第18話 偉大なる試み
「不始末を詫びにきたのなら、もっと時間を選ぶべきだな」
そう言って、ベラナは眉間に深い皺を刻んだ。
執務室にある振り子時計の短針は、六を僅かに過ぎた辺りを指していた。
老人の不機嫌は、もっともなことだ。
常識的な時間とは、ほど遠い。
「早朝の訪問はお詫びします。ですが、危急の用件なのです」
アルヴィンは、珍しく殊勝な顔で詫びた。
この時間にもかかわらず、老人は祭服姿だった。
幸いなことに、既に執務中であったらしい。
「その用件とやらが取るに足らぬ物だったなら、私の失望は並々ならぬものとなるだろうな」
だからと言って、早朝の訪問を容赦する気は、微塵もなさそうだが……
アルヴィンは緊張した面持ちで、用件を切り出した。
「不死の魔女が、あなたの名を口にしました」
ほんの僅かな感情の変化も見逃さないよう、老人の顔を注視する。
「何か、心当たりは?」
「私を審問するつもりかね?」
目の前に座る老人は、このアルビオ教区で絶大な影響力を持つ上級審問官だ。
静かな不快感の表明に、同席した双子の顔に緊張が走る。
「魔女を駆逐するために、必要な情報です。ご協力を」
「知らぬな」
返答はすげなく、短いものだ。
その表情からは、一切の感情を読み取ることはできない。
「では研究所、とは?」
次は、長い沈黙が落ちた。
アルヴィンは、ベラナの瞳が僅かに揺れるのを見逃さなかった。
苦悩にも似た色が、よぎったように見える。
「……それを、不死の魔女が口にしたのかね?」
「そうです。何かご存じなのですか?」
「いや、知らぬ」
練達の上級審問官が口にするにしては、それはお粗末な噓だった。
言葉とは裏腹に、何かを秘めていることは明らかだ。
だが正面から追及したところで……本心を、明かすまい。
アルヴィンは嘆息すると、執務机の前に進み出た。
ベラナの協力が得られないからといって、手がかりが途絶えたわけではない。
心当たりは、もう一つあった。
少々、悪辣な手段にはなるが──
彼は昨日購入した、新聞を机上に置く。
「これは?」
「今夜、この場所に不死の魔女が現れます」
そう言って、ある記事を指さす。
そこには、”── 明晩、公会堂で仮面舞踏会を開催”とある。
「同じ記事の切り抜きを、不死の魔女が所持していました。奴は不死の代償として、他者の命を喰らう。夜、二百人以上が会する舞踏会は、絶好の狩り場となるでしょう」
「主催者に勧告して、すぐに中止させましょう!」
会話に割って入ったのはアリシアだ。
それは、審問官として当然の判断だ。
魔女の襲撃を知りながら、見て見ぬ振りをした── そんな醜聞が漏れれば、教会の威光は地に落ちるだろう。
だが、アルヴィンは首を横に振った。
「中止にはしません。舞踏会で待ち伏せて駆逐するよう、審問官リベリオに進言するつもりです。よろしいですね?」
一歩間違えれば、惨事となりかねない作戦だ。
確認したところで馬鹿げた案だと、ベラナは一蹴することだろう。
老人は重々しく、口を開く。
「面白い。許可してやろう」
張りつめた緊張に包まれた執務室に、軽薄そのものの声が響いた。
それを発したのは……もちろん、ベラナではない。
── いつから、そこにいたのか。
アルヴィンは、背筋が寒気立つのを感じた。
彼の、背後。振り返った先に、リベリオが壁にもたれかかっていたのだ。
仮面の審問官は、腕を組みながら嘯く。
「俺は早く聖都に戻りたい。奴を誘き出して、さっさと駆逐してしまえばいい」
微塵も気配を感じさせなかった立ち居に、アルヴィンは驚きを隠せない。
アリシアとエルシアは、嫌悪感のこもった目を向ける。
否、双子だけではない。
ベラナも刺すような、鋭い視線を放った。
「何を企んでいる? 審問官リベリオ」
リベリオは肩をすくめると、気だるげに答える。
「企むなど、人聞きが悪い。俺はアルヴィンの案が駆逐への最短路だと言っただけだ。それとも上級審問官殿は、不死の魔女の駆逐に、何か不都合でも?」
リベリオは薄く嘲笑を浮かべる。
仮面の奥の目が、爬虫類に似た酷薄な光を放った。
明らかな挑発に、ベラナの声が遠雷にも似た危うい響きを帯びる。
「この事件に、君も裏で関与しているのではないのかね? 少しは恥を知ったらどうだ」
「自分だけが潔白のような口ぶりには反吐が出るね。ひとつ、忠告してやる。いつまでも、その席にしがみついておれると思わんことだ」
辛辣な言葉の応酬に、執務室が張りつめた空気で満たされた。
二人が何を言わんとしているのか、アルヴィンには全く窺い知ることができない。
だが……ベラナと処刑人の間に、ただならぬ因縁があることだけは、理解できる。
「不死の魔女の駆逐は、枢機卿会直々の指令だ。あんたに口出す権限はない。アルヴィンの案のとおり、やらせてもらうぞ」
「……勝手にしろ」
苦り切った顔で、ベラナは吐き捨てる。
そして厳しい視線を二人に送ったのだ。
「ただし、市民に犠牲が出ることは許さん。一人でも死者が出れば、その時は君らの首で償ってもらう。覚悟して臨むことだな」
「審問官リベリオ!」
聖堂へと続く、長い渡り廊下の途中。
そこで、アルヴィンは仮面の審問官を呼び止めた。
険悪な空気が渦巻く執務室を辞したリベリオを、走って追いかけたのだ。
軽く肩で息を切らしながら、礼を述べる。
「僕の案を採用していただいて、ありがとうございます」
頭を下げたアルヴィンに、リベリオは満足げな笑みを浮かべた。
ベラナではなく自分に媚びへつらう、忠実な手下だとでも思ったのかもしれない。
「当然のことだ。お前は実に優秀だ。あの老人を指導官にしておくのが、勿体ないくらいにな」
「審問官リベリオこそ、人を見る目だけでなく、魔女への見識もお深い。見習いの僕からすれば、敬服するばかりです」
勿論、ご機嫌を取りにきたのではない。
確認すべきことがあったのだ。
アルヴィンは肩を並べて歩きながら、水を向ける。
「不死の魔女、とは一体何者なのでしょうか? そもそも不死の魔法なのか、呪いなのか……審問官リベリオは、ご存じありませんか?」
これまでの口ぶりからして、この男が核心にあたる何かを知っていることは、疑いようがない。
警戒心を呼び起こしたのか……リベリオは打って変わって、鋭い眼光を放つ。
「口を慎め、アルヴィン。軽はずみな詮索は関心せんぞ」
だが、言葉とは裏腹に、リベリオの口調は完全に浮ついたものだった。
……どうやら、最初に自尊心をくすぐった効果があったらしい。
口許をにやつかせながら、男は続けた。
「……お前は、俺の見込んだ男だ。どうしてもと言うのなら、特別に教えてやらなくはない」
「是非お願いします」
神妙な顔をしたアルヴィンに、男はささやく。
「聖都では、偉大な試みが行われているのだ」
「偉大な試み、ですか……?」
それが何であったにせよ、この男が口にすると不吉さを増す。
「そうだ。奴は、その失敗作なのさ」
そう言って、処刑人は不気味な笑みをこぼした。
言い知れぬ不安に、アルヴィンの心がざわめく。
メアリーが口にした研究所。
そして、偉大なる試みと、失敗作。
果たして不死の魔女メアリーは、駆逐すべき悪しき魔女なのか──
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