第17話 赤毛の少女

 不死の魔女は片腕で、易々とアルヴィンを持ち上げた。

 痩身の外見からは、とても想像できない膂力だ。


「くっ── !」


 自分の判断の甘さを、呪わずにはいられない。

 相手は、狡猾な魔女なのだ。

 不幸な被害者に見せかける擬態など、造作もなくやってのけるだろう。 

 メアリーは、哀れな獲物を睨みつける。


「あなた、スーキキョーの手下でしょ!!」

「ス、スーキ……?」


 その単語を理解するのに、半瞬の時間を要した。


 ── 枢機卿、だ。


 手下、という表現が適切であるかどうか。その判断はさておき、それは広い意味で言えば正しい。

 アルヴィンは聖職に叙階された者だ。

 そして枢機卿は教皇の顧問であり、実質的な教会の指導者だからだ。 

 だが、彼女が言わんとする手下、とは── おそらく、処刑人達のことではないか。

 それは、明確に違うと断言できる。

 彼にとっての不幸は、それを弁解したところで、この状況が一切改善しなさそうであることだった。


「皆に酷いことをして、許さない! わたしは、研究所には帰らないわよっ!」


 メアリーは怨嗟のこもった声で、言い放つ。

 魔女に断罪される覚えなどない。

 そして、研究所、という単語に、強い胸のざわめきを感じる。

 首を締め付ける手に、一段と力が込められた。


「答えて! この街にいるんでしょう!」

「……何がだ……っ!」


 アルヴィンは酸欠に喘ぎながら、呻く。


「ベラナとかいう、審問官よ!」

「ベ……ラ……?」


 なぜあの老人の名を、不死の魔女が口にするのか──

 問いただす余裕などない。

 呼吸苦に加えて、精気を吸い取られるような、強烈な倦怠感が襲いかかったのだ。

 朦朧とし、暗やみの中へ意識を手放しそうになった、その時。


「アルヴィン! 頭を庇いなさい!」


 警告の声と同時に、銃声が響いた。

 次の瞬間、石畳の上に投げ出される。

 固い地面との抱擁を強制され、身体が悲鳴を上げた。

 かろうじて意識をつなぎ止めたアルヴィンは、痛みに顔を歪ませながら上体を起こした。


 メアリーは── 数メートル先に、吹き飛ばされていた。

 その背中には弾痕が、穿たれている。

 銃弾の威力は、無慈悲だ。 

 一切容赦のない破壊的な力の前に、常人であれば即死は免れないだろう……

 銃声がした方角には、拳銃を構えたエルシアと、短剣を手にしたアリシアの姿がある。


「先輩! どうしてここに……!?」

「まだ終わってないわよっ!」


 不吉なアリシアの言葉は、速やかに現実のものとなった。

 アルヴィンは、驚愕に目を見開いた。

 銃撃を受け、致命傷を受けたはずのメアリーが……ゆらりと、立ち上がったのだ。

 背中の傷口が、みるみるうちに癒えていく。

 それは、魔法か、呪いか。

 何であったにせよ、急速に危険が差し迫っていることに間違いない。 

 メアリーの怒声が、周囲の空気を震わせた。


「何するのよっ! お気に入りの服だったのに!!」 


 憤懣をぶつけるように、穴のあいたコートを脱ぎ捨てる。

 そんな言葉で、片付けられるような傷ではなかったはずだが……


 メアリーは、低く唸る。

 明らかに物理を無視した不合理な力によって、馬車がミシミシと軋みながら地面から浮かび上がった。

 少女が客車を、持ち上げたのである。

 それをあたかも小石でも投げるかのように、双子に向かって投擲する。


 派手な破壊音が、深夜の街の眠りを破った。

 騒音と木片をまき散らし、数回バウンドした客車は、街路樹のプラタナスを根元からへし折って、よくやく停止した。既に、原形を留めていない。


 アルヴィンは素早く周囲に視線を走らせる。

 双子は無事、だった。

 常識の枠内から飛び出した攻撃を、難なく躱したようである 

 そしてメアリーは、間を置くことなく次の攻撃を── いや、違う。

 脱兎のごとく、逃げだしていた。

 既にその背中は、視界の向こうへと消えつつある。


 アルヴィンは、唖然とするしかない。

 不利を悟って早々に逃げるとは、矜恃がないというか……どこまでも魔女らしくない、魔女だ。 

 メアリーの姿が見えなくなると、辺りに満ちていた魔法の気配が、急速に薄れはじめた。


「アルヴィン、怪我は?」


 駆け寄ってきたアリシアの手を借りて、立ち上がる。

 身体を痛打したせいで、あちこちが痛む。

 だが、行動に支障が出る程度ではない。


「僕は大丈夫です。それよりも、お二人はどうしてここに?」

「不死の魔女が出たと報せを受けて、追っていたのよ」

「そしてまた、取り逃がしたのです」

「違うわよ! アルヴィンの安全を優先しただけよっ」


 エルシアの冷静な指摘に、気色ばむアリシア。

 二人の会話を聞きながら、アルヴィンは地面に落ちたある物に目をとめた。

 それは、石畳の上にメアリーが捨てた、コートだった。

 そのポケットから、紙片が覗いている。

 アルヴィンは跪くと、それを拾い上げた。

 ── 新聞記事の、切り抜きだった。


「これは……」


 アルヴィンの表情が硬くなる。

 彼は双子に、真剣な眼差しを向ける。 

 直ぐにでも、確かめなくてはならなかった。


「お二人に、折り入ってお願いしたいことがあります」

「何よ、急にかしこまって。……どうせ、ろくな頼みじゃないんでしょ?」


 彼女の懸念は正しい。

 今からすることは、その人物から叱責されたとしても、何ら不思議のないことだ。


「直ぐにベラナ師に面会できるよう、口添えをお願いしたいのです」

「ベラナ師に……?」

「そうです。事態は、一刻を争います」


 アルヴィンの声は重々しい。

 通りの向こうから、けたましいサイレンの音が近づきつつあった。

 遅ればせながら、市警察が出動してきたのだろう。

 空は、うっすらと白み始めていた。


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