはメアリーと男の間に割って入る。

 その動きは、敏捷そのものだ。

 的確に、冷静に、頸動脈を狙って短剣が閃いた。

 決着には寸刻も要しなかった。 

 メアリーは必殺の剣戟を受け、血しぶきを上げながら倒れ伏す。

 ── いや、そうではない。


 少女が受けた傷は、瞬く間に癒えたのだ。

 昨夜目にした── 不死の力だ。

 メアリーは不気味な唸り声を上げると、腕を鋭く一閃させた。 

 それは二人の密接した間合いからして、回避困難な一撃だった。

 致死的な攻撃が、アリシアの細い首を薙ぐ。


 その、寸前。


 銃声が轟いた。

 同時に、不死の魔女の腕が痛烈な打撃によって弾かれる。

 エルシアが銃撃したのだ。

 彼女が手にしているのは拳銃ではなく── 背丈の三分の二ほどの長さもある、ライフル銃だ。

 その物騒な武器こそが、チェロケースの中身だったのだろう。


 一瞬生まれた隙を、アリシアは見逃さない。

 メアリーの急所を狙って、さらに剣戟を走らせる。

 妹の援護を予想していたかのように、その動きには一切の無駄がない。

 危険を察してアリシアが後方に退けば、魔女の追撃を阻む射撃が入る。

 離れた場所から、激しく動く相棒の僅かな身体の隙間を狙う──

 常人なら、パートナーに被弾することを畏れて、躊躇するに違いない。

 二人の絶大な信頼関係があって、初めて成立する芸当だ。


 俊敏に動くアリシアが魔女を翻弄し、絶え間なく切りつける。

 その動きには、剣舞を連想させる美しさがある。

 そしてエルシアが的確にフォローし、時には急所を射貫く。

 流麗な連携は、見事としか言い様がない。


 やがて、異変が生じた。

 不死の魔法を、ついに打ち破ったのか──

 回復を上回るスピードでダメージが蓄積されたメアリーが、床に倒れ伏したのだ。

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