勇者、毒を盛られる

亜逸

勇者、毒を盛られる

 勇者フェリクスは、自分の身に起きたことをすぐには理解できなかった。

 魔王と倒し、人類の宝である聖杯を取り戻したフェリクスは、三人の仲間――聖女ミリアーナ、剣聖カストル、賢者デラードとともに凱旋した。

 持ち帰った聖杯は、もともとの所有者であるシナデトヒ王国の国王に返還し、その流れで王城で開かれた祝勝会に招待された。


 そこで、だった。

 フェリクスが毒を盛られたのは。


 床に倒れ伏しながら周囲に視線を巡らせるも、苦しんでいるのは自分一人だけだった。

 祝勝会に参加していた王族たちは、嘲りや憐れみの視線をこちらに投げかけながらも祝勝会の会場から出て行き始めている。

 先程フェリクスに毒の入ったワインを渡した、給仕も含めて。


(どうして……こんなことに……?)


 床に倒れ、もがき苦しむをしながらも疑問に思う。

 自分は魔王を倒した勇者なのだ。

 その後語り継がれるであろう英雄譚が盛られることはあっても、毒を盛られる謂れなど――


(……いや、ある)


 魔王がシナデトヒ王国から奪い、フェリクスたちが奪い返した聖杯。

 それは、いかなる願いも叶えるという代物だった。

 今まさにその勇者に毒を盛ったということは、聖杯にフェリクスの心臓を捧げ、何かしらの願いを叶えようとしている輩がいると見て、まず間違いないだろう。


(だから僕は、聖杯を持ち帰ることに反対したんだ……!)


 それでもなお持ち帰るべきだと主張したのが、剣聖カストル賢者デラードだった。

 魔王を倒したら結婚しようと約束していた聖女ミリアーナはフェリクスの味方につき、聖杯を持ち帰ることに反対してくれた。

 しかし聖女ゆえか、ミリアーナは必死に懇願してくる相手に「NO」と言える気性ではないため、結局押し切られてしまい、聖杯を持ち帰るハメになってしまった。


 そして今、祝勝会の会場にミリアーナとデラードの姿はなかった。

 治癒術のエキスパートである聖女、なおかつフェリクスの婚約者であるミリアーナがいては、折角の毒も治癒されてしまう。


 だから、ミリアーナは別室に呼び出されて監禁されていると見て、まず間違いないが……そうなると、あまり信じたくはないが、必然的にデラードも勇者毒殺に加担していることになる。

 後衛といえども、魔王を倒した勇者パーティの一員なのだ。

 雑兵が何十人集まったところで、拘束できるほど彼女はか弱くない。


 だが、相手が同じ勇者パーティの一員となると話が違ってくる。

 なまじ気心知れている分、油断をつくのも容易なので、デラードならばミリアーナを拘束することが可能だ。

 というより、会場にカストルが残っていることを考えると、彼以外にミリアーナを拘束できる人間など、この城には存在しなかった。


 ゆえにデラードは〝黒〟であり、テーブルナイフを弄びながらも、殺気を隠そうともせずにこちらに歩み寄ってくるカストルもまた〝黒〟だった。


(……いや。デラードはまだ〝黒〟だと確定したわけじゃない。だが、カストルは……)


 カストルとは正直反りが合わなかったが、それでも決して悪い関係ではなかった。

 気に入らない点は多々あるが、認めている点も多々ある、ライバルのような間柄だった――と、フェリクスは思っていた。

 殺気もさることながら、カストルの顔に欲に歪んだ笑みが浮かんでいるところを見るに、どうやらそんな風に思っていたのはこちらだけだったようだ。


(相手が本気である以上、こちらも殺す気で迎え撃つしかない! そうでないと、殺されるのは僕の方だ。剣ではカストルには勝てないけど、!)


 う。

 フェリクスの体は確かに毒に蝕まれているが、今こうしている間にも少しずつ回復に向かっていた。

 勇者のみが扱うことができる聖剣、その加護の力によって。


 加護の力が健在だったことは、勇者であるフェリクスにとっても想定外の出来事だった。

 なぜなら聖剣は魔王の命と引き替えに失っており、その際に加護も失ってしまったばかり思っていたからだ。


 事実、聖剣を失った後は加護の力が全く使えなくなり、その様子はカストルも含めた仲間たち全員が目の当たりにしていたわけだが……どうやら、加護の力が極端に弱くなったというだけで、完全になくなったわけではないようだ。


(本来なら毒自体が効かないけど……だからこそ、カストルの隙がつけるかもしれない……!)


 加護が生きていることを知らないカストルが、油断しきった足取りでこちらに近づき、腰を落とす。


「お前のことは別に嫌いじゃなかったけどよ、シナデトヒの王様に協力するをすりゃぁ、楽してお前の心臓が手に入りそうだから……」


 そして、弄んでいたテーブルナイフを逆手に持ち、


「悪く思うなよ」


 振り下ろした刹那、フェリクスは横転してナイフをかわし、床に落ちていたフォークでカストルの喉を突き刺した。

 フォークを引き抜くと、カストルは喉から噴水のように血が噴き出させた後、それによって出来た血溜まりの上に力なく倒れ伏した。


 殺らなければ殺られていたとはいえ、苦楽をともにした仲間をこの手で殺してしまったことに、やるせなさを覚えずにはいられない。

 だが、状況が悲嘆に暮れることを許さなかった。

 祝勝会の会場に、剣を携えた兵士たちが次々と押し入ってきたのだ。


 カストルも言っていたが、どうやら勇者毒殺を主導しているのはシナデトヒ王国の国王のようだ。

 それにより疑惑止まりだったデラードも、完全に〝黒〟になってしまう。


 なぜならデラードは、シナデトヒ王国に仕える賢者。

 彼の国王に対する忠誠心が本物であることは、ともに旅をしたフェリクスが誰よりもよく知っている。

 最悪、勇者毒殺を国王に進言した可能性すらあるが……そこまで仲間を疑うことを良しとしなかったフェリクスはかぶりを振って、今頭に浮かんだことを脳内から振り払った。


「とにかく今は、この状況を乗り切らないと」


 決意を口にしながら、周囲を取り囲む兵士たちに視線を巡らせた。



 ◇ ◇ ◇



 剣聖であるカストルならばともかく、雑兵が相手ならば何百人いようがフェリクスの敵ではない。

 ゆえに、無益な殺生は避けて全員気絶させると、兵士が持っていた剣を拝借して祝勝会の会場を後にした。


 最後に気絶させた兵士から聞き出した情報によると、デラードは拘束したミリアーナとともに城の地下にある、聖杯の間と呼ばれる部屋にいるとのことだった。

 名前からして聖杯が安置された部屋であることに間違いはなく、デラードがこちらを誘い込む気でいることに間違いはないと、フェリクスは思う。


 年長者で、賢者に相応しい知性と知識を持っていることもあって、フェリクスたちがデラードを頼ったことは一度や二度ではなく、彼の頭脳に助けられたことも一度や二度ではない。


 そのデラードが聖杯の間に来るよう誘い込んでいるということは、フェリクスの心臓を聖杯に捧げるという意志の表れであると同時に、今のフェリクスには絶対に負けないという自信の表れに他ならない。

 そして自信の根拠は、ミリアーナを人質にとっていることだろうと、フェリクスは思う。


 フェリクスはミリアーナのことを見捨てられない。

 ミリアーナのためならば、この命を投げ出すことも惜しくない。

 フェリクスがそういう人間であることは、当然デラードも知っている。


 賢者である彼は、パーティの中で最も冷静であると同時に、最も冷徹だ。

 主命のためならば、仲間ミリアーナを盾に使うことも厭わないだろう。


(そうなったら、僕に勝ち目はない。けど、それでも……)


 行くしかない。

 その決意一つを胸に城内を走り続け……聖杯の間に辿り着く。

 床も壁も天井も石でできた、殺風景な広間だった。

 最奥には聖杯が安置された祭壇が設けられており、それを守るようにしてデラードは待ち構えていた。

 左腕に、気を失っているミリアーナを抱きかかえて。


「ミリアーナ!」


 フェリクスが叫ぶと、デラードは努めて感情を排した声音で応じた。


「無駄だよ、フェリクスくん。ミリアーナくんは私の魔法で眠らせている。解呪の奇跡が使えるミリアーナくん本人が眠っている以上、私が魔法を解除しない限りは目を覚ますことはない」

「ば、馬鹿な! 聖女の加護で護られているミリアーナを、魔法で眠らせるなんてできるわけが!?」

「だから、加護に護られていようと眠らせることができる魔法を創った。たとえ今の君に聖剣の加護があったとしても眠りつかせることができる魔法をな」


 他の人間がそんなことを言ったところで毛ほども信じなかったが、賢者デラードが言ったとあっては信じざるを得ず、フェリクスは口ごもる。


「そして、魔法を解除する前に私を殺せば、ミリアーナくんは永遠に眠り続けることになる。ここまで言えばもう理解できるな? フェリクスくん」

「……ああ。やっぱり、僕に勝ち目はないということか」


 そう言って、持っていた剣を投げ捨てた。


「約束してくれ、デラード。僕を殺して、聖杯に心臓を捧げたら、ミリアーナにかけた魔法を解除することを」

「約束しよう。それによって、ミリアーナくんに殺されることになったとしてもな」


 覚悟の滲んだ言葉に、フェリクスは思わず表情を悲痛に歪ませる。


「……我が主は、聖杯に『永遠の平和』を願うつもりでおられる。そのためとはいえ、仲間を手にかけることに何も思うところがないと言えば嘘になる。それだけの話だ」


 デラードも表情を悲痛に歪ませながらも、フェリクスに向かって掌をかざす。


「好きなだけ恨んでくれ。フェリクスくん」


 肯定も否定も示さず、死を覚悟したその時だった。


 突然、神々しくも穏やかな光がミリアーナの体を包み込んだのは。


「この輝きは……まさか解呪の奇跡!?」


 デラードが狼狽している隙に、唐突に目を覚ましたミリアーナが、フェリクスに向かってかざしていた彼の掌にしがみつく。


 いったい何が起こっているのか、フェリクスには全く理解できなかったが、この機を逃してはいけないことだけは理解できた。

 ゆえに即座に駆け出しながらも、先程投げ捨てた剣を回収し、


「しまっ――」


 ミリアーナにしがみつかれ、身動きはおろか魔法も使えないデラードの喉を突き刺した。

 ここに来る前に殺した、カストルと同じように。


 フェリクスはすぐさま剣から手を離し、ミリアーナを抱き寄せる。


「か……く……」


 デラードはよくわからない呻き声を漏らすと、ほどなくして床に仰臥した。

 その際に剣が喉から抜け落ち、噴水のように血が噴き出す。

 これもまたカストルを殺した瞬間を想起されてしまい、仲間を二人もこの手で殺した罪悪感と嫌悪感に吐き気を覚えたフェリクスは、空いた右手で口元を覆った。


「だ、大丈夫ですかフェリクス!?」


 左腕の中にいるミリアーナが、心配げにこちらを見つめてくる。


「……大丈夫だ。それより、デラードの魔法で眠らされていたのに、どうやって解呪の奇跡を使ったんだい?」

「祝勝会の途中にデラード様に呼び出されて、魔法に眠らされる寸前に、で、こっそり自分に解呪の奇跡をかけておいたんです。下手にその場で解呪しても、より強い魔法で眠らされる恐れがあると思いましたので」


 聖女の奇跡を、そんな細かい条件をつけた上で問題なく発動させるミリアーナに、さしもフェリクスも閉口する。

 ミリアーナは、聖女としての能力は勿論、その清く優しい人格も含めて、史上最高の聖女と謳われている女性だった。


 そんな女性に惚れられ、婚約までしていることは、勇者である以前に男として冥利に尽きるというものだ。

 フェリクス自身も、ミリアーナという最高の女性を愛していることを誇りにさえ思っている。

 だからこそ、これから逃げの一手を打つことに何の躊躇もなかった。


「ミリアーナ。まずはこの城から脱出しよう。シナデトヒ国王が僕の心臓を狙っている以上、ここに留まっていては君も狙われる」


 ミリア―ナは一瞬驚いた顔をした後、床に仰臥するデラードの遺体に哀しそうな視線を向けた。


「狙っているって……デラード様のように、ですか?」


 その返答が彼女を余計に哀しませるとわかっていながらも、フェリクスは首肯を返す。

 ミリアーナは目尻に涙を浮かべると、震えた声音でさらに訊ねてくる。


「まさか……カストル様も……?」


 罪悪感からか、涙に滲んだミリアーナと目を合わせられなくなったフェリクスは、彼女から視線を逸らしながらも、絞り出すような声で答えた。


「……ああ。カストルも、デラードと同じように僕の心臓を狙ってきて……僕が……この手で……殺した……」

「そん……な……」


 ミリアーナの口から、哀しみに満ちた声が漏れる。

 ますます罪悪感を覚えたフェリクスが、とうとう目の前にいる婚約者から顔を背けた、その時だった。



「やはり、あなたは最高です。フェリクス」



 ミリアーナのものとは思えない、嘲るような声が聞こえたのも束の間、胸に鋭い痛みを覚え、思わず顔をしかめる。

 いったい何が起きているのかと思い、恐る恐る視線を戻すと、



 ミリアーナが、隠し持っていたナイフをこちらの胸に突き立てている姿が視界に映った。



 ナイフが引き抜かれ、胸から命の雫が零れ落ちた途端、体中の力が抜けていき、仰臥してしまう。

 そんなフェリクスに追い打ちをかけるように、ミリアーナは馬乗りになり、逆手に持ち直したナイフを再びこちらの胸に突き立てた。


「ぐふ……ッ」


 吐血しながらも、気づく。

 先程からミリアーナが、ナイフを突き立てていることに。


「ミリ……アーナ……どう……して……?」

「どうしてって、勿論フェリクスの心臓が欲しかったからですよ」


 いつもの聖女然とした優しい笑みではなく、心底こちらを小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべながら、事もなげに答える。


「フェリクス……あなたを好きになったのも、魔王退治という危険な旅にお供したのも、全ては聖杯を取り戻し、わたしの願いを叶えるためなんです」

「願い……?」

「そうです。願いです」


 無邪気に、あるいは魔王も裸足で逃げ出すほどに邪気に満ちた笑顔で、ミリアーナは言葉をつぐ。


「わたしね……世界が欲しかったんです。、全てはそのためなんです。その上で最大の障壁になると思っていたカストル様とデラード様を討ち取ってくれたことは、心の底から感謝していますよ。フェリクス」


 何を言ってるのか、一つも理解できなかった。

 理解できるわけがなかった。


(そうだ……これは夢だ……)


 でないと、苦楽をともにした仲間が、婚約者が、僕の命を狙ってくるなんてあり得ない。

 だからこんな悪夢、早く覚めてほしいのに、


「ははははははっ! あははははははっ!」


 何度も何度もミリアーナに胸を刺され、のたうち回るような激痛が迸っているのに、目は一向に覚めてくれない。

 今眼前で起きていることが現実だと、否応なく思い知らされる。


(こんなの……いくら何でもあんまりだ……)


 人類を、仲間を、愛する人を護るために戦った結果がこの仕打ちなんて、あんまりにもあんまりだ。

 自分はいったい何のために戦ってきたのかさえ、わからなくなる。


(こんな世界……いっそのこと聖杯に願って滅ぼしてしまえば……!)


 本気でそう思った。が、すぐに思い直した。

 その思い直しは、勇者ゆえの清く正しい心からくるものではなかった。

 聖杯に世界の滅亡を望んだところで、自分の心臓を捧げる必要がある以上、世界が滅びゆく様をこの目で見届けることができない。

 それでは自分が満足できないという、どす黒い怒りからくるものだった。


(なら、良い考えがある)


 思いついた途端、自然と頬から笑みが零れた。


(まずは、僕の心を散々弄んだ、この女を!)


 心臓を取り出しやすくするためか、何度もフェリクスの胸にナイフを突き立てていたミリアーナの腕を掴む。


「フェリクス!? どうしてまだ動けるんですか!?」


 驚く彼女を見て、フェリクスは頬を吊り上げる。

 致命傷を負っても、わずかな時間ならば生き長らえることができる――これもまた、聖剣の加護の力だった。


 とはいえ、聖剣が失われたことで加護の力が大幅に弱体化している以上、わずかな時間がさらにわずかになっているのは明白。

 ゆえにフェリクスは、手早くミリアーナからナイフを奪うと、


「……ッ!?」


 彼女の心臓に、その切っ先を突き立てた。

 治癒の奇跡すら使う暇もなく一撃で絶命した聖女を、ぞんざいにはねける。


 ほんの数分前まで愛していた女性の遺体に一瞥もくれずに立ち上がると、鉛のように重いを足を一歩、また一歩と踏みしめ、祭壇上にある聖杯を目指す。

 眼前まで辿り着くと、凄絶な笑みを浮かべながらも、ミリアーナのおかげですっかり取り出しやすくなった心臓を鷲掴みにする。


 聖杯に心臓を捧げたが最後、勇者ぼくは死ぬ。


 聖女ミリアーナも、剣聖カストルも、賢者デラードも、すでに死んでいる。


 魔王を倒せる強者は、この世にはもう残っていない。


 そして、魔王を倒すために必要な聖剣も、すでに失われている。


 ――そう確信したフェリクスは、聖杯に己が心臓を捧げると、血を吐き出しながらもこう叫んだ。


「聖杯よッ!! 僕を魔王に転生させろぉぉぉおぉおおぉおぉぉッ!!」

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