第七話 最期の晩餐 とろふわ親子丼

 あっという間に一年が過ぎ去った。店はそれなりに上手く回り、壺から一文銭があふれそうになっているので、残りの一週間は全品無料で提供することにした。


『閉店まで、あと七日かー。寂しくなるわー。何とか続けられない?』

『無理を言って困らせてはダメだよ。まぁ、僕も続けて欲しいんだけど』

 奪衣婆と懸衣翁は、毎日一緒に食べに来るようになっていた。別々の料理を頼んで仲良く分け合う姿が実は少々うらやましい。

『本当になぁ。ずっと続けてもらえないものかね』

『毎日、飯の時間が楽しみだったんだよ』

『どうにかならんもんかなぁ』

 赤、青、緑の鬼たちもすっかり常連になって、毎日訪れていた。


「一年間の約束なので。……皆さんに会えてとても楽しかったです」

 三途の川で働く方々と接しているうちに、あの世も良い場所なのかもしれないと思うようになってきた。最初に感じていた怖さはもう感じない。

 料理の代金を受け取らないと言うと、常連客も死神が毎日くれる赤い欠片を置いていくようになった。砂粒のような欠片から、一センチ近い欠片までサイズはさまざま。三センチくらいだった赤い玉が、最終日には直径五センチを超えた。


 最終日には、これまでに訪れた方々がひっきりなしに別れを惜しんでくれた。嬉しくて涙が滲んでも、涙を流すことは堪えた。最期は笑顔の私を覚えていて欲しい。そんな一心で微笑み続けた。

「ありがとうございました!」

 最後の客を見送って、暖簾を降ろすと一気に疲れが体を襲う。朝からずっと料理を作り続けて、腕も脚も悲鳴を上げていた。あと少し。あと少しだからと気力を奮い立たせるしかない。


 皿や鍋を洗って、次に使う人の為に整える。私の前に営業していた人も綺麗に片付けていた。掃除を終えて待っていると、いつもより早い時間に死神がやってきた。

『……一人で片付けたのか。遅くなって悪かった』

 もしかしたら手伝おうと思ってくれていたのかもしれない。その優しさが嬉しい。

「小さな店ですから、あっという間に終わってしまいました」

 一カ月前から少しずつ徹底的に綺麗にしていた。最後はさっと軽く掃除しただけ。


「一緒に夕食を食べて頂けませんか?」

『ああ』

 私が選んだ最期の晩餐は『とろふわ親子丼』。材料はすでに切って冷蔵庫に準備しているから、調理は短い時間で済む。

 小鍋で出汁を温めて、あらかじめ煮ておいた鶏もも肉と砂肝、長ネギを加えて卵の半量をふわりと流してひと煮立ち。残りの卵を回し入れ、フタをして火を止める。

 あつあつのご飯を丼に盛り、卵と具材、煮汁を掛けて三つ葉を散らして完成。

 緑茶とゆず大根の漬物を小鉢で添えて、私もカウンター席の死神の隣に座る。


「ずっと最期に何を食べようか考えていて……最初は卵かけご飯にしようかなって思ったんです。でも、それだと歯ごたえが無いなって思って」

 土鍋で炊いたご飯に、卵と醤油。いざ現実的に考えてみると物足りない。


「最期にね、ぎゅっと何かを噛みしめたいって思ったんです」

 これまでの人生と、三途の川食堂での一年間の思い出。

 全部楽しかったとは言えないけれど、それでもこれが私の一生。正直に言えば、この記憶が消えてしまうのが悔しい。無かったことになるのが悔しい。そんな悔しさを噛みしめて飲み込んで、納得したい。


『そうか。とても美味そうな料理だな』

 死神の一言が優しく聞こえる。私の夢を叶える時間をくれた優しい人と最期の晩餐が食べられるなんて、私は本当に運が良かった。

「冷めないうちにどうぞ」

『ああ。いただきます』

「いただきます」

 死神は目深にフードを被ったままで、一度もその目を見ることはなかった。それでも笑い合うことはできる。


 私の最後の晩餐は、とても幸せな時間だった。


      ◆


 すべてを片付けた後、死神が口を開いた。

『……これまでに渡した赤い欠片を見せてもらえないか』

「はい。ここにあります」

 引き出しの中からハンカチに包んだ赤い玉を出して見せると、死神が驚いたのがわかった。

『……それは……』

「あの……食堂の常連客の皆様も、同じ欠片を下さったので一緒にしたのですが……何か問題があるのでしょうか?」

『いや。……その玉を持ったままでいい。外へ』


 三途の川の船着き場へと向かうと思っていたのに、死神は私を店の裏へと導いた。店の裏は、遥か彼方まで続く草原。ぼんやりとした月明かりが照らしている。

「まるで海のようですね」

 風が草を揺らすと、白く泡立つ波のように見える。これが、私が最期に見る風景。空の星は月明りに邪魔されているのか、ほとんど見えないのが残念。

 一年間の猶予をもらった私は、三途の川を渡る方法も違うのかもしれない。

『時間だ。……目を閉じていてくれないか』

 目を閉じる直前、死神のマントがひるがえって金属の光が見えた。それはきっと死神の鎌。心は凪いでいて、最期に見る光が綺麗だと思うことができた。


 ありがとう。心の中で呟いた瞬間、私の一生は終わりを告げた。

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