第八話 優しい世界に贈る炊き込みご飯
目を開くと見慣れない白い天井。ここはどこだっけと考えてみてもわからない。
「大丈夫ですか!」
叫び声をあげたのは看護師の若い女性。一体何が起きたのかと周囲に目を向けると私は病室の床に座り込んだ状態で、何故か水色の病衣の片袖をまくりあげていた。
「すみません。私の採血が下手で……」
必死に謝罪する声を聴きながら、ようやく思い出した。精密検査の為の採血の途中で気を失ったんだった。
「あ、あの、大丈夫ですから、気になさらないで下さい」
転がった椅子を見ると盛大に倒れたらしくて恥ずかしい。謝り続ける看護師をなだめながら残りの検査を受け、驚きの検査結果が出た。
一度は不治の病とはっきり診断されたはずなのに全くの健康体で、ただの過労で倒れたことにされてしまった。
不治の病が間違いだったとわかったことよりも、あの三途の川食堂での出来事がすべて夢だったことの方がショックが大きくて、私は数日間熱を出して寝込んだ。
◆
それから一年が過ぎて、私は海の近くの路地裏に小さな食堂を開いた。費用が無くて目立つ宣伝もしていないのに、店を開けてからお客が途切れない。
『開店おめでとー!』
『待ってたわー』
『久しぶりー!』
口々に掛けられる言葉は、すべて聞き覚えのある声ばかり。そう。三途の川食堂の常連客たちが、こちらにも来てくれている。あれは夢だとずっと思っていたのに、現実だったことに驚きつつも嬉しい。
『いろいろ食べ歩いたが、ここの料理が一番美味い』
『ああ、久しぶりの懐かしい味だ……』
『これこれ、この味なんだよ』
妙に筋骨隆々な工事作業員三名が、しみじみと丼ご飯をかき込んでいる。
『ひっさしぶりのデートなのよー』
『この辺は町の様子が変わってるね。百五十年ぶりかな』
お互いの料理を交換し合う、粋でモダンな着物姿のカップルは年齢不詳。
妙に顔色が悪いスーツ姿の会社員は、くしゃみをすると顔がオオサンショウウオに戻るので慌てて顔を直しながら、ご飯を食べている。
「あ、あの……変装するの、大変じゃないですか?」
『楽しんでるからいいのよー』
皆、それぞれ楽しんでいるらしいのでほっとした。
三途の川の方々と普通のお客が食事をする光景に慣れてきた頃、閉店直後に黒いスーツの男性が恐る恐るといった感じで店内を覗いた。黒の短髪に銀縁眼鏡。歳の頃は二十八前後で、すらりと背が高い。
『……もう閉店か? ……金はある』
「え? …………死神さん?」
懐かしい声に驚いた。またその声が聞けるとは思わなかった。上着を脱いでネクタイを緩める死神にテーブル席を勧めて、緑茶を出す。
『あの世では金を払わなくて悪かったな。現世の金はたっぷり持ってても、あの世まで持っていけないし使えないんだ』
「一緒に夕食を食べて頂けて嬉しかったです。一人ではきっと心細かったと思います」
『そ、そうか……』
「あの赤い玉は何だったんですか?」
『あれは生命だ。死神は一度鎌を振り上げると一人分の生命を必ず狩ると決められている。あの玉がお前の身替わりになったから、お前はこの世に戻れた』
「え?」
死神が私の命を助けてくれたなんて知らなかった。
『三途の川で働く者には、神から対価が支払われる。俺は現世での仕事が中心だから、ほとんど現世の金で受け取ってた。だから一文銭も持ってなかったし、生命の欠片も持ってなかった。正直に言うと人を助けるのは初めてで、俺の一年分の稼ぎで人間一人分の生命を用意できるか全くわからなかった。他の客が提供してくれた欠片のおかげで足りた』
「それは……ありがとうございます。でも、どうして助けて下さったんですか?」
単なるワガママだけれど、もっと早く教えて欲しかったような気がする。
『単なる気まぐれだ。それに助けられるかわからないのに、助けるとは言えないだろ? 他の客も一文銭の替わりに支払っただけで単なる偶然だっただろうしな』
苦笑する死神の声は優しい。どう感謝しても足りないとお礼を言うと止められてしまった。
『お礼なんて必要ない。お前がその分頑張って生きてくれたらいい。その話は終わりだ』
「あ、あの……すいません。一年間もタダ働きさせてしまって……」
『毎晩、飯食わせてくれただろ。あれでチャラだ』
「……全然足りないと思います」
明るく笑う死神の笑顔に、どきりと胸が高鳴った。
『それじゃあ、あと一年、晩飯食わせてくれ』
「はい。もちろん」
一年だけでなく、ずっとと言いかけて恥ずかしい。また一緒に食事をする時間が過ごせると思うと嬉しくて、高鳴る鼓動が治まらない。あと一年だというのなら、もっと食べたいと思ってもらえるように美味しいご飯を作りたい。
「少し時間がかかるのですが、試作の炊き込みご飯を食べて頂けませんか?」
『ああ、それは楽しみだな』
慌ただしく材料を準備して、炊飯器のスイッチを入れる。三途の川から戻ってきてから、ずっと考えていたレシピ。この世とあの世で頑張り続ける、いろんな人々の努力と想いを具材に見立てて炊き込んだ。密かに名づけるなら『優しい世界に贈る炊き込みご飯』。
ふわりと優しく器に盛りつけて、焼き魚と副菜、野菜たっぷりのお味噌汁を添えて、テーブル席で死神と向かい合う。
「お待たせしました!」
『これは美味そうな炊き込みご飯だな』
「試作ですが、自信作です!」
死神の笑顔は明るくて優しい。ときめく心がバレないようにと願いながら、ご飯を前にして手を合わせる。
『いただきます』
「いただきます」
それは、生きている幸運を噛みしめて、生命の奇跡を味わう為の感謝の言葉。
私が、この世界で生きていることは奇跡そのもの。
毎日、誰かの生命を少しずつ頂いて、私は生きていく。
三途の川食堂へようこそ! ヴィルヘルミナ @Wilhelmina
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